蒲郡クラシックホテル

 

 宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

蒲郡クラシックホテル

今回の旅行はこの蒲郡クラシックホテルに泊まるという事から始まりました。
ただ蒲郡の往復だけではもったいないと思ったので、名古屋の明治村、名古屋城、徳川美術館をくっつけて2泊3日の旅行にしました。
あこがれていたそのままのホテルでした。
明治45年に「料理旅館常盤館」として創業。その後は戦争を経て経営母体はいろいろ変わりましたが、平成24年に蒲郡クラシックホテルと名称変更しました。
菊池寛は「火華」の中に
 『蒲郡の淋しい駅、あの駅を通り過ぎる旅客の誰が、この淋しい街の海岸にこれほどの壮麗な旅館のあることを思い浮かべるだろう』

 池波正太郎はエッセイ「よい匂いのする一夜」に
  『まだ新幹線が出来る前の東海道線で西にむかうとき、列車が豊橋を過ぎて間もなく、左側の車窓も、小高い丘の松林から緑色の屋根の古風なホテルの背面が望まれ、それを眺めながら、そう思いもし、また、などか、その思いを実行に移した私だった。』

他にも三島由紀夫も「宴のあと」、与謝野晶子の「歌集」、志賀直哉のハガキに、川端康成の「旅への誘い―新女苑連載」「驢馬に載る妻」などにこのホテルのことが書かれています。

私も文才があればこのホテルのすばらしさを書けたのですが、ただただとっても素晴らしいホテルと風景だったとしか書けません。