戊辰・白河戦争ものがたり[鎮魂稲荷山]ー安司弘子

「戊辰・白河戦争」ものがたり

  鎮魂稲荷山

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長、NPO法人白河歴史のまちづくりフォーラム理事)

戊辰戦争から150年を目前にして、平成27年8月、あの5月1日の大激戦地稲荷山に、戊辰白河戦争の記念碑が建立され、「戊辰戦争白河口の戦い戦死者」の碑と「戊辰之碑」が並んでいます。
白河地方には、東西双方の戦没者に捧げた墓や慰霊碑が、おびただしくあります。その数は、ほかの戊辰戦争遺跡に例がないでしょう。
当時の住民の記録や談話では、双方の軍に対し、「官軍様・薩州様・長州様」「奥勢・奥兵・会津様・二本松様・阿部様」と呼んでおり、ことさらに差別していません。
この記念碑は、百日近い白河戦争で散華された、敵対する両軍の英霊の全員のお名前を碑に刻んでおり、「奥羽の咽喉」にふさわしいモニュメントです。
さて、稲荷山の地が競売にかかった時、西郷頼母研究家の堀田節夫さんは、他に転用されるのを懸念して購入し、その半分を白河市に寄贈され、稲荷山公園として活用されています。
記念碑は、建立の前年に亡くなった堀田さんの遺言により、白河市に新たに寄贈された場所に建てられました。堀田さんが建てた、あの「蝸牛歌碑」のすぐ近くです。

多大な支援を申し出て、背中を押して下さったTさん。記念碑の憑代となる、「戊辰之碑」を刻む自然石(鮫川石)を、自宅の庭からプレゼントして下さったWさん。そして、この趣旨に賛同され、支援してくださった、地元をはじめ全国のたくさんの皆様のご厚情で、この趣意は実現しました。

除幕式には、山口県からもお出でいただき、白河と萩の住職が並んで読経される光景は、参列者の胸を打ちました。この日、静かに降りつづく雨は、地下に眠る御霊の、嬉し涙だったのでしょう。

除幕式の翌年のある日、この場所に立つご婦人の姿がありました。今は亡きTさんの奥様です。傷心の彼女は、棚倉藩士として戦没した、夫の高祖父の名前が刻まれた碑の前に立ち、献花と祈りをささげ、ハーモニカで『故郷』の曲を奏でていました。
ふる里へ想いを馳せながら戦死した、御霊に捧げる荘厳な鎮魂歌でした。

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