第49話 山を下りると

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「坂本龍馬八十八話」

小美濃 清明
第49話 山を下りると

龍馬は姉乙女に慶応三年(一八六六)十二月四日、長い手紙を送っている。手紙の中に
〈此所より又山上ニのぼり、あまのさかほこを見んとて、妻と両人づれニてはる■のぼりしニ、立花氏の西遊記ほどニハなけれども、どうも道ひどく、女の足ニハむつかしかりけれども、とふ■馬のせこへまでよぢのぼり、此所にひとやすみして、又はる■とのぼり、ついにいたゞきにのぼり、かの天(アマ)のさかほこを見たり。〉とある。
霧島山にのぼり天の坂鉾をお龍と見た報告を姉乙女にしている。
この山を下りて里に入ると、黒山の人だったという。物見高い村の人たちが龍馬とお龍を待ちうけていたという。
それは何故なのか、その理由が分からずにいた。或る時、それが解けた。いや正確には解けたと思っている。
それは或る幕末の日記を読んでいる時である。龍馬たちとは反対の北国の話である。
桑名藩家老・酒井孫八郎の日記の中に、初めて青森を訪れた孫八郎が青森の女性を描写している部分がある。
眉毛の形が自然のままで剃っていないこと、口の中の歯がお歯黒で染めていないことなどが記録されていた。
これだと思った。
薩摩の女性たちはお龍を見に来ているのだと考えた。
幕末の薩摩藩の国境警備は厳しかったという。藩境界は厳重に守られて密入国はできなかったという。
他国人が入国する時は公式の武士階級の入国から商取引の商人たちと限られていたのではないだろうか。四国八十八箇を巡るお遍路のような人々が薩摩藩にはなかった。
薩摩には限られた人々しか入国していないのである。
文久二年、土佐藩を脱藩した龍馬も薩摩入国を試みたが、達成されなかったという。

許された者だけが薩摩国へ入国できたのである。しかもそれはほとんどが男性であった。
幕末期に他国の若い女性が薩摩国へ入ることはなかったと思われる。
龍馬が連れていった女性は若く美しいという噂が立ったのである。
薩摩の女性たちはお龍を一目見たいと思ったのである。
京都生まれの美人はどのような着物を着ているのだろう。
どのような帯をしめているのだろう。
髪はどのような形に結っているのだろう。
どのような化粧をしているのだろう。
こうした好奇の目がお龍を待っていたのであろう。
薩摩の女性たちは、現在のファッション雑誌を待ちわびるようにお龍が山から下りてくるのを待っていたのである。
そうした女性たちの話を聴いていた薩摩の男たちも、一度見てみたいと思うに違いない。こうして村々人々は龍馬とお龍の行く先々で、その姿を見ようと待っていたと思われる。