甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演 余談~8

このコーナーは安司弘子講師(左)と宗像信子講師(右)の担当です。

白河戊辰150周年記念事業
~「甦る仁のこころ 合同慰霊祭・特別記念講演」余談~8

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長)

2014年9月、歴史仲間が率いる「白虎隊の会」長崎支部が白河・会津を訪問。市内の史跡を案内し、友人にとっては既に馴染みになった「山の寺」での手作り懇親会でおもてなしをさせていただきました。
友人は私からのイベント案内や自身の企画で、これまで10回も長崎から馳せ参じてくれている得がたく有難い同士です。

翌10月には「会津・白河慰霊の旅」として、吉井克也さんを中心に活動する「白虎隊の会」下関支部のご一行がお出でになり、長州藩士の眠る長寿院はじめ戊辰ゆかりの場所にご案内。
戊辰の時、東山道先鋒として長州藩の諸隊を率いたのは中隊長の楢崎頼三です。諸隊士たちは白河の民衆と盆踊りを楽しみ、帰郷後にも懐かしんでそれぞれの地元で踊りました。
150年の時を経たいま山口県内の80カ所以上で踊られつづけ、「白河踊り」と呼ばれているのは奇跡としか言い様がありません。楢崎は白河で右手に銃弾をうけ負傷しましたが、会津戦争後、自刃白虎隊士でただ一人蘇生した飯沼貞吉を自分の所領地に連れ帰り養育しました。
このとき楢崎から貞吉の世話を頼まれたのが、吉井さんの曾祖母に当たる高見フサでした。
この旅は、会津の長州に対する長恨が語られ続けて現代に至ることへの、ある種の警戒心を持った旅であり長年の懸案だったということです。

遡って、2013年2月には「白河踊り調査団」が萩市を訪問しています。調査団の一員だった私は白河踊りの研究家中原正男さんとお目にかかり、その研究成果をご教示いただき顕彰してきました。その一つとして歴史春秋社刊のムック本『白河』に中原さんの研究成果を寄稿していただくなどしています。

同年4月、元萩市医師会長で「長州と会津の友好を考える会」代表の山本貞壽さんが野村萩市長の親書を携え「八重の桜・復興支援ツアー」と題し、20数名の一団を率いられました。
念願の吉田松陰が東北遊歴の折りに宿泊した旅籠(現旅館)を見学し、鈴木白河市長も列席した交流会では「白河踊り」をともに踊り盛り上がりました。前述の「調査団」が接待メンバーとしてお迎えしたのは言うまでもありません。
山本氏はこのとき差し上げた冊子『官軍戦没兵士の墓遍路』(金子誠三著)に強い関心を示されました。
山口県内で是非配本したいと切望されましたが、既に残部は無く急遽500冊を復刻。この500冊はすべて山口県下に配られました。
「白河踊り』の研究家中原正男氏とともに白河市と萩市の交流の下地を作られた山本氏の活動は、8月、「萩市民号」での公式訪問という形に結実し、市長を含む40名もの萩市民が来白されました。
9月、さらに山本氏は自身が所属する萩医師会の仲間たちをお連れ下さり、長州兵墓のある長寿院に再び参拝しました。

つづく