浜離宮恩賜庭園ー2

宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 お浜御殿という徳川将軍家の別邸は12代将軍家慶の時代までは将軍家の鷹狩りの場でもあり、華やかな歴史で彩られていました。
ただ別荘といっても、宿泊施設はありませんでした。
その当時の将軍さまは、どこを訪れるのも日帰りが基本だったそうです。
ですから今でいう別荘とは違っていました。
広い敷地だったので、浜奉行は薬草を栽培し、大きな薬草園があり、海に面していたので製塩もしていたそうです。
そこから収穫される薬草や塩を将軍さまに献上し、また勘定方に納め、その残りは売却して収入を得ていました。ですからこの浜御殿には町人もかなりに出入りしていました。
そういう意味では普通の武士の仕事だけではなく商売にも通じていたようです。
このような優雅なお浜御殿がペリー来航からだんだん軍事的な場所へと変化していきました。
14代将軍家茂が京都でなくなられて、そのご遺体が大阪から幕府軍艦で浜離宮に運ばれてきました。
また15代将軍慶喜は京都から開陽丸で逃げ帰ってしまったときに、やはり浜御殿に到着しました。

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築地にあった海軍練習所をこのお浜御殿に移転してからは、もう優雅なお庭ではなく軍事基地的な意味合いをもった場所になってしまいました。

(注1)写真は汐入の池の端にある松の御茶屋ですが、現在は利用することはできません。
(注2)宗像信子さんは、お浜奉行・木村家のご子孫です(村長)。