第79話 山内豊秋氏と埋忠明壽(うめただみょうじゆ)

 小美濃清明講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

幕末史研究会
事務所:〒180-0006 武蔵野市中町2-21-16
FAX・O422-51-4727/電話・090-6115-8068(小美濃)
Eメール:spgh4349@adagio.ocn.ne.jp
プログアドレス:http://blogs.yahoo.co.jp/bakumatsushiken
幕末史研究会は、東京都武蔵野市を中心に1994年から活動を続けている歴史研究グループです。

「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明

第79話 山内豊秋氏と埋忠明壽(うめただみょうじゆ)

 山内豊秋氏に東京龍馬会でど講演していただいたことがあった。
豊秋氏は山内家十八代のご当主で明治四十五年(一九一二)六月十九日生まれである。山内容堂の曾孫にあたる。陸軍大学を卒業され、終戦時は陸軍中佐であった。
宮地佐一郎先生は郷士のご子孫なので常に「お殿様」と呼んでおられた。
ある時、作家の安岡幸太郎氏と高知空港で立ち話をしている時、豊秋氏が近くを通られて二人に声を掛けて下さったそうである。
二人は最敬礼で見送ったとのことである。
安岡氏も郷士のど子孫である。吉田東洋を斬った安岡嘉助はご祖先になる。
その日のど講演は豊秋氏ど自身の話だった。陸軍大学校を卒業され陸軍参謀になった頃から戦後、通商産業省で石油関係のお仕事をされていた頃までをお話しされていた。
石油関係の調査のため中近東ヘビ出張された話の時、出張費が充分にもらえなかったので護り刀を売って出張費を捻出したという話をされた。
ご講演のあと、懇親会があり、丁度、豊秋氏の近くに宮地先生と共に座ることになったので、懇親会の中ごろになって豊秋氏に尋ねた。
「お売りなった刀は何ですか」
豊秋氏はさらりと答えた。

「埋忠明寿(うめただみょうじゆ)です」
そのひと言で分かった。
自宅に帰ってすぐに「日本刀分類目録」(春陽堂)を見た。この目録は明治三十年十二月以降国宝に指定された刀剣と昭和八年七月以降に重要美術品に認定された刀剣、合わせて一六〇〇余振を昭和十九年三月末日現在で収録したものである。
昭和八年七月二十五日
侯爵 山内豊景
脇指 山城国西陣住人埋忠明壽作六十一歳
元和四年五月十一日
一尺三寸分
と記録されていた。
山内家の指定品は十四振あり、その中の一振だった。
山内豊景氏は豊秋氏の父上である。

代々、山内家に伝えられた伝家の名刀であった。それを売却し出張費としたのである。
戦後の混乱を脱出し高度成長へ向かう時、やはり石油株国家戦略の根幹をなすものだった。そうした大事な中近東出張に充分な出張費も出ない日本国の状況の中で、黙って伝来の埋忠明壽の脇指を売ったのである。
豊秋氏は軍人らしく姿勢のよい、静かなお人柄だった。
高知の山内神社に山内容堂の銅像が完成した。除幕式の日、豊秋氏は座って盃を持った銅像の容堂に、日本酒を注いでいる写真がある。十五代豊信(とよしげ)と十八代豊秋氏、この写真を拝見しているとやはり殿様だと思ってしまう。
龍馬は脱藩を許してもらったが容堂に一度も会うことはなかった。