第13話 土佐藩のアームストロング砲

「坂本龍馬大鑑」
幕末史研究会・小美濃清明会長の執筆による超豪華本が出ます!

坂本龍馬~没後150年目の真実
A4版上製/192ページ●お宝資料&DVD封入●特製ケース入
発行:株式会社KADOKAWA
【通常価格16,200円(税込)】11月15日(金)発売

龍馬に関する最新の知見と資料を集め、まとめた貴重な複製お宝資料全10点&オリジナルDVDを収蔵。
[本書の内容]
第一章・新国家をつくる。第二章・高知城下に生まれて。第三章・幕末東アジア情勢。第四章・剣術修行開眼。第五章・土佐藩の枠にとらわれず。第六章・脱藩決行。第七章・勝海舟に心奪われて。第八章・薩摩の志士たちと”日本の洗濯”へ。第九章・
長崎の港を見つめて~海援隊誕生~。第十章・運命の薩長同盟締結。第十一章・秘境竹島に夢をもとめて。第十二章・本懐全う~「新国家創造」に捧げた志士~。第十三章・新国家の財政計画
+【特別付録DVD】約11年間に及ぶ本書取材の記録
※本書の内容は変更になる場合がございます。
本書は完全受注生産版ですので9月15日までに書店に予約を願います。
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第13話 土佐藩のアームストロング砲

土佐史談会は高知県立図書館の三階にある。平尾道雄先生が使用した書籍などが平尾道雄文庫として書棚に並んでいる。
古い雑誌や会誌「土佐史談」を見ていると、平尾先生の直筆のメモなどが出てくることもある。中には平尾先生の名前が書かれた薬袋が出てくることもある。
多くの研究者が収集した史料が室内に並んでいて、歴史の重みを感じる部屋である。全国に会員がおられ、問い合わせの電話も多い。

或る日、史料を読んでいたら、長岡の方から電話があり、「土佐藩にガトリング砲はありませんでしたか?」という質問があった。
内川清輔先生がどうだろうか? 少し調べてみようと話されていた。
しばらくして、土佐藩が明治になって政府に提出した「砲銃弾薬引渡調牒」の写しが存在しているのが分かった。
坂本龍馬が慶応三年九月二十四日、高知へ戻り、小銃千挺を土佐藩重役、渡辺弥久馬、本山只一郎に引渡した話は有名である。その小銃も含まれているはずの「砲銃弾薬引渡調牒」は興味深い史料である。
大砲  三○九挺
小銃  一三一二七挺
砲弾  六○八二一発
が保管倉庫別に記入され、大砲、小銃、弾薬ごとに記入されていた。これらは全て明治政府に引き渡されたのである。我々が見たのはその「写」であった。
しかし、ガトリング砲はなかった。長岡藩の河井継之助が戊辰戦争の時に使って有名となったこの砲は二挺輸入され、もう一挺が土佐藩へ渡ったのではないかという問い合わせだった。しかし、ガトリング砲は、記入されていなかった。
この調査の途中で「北ノ口南御蔵」に収蔵されていた八十七挺の大砲中にアームストロング砲二挺が含まれていることに記がついた。
土佐藩にもこの有名な砲が所有されていたのである。
アームストロング砲はイギリスのウィリアム・アームストロングが一八五五年に開発した大砲の一種である。
マーチン・ウォーレンドルフが発明した後装式ライフル砲を改良したもので、従来の砲より装填時間が短縮された。砲身は錬鉄製で、複数の筒を重ね合わせる層成砲身で鋳造砲に比べて軽量であった。このような特徴から同時代の大砲の中では優れた性能を持っていたと考えられている。
しかし、薩英戦争の時、戦闘に参加した二十一挺が合計三六五発、発射したうち二十八回発射不能となり、旗艦ユーリアラスに搭載されていたアームストロング砲が爆発して、砲員全員が死する事故が起こった。
その原因は巨大な膨張率を持つ火薬ガスの圧力が尾栓を破裂させたのである。
そのためイギリスでは信頼性が失われて、生産は中止されて、過渡期の兵器として消えていたのである。
廃棄されたアームストロング砲は、南北戦争中のアメリカへ輸出された。そして、南北戦争が終わると幕末の日本へ売却された。
江戸幕府もトーマス・グラバーを介して、三十五門発注したが、グラバーが引き渡しを拒絶したため、幕府の手にアームストロング砲は入らなかったという。
土佐藩のアームストロング砲は長崎のトーマス・グラバーから買い付けたものだろうか。龍馬や近藤長次郎が関係したものなのだろうか。