72-山口県・松陰神社

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開運スポット巡りー72

小林 永周
学問、受検、資格取得、勝負運
72-山口県・松陰神社(しょういんじんじゃ)
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山口県萩市にある松陰神社は、地元では明治維新の原動力といわれる吉田松陰を祀る神社として有名で、山口県一のパワースポットと認める人が多いことでここに取上げました。
この松陰神社は、明治40年(1907)に、吉田松陰の松下村塾で学んだ伊藤博文らによって建立されました。
神社の境内には「吉田松陰歴史館」や「至誠館」などがあり、それに隣接して吉田松陰が幽囚されていた旧宅があります。
吉田松蔭ファンや幕末史好きの人たちにとっては人気のパワースポットといえます。
「松陰神社」は吉田松陰以外にも、松蔭の弟子だった人々の霊も合祀していて、それぞれのファンが参詣します。
この神社のご利益は、学業成就、合格祈願、就職、願望達成などで、とくに受験シーズンには多くの若者で混雑します。
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受験生に人気のおみくじは和傘の形をしていて、降られる前の準備と受験に結び付けているのかも知れません。
現在の社殿は、昭和30年(1955)に完成したもので。御神体には松陰愛の赤間硯と文書が数通、松陰の遺言とされています。
松陰の弟子達は、旧社殿を「松門神社」として、そちらに祀られています。
「松下村塾」と「吉田松陰幽囚ノ旧宅」は、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産(平成27年7月)に登録されています。
吉田松陰は文政13年(1830年)に長州・萩の杉家に生まれ、親類の吉田家に養子に入って勉学に励んで才覚を現し、22歳で脱藩し、江戸に出て、外国船に乗り込んで密航を企てて捕まり、国許に送り返されて幽閉されます。
松陰は幽閉されてから、藩主に次々と「新しい国づくり」のための意見書を出し続けます。
その松陰の元に集まった若者達が学んだ八畳一間の小家屋(後に建て増しします)が「松下村塾」です。
激しい気性の松陰は、幕府転覆のための革命児を育て、自らは日本の将来を憂いて、30歳の時に老中暗殺を企てた罪で再び捕えられ死罪になります。その遺体が運ばれて埋葬されたのが都内世田谷区にある「松陰神社」です。
松陰死した後、門人達の働きで幕府を倒し、明治新政府を興して門人達の殆どがその要職に就きます。
旧幕府側の目から見た時、世界文化遺産にもなった「松下村塾」は、靖国神社と並ぶ「勝てば官軍」の象徴とも映ります。
ならば、「戦いは勝たねばならぬ」として、松陰神社のご利益に「必勝祈願」を勝手に加えさせて頂きます。
なお、吉田松陰・教訓の一つに「己を知り敵を知るは百戦必勝なり」がありますが、これは現代でも通じる言葉です。
この松下村塾からは、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)、吉田稔麿、山田顕義など著名な門下生を輩出していますが、これも長州藩が長州藩と並んでの勝ち組だったからこそ、松門神社に神として祀られているのも尤もです。
受験だけでなく、社会的成功を臨む場合は、松陰神社と松門神社の双方に参詣されることをお勧めします。

松陰神社
所在地:山口県萩市椿東1537
電話・0838-22-4643
アクセス
JR山陰本線「東萩駅」からタクシーで約5分
萩循環バス(東回りコース)「松陰神社前」バス停より徒歩1分
料金:拝観無料(至誠館の有料展示室は500円)
拝観時間:松下村塾は8:00~日没、至誠館は9:00~17:00(入館は16:30まで)
駐車場:120台
公式サイト:http://www.shoin-jinja.jp/