ポルトガルから北スペインへ-9

このコーナーは宗像信子講師(左)と安司弘子講師(右)の担当です。

ポルトガルから北スペインへ-9

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 私達の旅行記も次回が最終となります。
私がポルトガルを旅行先に選んだ理由は、ポルトガル人が最初に日本に来て、日本に海外の風を吹かしたことと、私自身がヨーロッパ大陸の西の果てに行ってみたかったからです。
私は九州の西の果ての長崎の島で生まれたので、何かそこに共通するものがあるかと思ったからです。
もう皆さまご存知のことではありますが、日本とポルトガルの歴史に少し触れてみます。
ポルトガル人が日本に初めて到来したのは1543年,ポルトガル人を乗せた中国船が種子島に漂着したからです。その時、鉄砲(火縄銃)の技術が日本に伝わりました。その6年後ポルトガル国王の命でイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル(スペイン出身)が鹿児島に上陸し,日本にキリスト教を伝えました。1550年からポルトガルは,日本・中国・ポルトガルの間で「南蛮貿易」をスタートさせ,戦国武将の織田信長や豊臣秀吉らもそれを後押して経済基盤を強化していきました。しかし,一方で,西国大名が南蛮貿易で財力を増したり,カトリックに改宗したキリシタン大名が出現したりするようになり,これに危機感を抱いた江戸幕府は,海外貿易を制限し,キリスト教の信仰を禁じるといった鎖国政策に転じました。そして,1639年,江戸幕府はポルトガル船の入港を禁止することになりました。
(注)写真は、リスボンのベレンの塔・Santa Maria de  Belém です。