65-富士山本宮浅間大社

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開運スポット巡りー65

小林 永周

家庭円満・安産・子安・水神、火防、航海、漁業、農業等の守護
65-富士山本宮浅間大社
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富士山本宮・浅間大社は、富士山の噴火を鎮めるため、また鎮火の御神徳によって崇敬され、富士山信仰として全国千三百以上の浅間神社の総本宮として栄えています。
主祭神は、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)で、別称を浅間大神(あさまのおおかみ)といいます。
従属する相殿神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)などです。
木花之命の御神名から、桜が浅間神社の御神木とされ、境内には約5百本の桜樹があり、桜の名所としても有名です。
言い伝えでは、第7代孝霊天皇の御代に富士山の大噴火があり、周辺住民が離散して荒れ果てた状態が長く続きました。それを憂いた第11代垂仁天皇が、浅間大神を祀り山霊を鎮められました。これが浅間大社の起源となっています。
大昔の山宮は社殿が無く、古木や岩山を通して富士山を直接お祀りする形式を残す神社で、祭祀形態の変化もうかがい知ることも出来ます。当時、ご神体が祀られた地は、「山足の地」と呼ばれましたが、これは特定の地名ではなく、富士山の山裾の適当な場所を選んで祭祀を行ったと考えられています。その後、特定の場所に祀られるようになりました。
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山岳信仰の殆どの神社が日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説を持つように、ここでも北賊征伐のために立ち寄った日本武尊が賊徒に囲まれ四方から野火で攻められ、窮地に陥った時、武尊命が、富士浅間大神を祈念したところ火勢が衰えて窮地を脱して、逆にその賊徒を征伐され、そのことによって武尊命は篤く浅間大神を祀られたと伝えられています。
さらに、坂上田村麿の伝説もあります。
大同元年(806)坂上田村麿は平城天皇の勅命を奉じ、現在の大宮の地に壮大な社殿を造営し、湧玉池(国指定特別天然記念物) に山宮を遷座されました。こうして、富士山のご神水の湧く地が浅間大社に最もふさわしい地になったと考えられます。
浅間大社は、朝廷からも篤い崇敬を受けていて、駿河国一宮(するがのくにいちのみや)として勅使の神領寄進も受けています。神階については仁寿3年(853)に従三位を頂き、その後順次階位を授けられて永治元年(1141)には正一位を授与されています。
さらに、歴代武将の事跡も多数あり、源頼朝、北条義時、武田信玄&勝頼親子、徳川家康などが詣でています。
とくに、源頼朝公は、建久4年(1193)に富士山麓の巻狩りの際、流鏑馬(やぶさめば)を奉納しました。それが現在の流鏑馬祭として伝えられていて浅間大社の名物になっています。
参詣客に親しまれる境内のしだれ桜は、武田信玄公の寄進で信玄桜と呼ばれ、武田信玄・勝頼親子は神領の寄進、社殿の修造などに尽しました。
徳川家康公は、関ヶ原の戦いの戦勝祈願をし、勝利の御礼として本殿や拝殿の他に楼門など30余棟を造営寄進していて、本殿は国指定重要文化財、拝殿・楼門は県指定文化財となっています。
このように富士山を祀る富士山本宮浅間大社は、富士山とともにユネスコの世界文化遺産に登録され、全国の浅間神社の総本宮として栄え、参詣する人々に大きなご利益をもたらしています。

アクセス
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
住所:〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1
電話番号:0544-27-2002
最寄り駅:西富士宮駅から徒歩約10分-道案内あり
営業時間:6:00~19:00