マリちゃん雲に乗る (1)旅立ちー5

 

マリちゃん雲に乗る

   宗像 善樹

(1)旅立ちー5

 初め、二人は、私を連れてマイカーで逃げるつもりでした。
ところが、車のエンジンをかけたお父さんが、焦って叫びました。
『まずい。ガソリンが少なくなっている。ひと晩中エンジンをかけていたので、残りがなくなった。このまま車を走らせると、途中でガス欠になる。道路に車を放置することはできない。交通のじゃまになる。町が準備しているバスに乗って避難しよう』
 お母さんが泣き顔になって、叫びました。
『バスにはリリーを乗せてもらえない。リリーをどうするの』
 お父さんが、お母さんの不安を打ち消すように説得しました。
『大丈夫だよ。どうせ、二、三日で戻れるはずだから。それに、リリーはしっかり者だから心配ない』
そのときのお父さんは、地震の避難だからすぐに家に帰れると思っているようでした。 お父さんが、車の床に三日分のごはんと飲み水を置いて、わたしに言いました。
『二日間、この車の中で待っているのだよ。必ず、戻ってくるからね』
 そして、車の後部座席のドアを、わたしの体が出入りできるくらいに開け放して、大きな石をドアのところに置いて、ドアが風などで閉まらないようにしました」
 話をしているリリーの目から、涙がこぼれだしました。
「お母さんが泣きながら、『ごめんね、ごめんね』と云って、私の体を強く抱きしめました。
 お父さんも、泣きそうな表情で、『雨や雪が降ってきたら、この車の奥にいるのだよ』と云って、私の頭を何度もなんども撫でました。
 二人はわたしの方を振り返り、振り返り、集合場所へ向かって行きました。
 見送ったわたしは、避難は少しの間で、二、三日すれば、またお父さんとお母さんに会えるものだと信じていました。まさか、永遠に会えなくなるなんて、思ってもいませんでした」
 リリーが、泣きながら言いました。
「結局、二人は戻ってくることができませんでした。わたしは、お父さんとお母さんの匂いが残っている車のシートにじっとうずくまって、いつまでも、いつまでも、二人の帰りを待ち続けました。
 そのうち、食べるものも水もなくなってしまいました。水を探しに車の外に出てみたら、カラスが死んだ仲間の体を突いているのが見えました。怖くて急いで車の中に隠れました。
 それからは、ずっと車の中にうずくまり、お父さんとお母さんが帰ってくるのを待ちました。そのうち、だんだん体が痩せてきて、喉がカラカラに渇いて、目の前が真っ暗になってきました。
でも、お父さんの言いつけを守って、車の中で両親の帰りを待とうと思いました。
そして、最期になって、ここへ昇って来て、天の川の河原に着いたのです」
リリーが、マリちゃんや仲間のみんなを見つめて言いました。
「避難してから約1ヶ月後、わたしのことが心配だったお父さんとお母さんが、避難先の埼玉県加須市の高校の体育館からこっそりわたしの様子を見に帰ってきました。そこで、車の中に横たわっている痩せこけたわたしの死体を見つけました。二人は、冷たいわたしにしがみついて、半狂乱になりました。
 お父さんは、『俺が悪かった。俺が悪かった。無理してでも、バスに乗せて一緒に連れて行くべきだった』と、号泣しました。
 お母さんは、地面にぺたりと腰を落とし、頭を車近くの地面にこすりつけ、『リリー、ごめんね。リリー、ごめんね』と、わたしを抱きしめて泣きました。
 リリーが、声をあげて泣きました。
「雲の隙間から、つらい避難所生活に耐えているお父さんとお母さんの姿を見たわたしは、哀しくて、哀しくて、涙がとまりませんでした」
 リリーの悲痛な声を聞いた東北の動物たちが、いっせいに声をあげて泣きだしました。みんなそれぞれ、優しかった自分たちの家族との楽しかった生活を思い出して、泣きました。泣き声は、いつまでもやみません。

 つぎに、柴犬の二歳の男の子が、泣きじゃくりながら話しだしました。
「僕は、おばあちゃんと一緒に公園を散歩していたら、とつぜん大津波に襲われたの。
後ろから迫ってくる津波に気がついたのだけど、おばあちゃんは足が不自由だったから早く走れなかった。僕は必死におばあちゃんを引っぱって走ったけど、おばあちゃんは途中で走れなくなって、しゃがみ込んでしまった。僕は慌てて引っ返して、おばあちゃんの胸に飛び込んで、おばあちゃんを守ろうとした。だけど、津波の勢いが凄くてそのまま二人とも海の中に巻き込まれてしまった。おばあちゃんが僕を抱きしめながら流されていたら、津波にのみ込まれた家の屋根にしがみついていた若い男の人が、必死の形相でおばあちゃんに手をさしのべてくれた。でも、おばあちゃんが両手を出してしまうと、僕を手離すことになってしまう。おばあちゃんは手を出さずに、ごうごうと荒れ狂う津波に押し流されながら、そのまま両手でぼくをしっかり抱きしめていてくれました。最期に、おばあちゃんが苦しそうに海の水をたくさん飲みながら、僕に云いました。『小太郎、ふたりで一緒に天国へ行こうね』。おばあちゃんは、僕を孫のように大切にしてくれました。だから、早くおばあちゃんのところへ行きたい」
 小太郎の話を聞いた周りの星たちが、いっせいにおいおい泣きだしました。
マリちゃんも、自分の家族を思い出して泣きました。
 この様子を見ていた彦星さまが、涙声でマリちゃんに促しました。
「マリちゃん。今度は、マリちゃんが家族の思い出を話して、東北の仲間や星たちの気持ちを癒してあげたらどうだろう」
「はい、わかりました」
 マリちゃんは涙をぬぐって素直に返事をし、自分が赤ちゃんだったころを思い出しながら、14年7ヶ月の間、地上の家で過ごした家族との楽しかった日々を一つひとつ話し始めました。
 星たちは、涙で滲んだ目をキラキラ輝かせながら、悲しみや寂しさで泣きじゃくっている東北の動物たちを、マリちゃんの周りに集めました。
 星たちは、マリちゃんが地上にいたとき、夜に、クークー寝ているマリちゃんを見守っていただけで、昼間、元気に飛び跳ねているマリちゃんの姿を見たことはありませんでした。星たちも、マリちゃんの話に興味津々だったのです。