第65話 中岡慎太郎の闘争

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幕末史研究会
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6、暗殺

第65話 中岡慎太郎の闘争

中岡慎太郎は近江屋二階で刺客に襲われた時、大刀は近くになく、腰に差していた短刀で闘っている。  田中顕助の証言によれば全身十一箇所を斬られており、右手などは皮だけ残ってブラブラして縫い合わす事もできない状態だったという。  中岡を襲った刺客は龍馬を襲った刺客より腕が数段低い。十一箇所の傷を負わせながら、中岡にとどめを差すこともできなかった。中岡は二日間生きて、襲われた状況を喋っている。  龍馬を襲った刺客はわずか数秒で仕事を終わり、中岡と自分の仲間の闘いを見ていたのである。  中岡を倒せない仲間の不甲斐なさに、しびれをきらし「もうよいよい」と言って闘争を中止させたのである。  中岡は傷つき倒れていて気絶している。龍馬を斬ってしまえば、早く引き上げることである。刺客たちは現場から消えた。  中岡は龍馬が隣りの六畳間で一階へ「医者を呼べ」と叫んだ声で息を吹きかえした。  中岡は龍馬を八畳間の中に捜すが見つけられず、隣りの六畳間で吉行を鞘から抜いて行燈の光で見つめる龍馬を目撃する。  龍馬は「俺は脳をやられたから、モウいかん」と言ってその声が止まった。  中岡は龍馬の死の後、倒れていた八畳から物干へ出る。十一箇所斬られた体を左手一本で隣家の屋根まで這って行き、助けを求めていた。しかし、誰もおらずそこで意識がなくなり動けなくなる。  救助に駆けつけた人々によって、襲撃された八畳間に戻されている。  意識の回復した中岡は襲われた時の状況を説明している。田中顕助、谷干城、林謙三、それらの人々は中岡の言葉を記憶していて、後に文章にしている。  この中岡の証言によってその夜の状況が分かるのである。しかし、矛盾したところも各々にあり、それは中岡の混乱もあり、聞いた者の記憶違いもあると思われる。