第67話 龍馬暗殺と御影踊

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「坂本龍馬八十八話」

6、暗殺

小美濃 清明

第67話 龍馬暗殺と御影踊

坂本龍馬が暗殺された十一月十五日から十一日過ぎた大坂で、土佐藩士が書いた日記がある。
「十一月廿六日 朝曇
今日の風説によれば於京師坂本龍馬浪人体之者に殺害に合候趣」
この日記は京攝在勤中并奥州征伐日記」であり筆者は宮地団四郎という。戊辰戦争が始まる前に京都へ来て、鳥羽伏見の戦いから会津若松まで従軍している一年間の日記である。筆者はこの日記に永年取り組んでいる。その発端はこの龍馬暗殺の風説を書き残していることに興味を持ったからである。
そして、この龍馬暗殺の風説の前に「御影踊」のことが書かれている。
「十一月廿三日 晴
「午前二時攝州兵庫沖に碇泊す。此処より橋船自力雇を以兵庫湊に着す。同町明石屋にて一泊す当驛着以来見物に出掛け申処先一番遊廓に至る。此際点手毎に灯燈を持ち男女老若に不限(かぎらず)大成(おおぜい)群集にて御影踊と唱へ甚賑々敷事にて此踊子紬承る処本月中旬の頃より此節に至り晝夜とも戸毎へ諸神佛の御守雨降り候趣(おもむき)、誠に不思議とは此事なるべし、多分乱世の全評ならんやと大にあやしみ申事、夫より右宿、赤石辰衛方に帰る」

御影踊に乱世の予感を感じた宮地団四郎はその三日後に坂本龍馬殺害の風説を聞いたことになる。団四郎は兵庫から大坂に移動してこの風説を耳にした。しかも犯人が浪人体の者という情報も付いている。そして、中岡慎太郎についての情報はない。まだ中岡慎太郎が生存しているうちに広がった情報だったのかもしれない。
団四郎たちは大坂で山内容堂の上洛を待っている。
「十二月八日六ツ半時伏見着す。夫より今日御隠居様(容堂)伏見御出立遊ばされ、七ツ下刻(午後四時)御着尾能●よく●、京師大佛御本陣妙法院の宮様へ御着遊ばされた。それより前哨隊は右同所智積院へ御割巳家相成着す」
と記述されている。山内容堂は九日の王政復古の前日に京都大佛の本陣とされた妙法院に入り、団四郎たち前哨隊は隣の智積院に宿をとった。
この前哨隊はこの後、土佐から来る迅衝隊に合併し、東征軍として江戸へ向うことになる部隊である。そして会津若松まで行くことになる。土佐軍はそこから引き返えすので、箱館戦争には参加していない。