第14話 アームストロング砲が掘り出された

 

内容紹介
精巧に再現した直筆書簡等に触れて「真実の坂本龍馬像」を体感!

2017年11月15日に没後150年を迎える、幕末の志士・坂本龍馬。彼の駆け抜けた33年の濃密な生涯を、最新の知見と資料を集めた豪華書籍 に加え、
昨年12月に発見された書簡「福井藩士・中根雪江あての手紙」をはじめ、貴重な歴史資料のレプリカ10点が収録された受注生産豪華本(オリジナルDVD付) 。
龍馬ファン必携の非常の完全保存版。

NETで「坂本龍馬大鑑」と検索してみました。
すると、小美濃講師の名がズラリ・・・その一部を掲載します(村長)。

これぞ家宝!超豪華 完全受注生産版 坂本龍馬大鑑 〜没後150年目の真実〜 受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
「湿板写真家・林道雄所蔵」
質感まで忠実に再現した貴重な複製お宝に触れて
“坂本龍馬の実像”を体感する!

【監修・執筆者】小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。

坂本龍馬の辿った道を貴重な資料と共に辿る! 大政奉還から150年。そして坂本龍馬没後150年を迎える2017年。日本近代史上最大のヒーロー「坂本龍馬」の最新情報がわかる1冊。明治維新の裏の立役者として、あまりにも有名であるにもかかわらず、多くの謎を残している龍馬。本書では、ヒーロー伝説の再現と共に、今まで語られていなかった龍馬と海外との関わり等、いまだ確認されていないその一面に迫る。大河ドラマ『龍馬伝』監修や、龍馬研究を手掛けている有識者たちによる最新の知見を集めた「最新の龍馬像」をまとめた豪華書籍に加え、龍馬ゆかりの品々を忠実に再現した複製資料全10点+DVDを収蔵。
高知・長崎・鹿児島・京都・東京を中心に、広範囲なお宝資料収集を実施。また重要文化財に指定されている貴重な資料を含む「龍馬直筆の手紙」や関連資料を精密に複製・再現し、これまでにない〝坂本龍馬の実像〟を“読んで、触って、体感する”まったく新しい読書体験をすることができる豪華保存版です。

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「読んで」、「触れて」、「感じる」 龍馬という漢。精巧に再現した貴重な複製お宝で龍馬に“触れる”全く新しい歴史体験が味わえます。
大政奉還、明治維新の立役者龍馬がどんな人物だったのか?
新しい知見を集めた書籍と、貴重な複製書簡などでこれまでにない“龍馬の実像”を体感!
生き生きとした龍馬の足跡を感じられる全10点のお宝&DVDを収蔵。

手紙への裏書き(龍馬直筆) 桂小五郎から龍馬へ
複製お宝史料 手紙への裏書き(龍馬直筆) 桂小五郎から龍馬へ

薩長同盟成立後、桂小五郎の要請に応え、慶応2年2月5日、龍馬は寺田屋での襲撃で手を負傷しているにもかかわらず、
薩長同盟の書簡に、朱書きの裏書きをしている〈一部抜粋にて複製〉。(宮内庁書陵部蔵)

手紙(龍馬直筆) 龍馬から中根雪江宛
複製お宝史料 手紙(龍馬直筆) 龍馬から中根雪江宛

2016年新発見。慶応3年11月10日、暗殺の5日前。文章に新国家と書かれている。(個人蔵)

手紙(龍馬直筆) 龍馬から乙女姉へ
複製お宝史料 手紙(龍馬直筆) 龍馬から乙女姉へ

慶応2年12月4日。新婚旅行の報告。日本初の「新婚旅行」と言われている。寺田屋の遭難のあと、危険な京都を離れ、妻お龍と一緒に鹿児島で湯治しに行く龍馬。霧島山登山の様子を「イロハニ」の記号で説明している〈一部抜粋にて複製〉。(京都国立博物館蔵)

手紙(龍馬直筆) 龍馬から乙女姉へ
複製お宝史料 手紙(龍馬直筆) 龍馬から乙女姉へ

文久3年6月29日。「日本を今一度洗濯いたし申し候」という有名な言葉が登場。勝海舟の弟子になり、幕府の海軍操練所にいながらも幕藩体制への怒りが「日本の洗濯」という形で表現されている〈一部抜粋にて複製〉。(京都国立博物館蔵)
書状(龍馬直筆) 新政府綱領八策
複製お宝史料 書状(龍馬直筆) 新政府綱領八策

慶応3年11月。明治維新後の新政府設立のための綱領。船中八策を簡略化して書かれたような内容になっている。後半部分に「○○○」と名前を伏字にしてある箇所があり、誰の名が入るのか議論になっている。(下関市立歴史博物館蔵)
写真 坂本龍馬湿板写真

複製お宝史料 写真 坂本龍馬湿板写真

慶応2~3年撮影。当時の湿板写真を元に大型写真として再現。
(高知県立坂本龍馬記念館蔵)

俚謡(龍馬直筆) 紙本墨書
複製お宝史料 俚謡(龍馬直筆) 紙本墨書

稲荷町(遊廓街)から朝帰りした龍馬は、お龍に責められ、即興で俚謡を謡う。お龍への愛と遊びたい気持ちとを織り交ぜたこの俚謡を聞き、お龍も許してくれたといいます。龍馬の人間臭い面が垣間見られる史料。(下関市立歴史博物館蔵)

海戦図(龍馬直筆) 長幕海戦図
複製お宝史料 海戦図(龍馬直筆) 長幕海戦図

馬関海峡での長幕海戦図。丙寅丸を指揮した高杉晋作などの文字も見える。第二次長州征伐では亀山社中のユニオン号で長州藩を支援、長州藩の勝利に貢献した。龍馬はこの戦いについて、この戦況図付きで長文の手紙を兄・権平に書き送っている〈一部抜粋にて複製〉。(個人蔵)

記録帳 玄武館出席大概
複製お宝史料 記録帳 玄武館出席大概

「玄武館出席大概」は清河八郎が安政4、5年頃に北辰一刀流玄武館(千葉周作が開いた道場)に籍を置いていた309名の氏名を記録したもの。龍馬が山岡鉄舟(小野鉄太郎)に剣術を習っていたことを証明する史料〈一部抜粋にて複製〉。(清河八郎記念館蔵)

地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
複製お宝史料 地図 龍馬が見ていたとされる世界地図

新製輿地全図。箕作省吾作。(国立国会図書館蔵)

【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録

龍馬の人生と明治維新のことを、末裔の方々や研究者たちが、すべて本企画のために分かりやすく振り返る。特別にインタビュー撮り下ろし

岡崎誠也(高知市長)、尾崎正直(高知県知事)、勝 康(勝海舟の子孫)、小曾根吉郎(小曾根乾堂の子孫)、西郷隆夫(西郷隆盛の子孫)、坂本匡弘(坂本家10代目)、橋本邦健(全国龍馬社中会長)、前田終止(霧島市長)、宮川禎一(京都国立博物館学芸部列品管理室長)、三吉治敬(三吉慎蔵の子孫)等(五十音順/敬称略)

【本書の内容】
第一章新国家をつくる第二章高知城下に生まれて第三章幕末東アジア情勢第四章剣術修行開眼第五章土佐藩の枠にとらわれず第六章脱藩決行第七章勝海舟に心奪われて ~アメリカ最新事情に触れる~第八章薩摩の志士たちと“日本の洗濯”へ第九章長崎の港を見つめて ~海援隊誕生~第十章運命の薩長同盟締結第十一章秘境竹島に夢をもとめて第十二章本懐全う~「新国家創造」に夢と愛を捧げた志士~第十三章新国家の財政計画

完全受注生産版『坂本龍馬大鑑』仕様
※商品デザインおよび写真はイメージです。実際の商品とは異なる場合があります。
※お宝および本書の内容は変更になる場合がございます。

以上、NETからの丸写しです(村長)。
2、江戸・横浜で

小美濃清明講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

第14話 アームストロング砲が掘り出された
土佐史談会へ行くと、内川清輔先生が「小津高校の校庭からアームストロング砲が出てきたそうです。行きませんか」と筆者を誘った。
勿論、行きます、と答えて、すぐ出かけた。

やっぱり、土佐藩にアームストロングはあったのか、と少し興奮気味に二人で歩いて高知県立小津高校へ向った。

高知城の北側に出て、改道館の門の前を歩いて行くうちに、段々と熱が冷めてきた。
「砲銃弾薬引渡調_」にあったアームストロング砲二挺は明治政府に引渡したはずである。もし掘り出されたものが本物なら、土佐藩はアームストロング砲を三挺所有していたことになる。

何故、一挺だけ埋めたのだろうか。疑問がいくつも湧きあがってくる。しばらくして、小津高校の校門をくぐり、校庭の片隅に砲身だけが鉄製の枠に載せられている前に立った。見た瞬間、大きいと思った。幕末の大砲のイメージより砲身が長いのである。砲身の筒先から中を覗いてみた。施条砲であった。二十本以上の条が螺旋(らせん)を描いており、砲身はスリムに出来ていた。

幕末期に佐賀藩はアームストロング砲を製造している。戊辰戦争の時、佐賀藩の大砲は現在、東京大学のキャンパスになっている本郷台から不忍池を越えて、上野寛永寺向けて発射されている。アームストロング砲だと伝えられている。

幕府の彰義隊を壊滅させたアームストロング砲は、加賀屋敷と加賀の支藩富山屋敷から発射されたという。 土佐藩が所有していたアームストロング砲はイギリスから輸入した砲だったのだろうか。それとも佐賀藩が製造したものだったのだろうか。

佐賀藩が製造したアームストロング砲が土佐藩へ渡ってきたのだろうかと考えてみた。

そういえば、戊辰戦争の時、土佐藩は江戸の砂村下屋敷で左行秀が製造した小銃を宇都宮藩に貸していた。

平尾道雄著『子爵 谷千城傳』に次のように記述されている。

〈当時、諸藩いづれも窮乏して戦費の捻出に苦しみ、宇都宮藩の如きは兵士に使用せしむべき小銃すら其用意なく、僅(わず)かに薩摩藩の鹵獲せる敵の洋式銃を以て一時を糊塗して居たが、子(千城)は西の丸に於て同藩士懸勇記より之を聞き、鑄工行秀作る所の不用銃約五十挺を宇都宮藩に貸与した。〉 藩と藩の間で銃器の貸し借りはあったのである。土佐藩もアームストロング砲を佐賀藩から借りていたのだろうか。
この小津高校のアームストロング砲といわれた大砲は、後に写真を撮って、アメリカへ送った。筆者の友人のサンフランシスコ在住のロミュラス・ヒルズボロウ氏の友人で銃砲の専門家に鑑定を依頼した。 しばらくして、ヒルズボロウ氏から返信があった。小津高校の校庭から掘り出された大砲の砲身は、アームストロング社で製造したものではないという回答だった。

この大砲は幕末期よりも新しい時代に製造されたものと思われると手紙には書かれていた。

龍馬は高知の仁井田浜で十二ポンド軽砲を撃っている。