浜離宮恩賜庭園ー3


宗像 信子
(開運道芸術部門顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

浜離宮恩賜庭園ー3

今回の写真は汐留にあるコンラッドホテルの28階に上り撮影した浜離宮公園の眺望です。
このホテルは東京湾や浜離宮を一望できるということを特色にしています。
本当に28階に上がってみると前面に東京湾と浜離宮が見え、その眺望を楽しみながらお食事やお茶ができるようになっています。
この季節はほとんど緑の森と池の水色ですが、梅、桜、菜の花のときはとてもカラフルになります。
なんでこんなに浜離宮にこだわるかというと、村長のお言葉にあるように私は代々この浜離宮の浜奉行を勤めた木村家の末裔になるからです。
幕末の歴史に登場した木村摂津守喜毅の玄孫(孫の孫)になるからです。
木村喜毅は1830年にこの浜離宮で生まれました。
12第将軍家慶にその父喜彦共々可愛がられ、まだ満12歳の時に17歳ということにして江戸城に浜奉行見習いとして初出仕したそうです。
その後も昌平黌の先輩の岩瀬忠震らに可愛がられ引き立てられたことによって出世していきました。
歴史に登場する最初は長崎海軍伝習所の2代目伝習所所長になったことです。
この時に伝習生に勝海舟や榎本武揚がいました。
またオランダに幕府が依頼していた軍艦咸臨丸が長崎に到着しました。
その後長崎海軍伝習所は築地に移転しました。
この海軍伝習所がまた浜離宮に移転するというご縁に感動します。
そしてその後、平成になって私が築地の花見サロンに出入りさせていただいているご縁にもご先祖さまはびっくりしていらっしゃるのではないでしょうか?
木村喜毅が歴史的に有名なのは1860年にあの咸臨丸でサンフランシスコに提督として航海したことです。
この時の乗員には艦長の勝海舟、従者としての福沢諭吉がいました。
またあまり知られてはいませんが、江戸城を新政府に明け渡す時の最後の勘定奉行で、幕府の財産を清算して新政府に引き継ぐという大仕事をし終えました。
その数日後まだ39歳でしたが、引退をして政治の舞台から去りました。
その後は明治政府から何度も出仕を請われましたが、一切固辞して一介の市井人になりました。
そして生涯幕臣として生き続けました。ただ福沢諭吉先生とは生涯の友でした。
二人とも仲良く1901年に残念ながら亡くなりました。
ではこれで浜離宮についての物語は終わらせていただきます。
3回もお付き合いしていただきありがとうございました。