会津探訪記-2

会津探訪記-2

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

日新館の次には飯盛山にいきました。そこにはブラタモリでも紹介された栄螺(さざえ)堂もありました。
さざえ堂は次にように紹介されています。

会津栄螺堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。 また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました。

 

さざえ堂に上って行く途中に戸の口堰洞窟がありました。ここを白虎隊の子供たちが通って飯盛山に登ったのかと思うと感無量でした。

そしてさざえ堂の奥に鶴ヶ城に向かった白虎隊十九士の墓がありました。

一人生き残った飯沼貞吉のお墓はそこから少し離れた場所にありました。
会津に来て見たかった場所の一つでした。
また飯盛山に行く途中に滝沢本陣があり、そこは白虎隊が出陣するときに藩主松平容保が見送りに来たところです。
会津若松は歴史的遺産がたくさんあり、また行きたい場所でした。