築地・波除神社

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心霊研究の第一人者が推す
開運スポット巡りー28

厄除け、交通安全、家内安泰
築地・波除神社(なみよけじんじゃ)
(災難を除き、人生の荒波を乗り切る)

築地波除神社は、築地魚市場の場内と場外の境界にあり、350年前は海の中でした。
徳川家康公の江戸開府による慶長年間には今の築地から銀座一帯は一面の海で、日比谷までが汐入りで、東京駅のある八重洲も海岸でした。家康公は江戸城西の丸の増築によって掘られた大量の土砂を以って日比谷入江から埋め立てを始めます。
全国の大名から集めた人や物で徳川幕府4代にわたる大工事は、広大な芦原だった江戸を立派な都市に仕上ました。その工事のさ中に江戸の町を燃え尽す明暦の大火があり、4代将軍家綱公が進めていた築地の埋立工事も築いた堤防が荒波で崩されるなど困難を極めました。
萬治2年(1659)のある夜、海面に光る物を漁師が発見して引き上げてみると、立派な稲荷大神の御神体でした。敬い畏れた地元の役人が早速現在の地に社殿を作ってお祀りしたところ、波風がピタリと静まってり埋立て工事が順調に進みました。
人々は、その御神徳のあらたかさを敬い、稲荷大神を「波除神社」と尊称するようになりました。
さらに、雲を従える「龍」、風を従える「虎」を一体化させた万物を威伏させる「獅子」として、これを担いで回ったのが祭礼 「つきじ獅子祭り」とされ、社殿に祀られる獅子頭一対は中央区文化財に指定されています。
それ以来「築地・波除神社」は「災難を除き苦難の波を乗りきり、招福の道を開く神社」として、衣食住、殖産工業、商業など
にも福を招くとも言われ、多くの人に親しまれています。
境内には、高さ約2mの自然石で出来た日本橋から築地に市場が移った記念碑、厄除・災難除の「厄除天井大獅子」、家内安全を祈る「おきつね様」の像、男女和合祈願の「蛤(はまぐり)石」、食の健康を祈る「活魚塚」、鮟鱇(あんこう)の美味なるを知らせ食べられた鮟鱇を祀る鮟鱇塚」、同じ意味合いの「海老塚」「すし塚」「玉子塚」「昆布塚」・・・なんと、牛丼で知られる吉野屋の碑まであるのです。なんで魚市場に牛丼が? この謎は碑文を読めばすぐ解けます。

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吉野家は明治32年(1899)に日本橋の魚河岸で開業し、関東大震災後に魚河岸の築地移転と共に築地に移転、今でも第一号店は築地市場内で営業中、私(小林は)は寿司は大好きですが牛丼は大の苦手、それでも創業128年には敬意を表します。
波除神社で受け付けるご祈祷のご案内と種類は、厄除祈願・商売繁盛・初宮参り・七五三・新車祓い・交通安全・病気平癒・家内安全
芸能上達・魚例祭・心願成就・海上安全・ 営業隆昌・安産祈願・神恩感謝・合格祈願 などです。
夏越の例大祭(つきじ獅子祭)は、六月十日に大祭式を執行、十日に近い金曜~日曜に各種祭礼を執り行います。
「陰祭り」では日曜日に神社千貫宮神輿・天井大獅子(雄獅子)・弁財天お歯黒獅子(雌獅子)のどれか一基が、三年に一度の「本祭り」では、神社千貫宮神輿と雄雌どちらかの獅子二基が担がれ、神社から大通りまで道の両脇に縁日も立ち並ぶ賑わいの中を練り歩きます。
さらに、11月の酉の日には境内に熊手の市が立ち、神社では開運熊手神符「かっこめ・1000円」の授与があります。その「かっこめ」を受けた方には開運くじをお引きいただき、当たると金箔入りの縁起物「鯛金」が頂けます。
なお、この波除神社は、このHP「開運村」本部から徒歩7分の至近距離、開運道サロン行きの帰路にお立ち寄りください。
交通のご案内
最寄り駅
営団日比谷線 「築地」駅 徒歩7分
都営大江戸線 「築地市場」駅 徒歩5分
都営バス 「築地6丁目」 徒歩3分
〒104-0045
東京都中央区築地 6-20-37
電話:03-3541-8451
FAX:03-3541-8498
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