富士山登山と御師(おし)

  宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 富士山登山と御師(おし)

前回書いた御師について再度書かせていただきます。
富士山登山は江戸時代に大流行になりましたが、大変費用がかかることから村で講を組み、その代表者が富士山の登るというシステムになっていったようです。
講の代表者たちを連れて富士山登山を企画するのが御師でした。
御師は民間宗教家として関東各地で活動していました。
富士山登山を目的に勤勉に働くことを勧め、貯蓄に励むように指導もしていたようです。
山開きの時期に関東各地から富士山までを案内して、道中の楽しさを教えながらのツアーコンダクターだったようです。
御師は単に案内世話をするだけではなく、祈祷によって寺院や神社に参詣する人々と神仏の仲立ちをする宗教者でもありました。
富士山北面の吉田口には登山者を泊まらせる家がたくさん並んでいて、御師自身も自宅を構えていた人がいたそうです。
今回は御師宿坊「旧戸川家住宅」という家に行きました。
門構は立派で、奥行きがかなりあります。どんどん宿泊者が増えたので奥に増築していったそうです。
富士山を登拝する人を富士道者というそうです。
彼らが着ていた装束が展示されていました。
中門の中には「ヤーナ川(間の川)」という川が流れていて到着や出発の際には水垢離を行う禊場となっていたそうです。
いまでもそこそこの水のきれいな小川でした。
門の前にたつとそこには富士山がくっきりと見えるそうですが、残念ながら今回は雲に阻まれてその美しい姿をみることはできませんでした。

今回の旅行では富士山の姿を拝むことができなかったことが心残りでした。
次回は絶対に目の前の大きな富士山をみるという決意で解散となりました。