月別アーカイブ: 2020年8月

去る者、生まれる者


 去る者、生まれる者

 世の中が新型コロナと熱中症騒ぎで連日騒然とするさ中、安倍首相の連続在任日数が2800日を超え、ついに大叔父・佐藤栄作の記録を更新して念願の歴代首相の在任最長記録を達成して日本の権政史上に名を刻み、思い残すことなく退陣となりました。
 これで、2006年からの第1次安倍政権を、持病の潰瘍性大腸炎悪化を理由に在任わずか1年で投げ出して悪評を買ったあの時の屈辱は帳消しにしたと思っているはずです。しかし、前任者が水面下で二島返還・後は話し合いまで持ち込んでいた北方領土問題は完全に立ち消えになり、拉致問題も未解決、死者まで出した公文書改ざんという世紀の悪業に絡んだモリカケ問題も未解決、在任期間の長さだけが賞賛されていいものか。体調不良に同情の余地あれど、これから起こる後継者争いの醜い泥試合を想像するとうんざりです。
 とはいえ日本には武士の情という美徳があり、病人は責めない、去った者は追わないという不文律がありますので、暗黒部分はこれで幕引き・・・納得は出来なくてもこれが現実です。
 せめて朝晩が涼しくなって秋の気配で熱中症の危機が去り、新型コロナウイルスが下火になれば社会的ストレスは収まりますが、まだまだ我慢の日々は続きそうです。それにしても今年は妙に周囲に不幸な出来事が続いています。
 と、ここのところ愚痴の多い村長の一言ですが、個人的には嬉しい出来事もあるのです。
 私の次女の長女が男の子を産みました。私からみて曽孫すなわちヒイ孫、私はひい爺さんになったので、もう満足です。
 遺伝子としては私からみて八分の一になりますが、これで種族保存の一役は担ったような気分です。あとは全力で弟子育てです。
 こうして、去り行く者と生れ出ずる者とが入れ替わって、永遠の営みがあるのですから、死もまた喜びとなり得るのです。
 ということは、何もしなくても長生きすればこうなるのですから、国を背負って頑張った安倍首相の最長記録は、多少の悪業や裏があったとしてもそこは政治家、やはり凄い手腕だったのかも知れません。これからは、一日も早く体調を回復して、いさぎよく国会の場で、国民の疑問に答えてほしいもの、褒めるのはそれからにします。

お盆の供養


 お盆の供養

 今年のお盆は墓参も兄弟家族の集まりもやめて、私は静かに自宅で亡き父母と兄を偲びました。
 あなたは、連日のうだるような猛暑に耐えていかがお過ごしですか?
 例年ならお盆休みでの列島大移動で高速道路は大渋滞、新幹線も空の便も大混雑ですが、今年は少し様子が違うようですね。
 今年は新型コロナウイルスの影響で何もかも歯車が噛み合わず、どんな企業努力も空回りするばかり、底力のない企業はあと半年もこのような状態が続けば、耐えきれずに脱落してゆくのは誰の目にも明らかです。
 熱中症もバカには出来ません。猛暑といわれた2018年夏の死亡者は全国で1500人を超えました。今年はまだまだ猛暑日が続くと予測されますから死者の数も増えそうです。とくに熱中症の死者は圧倒的に高齢者が多いことから私も予備軍、気をつけます。
 それ以上に脅威なはずの新型コロナウイルスは? こちらは医療関係者や行政を含む官民の努力で国内での死者は、今のところ1100人ほど、世界のコロナ死者が76万人を超えたことを勘案すると特筆すべきことです。
 もちろん、周囲のため人や自分のためにも感染しない努力が大切なのは当然です。
 折しも昨8月15日は終戦記念日でした。
 私はその時小学3年11歳、千葉県市川市に居住し、1945年3月10日夜の米軍による東京の下町大空襲を目撃しています。
 それまでにも何度かB29の編隊による東京空襲はありましたが、山の手空襲の時は米国空軍の編隊はかなりの上空を飛んでいて、爆撃時の音も聞こえませんから、あまり気にもとめませんでした。
 ところがこの夜の爆撃機の編隊は下町殺しが狙いですから、B29重爆撃機10機ほどの編隊が、上空に護衛の戦闘機を引き連れて、市川市上空ではすでに高度を下げて爆撃の態勢に入っていたことになります。
 その夜の凄まじい爆音は地を割くかのように響き、非常サイレンで、裏山に掘った防空壕に潜っていた私たち悪ガキは制止する大人の手を振り切って暗い裏山に駆け上り、ことの成り行きを見守ることになりました。
 その私たちの頭上の夜空を千葉方面から飛来するB29の編隊が轟音たてて通り過ぎるさ中、先発隊の爆撃が始まりました。
 すでに火が燃え広がっていて、東京の空は真昼のような明るさでした。
 爆撃機の下から真っ黒な爆弾が雨あられのように降り注ぎ、それらが地上で爆裂して周囲が火の海になるのを息を呑んで見ていたのです。そのうち、自分たちは安全なこと知った大人たちも集まって裏山はまるで展望台でした。
 日本の戦闘機も果敢に攻撃しますが数でも性能でも劣るのか次々に撃墜され黒煙を噴いて落ちてゆき私たちを落胆させます。
 米軍は一日も早く勝利を得るために、戦争のモラルを捨てて軍隊ではない一般市民殺戮に方針を変えたのです。
 この日は住宅が密集し人口密度が高い、当時の深川区の北部と本所区・浅草区・日本橋区などの市街地を、焼夷地区第1号に指定して絨毯爆撃したそうですが、その日は西北からの強風で江戸川区まで燃えつくしたのです。
 米軍がこの日に用いたのは、日本向けに開発した油脂焼夷弾1665トン、その他の爆弾も多く、出撃したB29重爆撃機は150機以上、罹災家屋は約27万戸、罹災者は約100万人、焼死者約10万人(20万人説もあり)の大惨事でした。
 翌日、年長者の引率で悪ガキ一同10人ほどで江戸川の国鉄鉄橋を渡って江戸川区の荒川放水路近辺までくすぶる火事跡から焼死体が運び出されて荷車に積まれるのを見ながら戦争の悲惨さを子供心に感じたものでした。
 その後、父母の実家がある福島県喜多方市に疎開させられ、4月からさらに激しさを増した米軍の空襲を目にすることはありませんでしたが、東京空襲だけでも60回を越え、負傷者死者罹災者は激増しています。
 しかし、悲劇はさらに続きます。
 8月に入って広島・長崎と続けて落とされたプルトニュム型原子爆弾での死者は12月までに広島13万人、長崎が7万人の大量殺人、まさに悪意ある虐殺です・
 この第二次世界大戦での死者の総計は世界中で5000万〜8500万人(病気・餓死・虐殺含む)とされていて未だに判然しません。
 日本政府が正式にみとめている日本の戦没者は230万人ですが.、その内の半数以上は戦地での病気・餓死ですから悲しいです。
 これもこのお盆には心からご供養させて頂きました。
 このお盆は私にとって、格別の思いがあります。
 つい先日の球磨川氾濫で家屋ごと流されて海で発見された鮎宿の主の葬儀の日程がまだ決まらないのです。
 私個人としてはお盆に先立ち築地本願寺に詣で、合掌・黙祷でご冥福を祈ってご供養をさせて頂きました。
 これで私の三大生き甲斐の一つだった「下手な大鮎釣り」は卒業です。

500人抜き


500人抜き

 梅雨明け後も新型コロナウイルスの猛威は止まず、東京都内では連日200人超の感染者が続出、この危機的状況にも慣れっこになったのか、もう誰も驚きません。これが当たり前の日常になりつつあるのは恐ろしいことです。
 先日の遅い午後、私は家で急用ができたので地下鉄日比谷線築地駅から下り北千住方面竹ノ塚行きにに乘りました。車内は空いていましたので座席には余裕がありました。次の八丁堀駅で、70代と思しき恰幅のいい爺さんがマスクなしで乗利込み、周囲からジロジロと顰蹙の目で見られているのにも関わらず、「どうだ!」と言わんばかりの生意気顔で周囲を睨み返しているのです。その頑固爺さんは中ほどの席にどっかと座り、その両隣が逃げたのを幸いに大股広げで周囲との軋轢を充分に楽しみ、得意気な表情で北千住駅でて降りました。なるほど、年寄りにはこんな反社会的な楽しみ方もあるのかと感心した次第です。あの時、私が予備のマスクを持っていたら、迷わずこの爺さんに進呈したと思いますが、その結果がどうなったか? こちらも興味あるところでした。
 この爺は多分、元それなりの会社役員を定年退職し、現役時代の威張り癖が抜けずに、家族にも友人知人にも相手にされず、仕方なくこうして世間に毒づいて日頃のうっ憤を晴らしているものと想像しますが、その結果、この頑固爺さんが持ち込むコロナウイルスに感染して苦しむお孫さんやご家族の悲劇を思うと気の毒でなりません。因果応報、墓穴を掘る行為であるのは間違いありません。
 是非この真似はしないでください.、私もしません。

 大相撲大阪場所は、モンゴル出身の伊勢ヶ濱部屋・照ノ富士の2回目の優勝で幕を閉じました。私の友人が創立した千賀の浦部屋は全滅しましたが仕方ありません。
 ひざのけがや糖尿病などのため9場所を休場して大関から一気に序二段にまで陥落した照ノ富士の復活優勝は、殆ど奇跡に近い出来事で、日本の力士ならとっくに廃業引退です。それに耐えて勝ち抜いての復活優勝ですから、コロナ禍と熱中症騒ぎで閉塞状態の世の中に一陣の涼風を送ってくれたと感謝し、優勝と殊勲賞&技能賞への祝福の拍手を惜し気なく送ります。
 なにしろ、序二段から幕内優勝への道のりがどれほど遠いものか数字でみてみます。
 現在の大相撲では、番付には6つの階級と10種類の格付けがありります.
 上から数えると、横綱、大関、関脇、小結、前頭と5つの格付けがある幕内、次に十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口と続きます。
 俗に「褌(ふんどし)担ぎの蔑称で知られル入門者や弱い取的の溜まり場である序の口と序二段には定員がありません。ここではまだ一人前の相撲取りとは認められていないのです。この上の三段目は定員200名、幕下が120名、十両が28名、幕内は42名です。
 と、いうことは、序二段まで落ちた照ノ富士は、元大関である身を捨てて入門早々の新人などと取り組む屈辱に耐えて勝ち進み、短期間のうちに毎場所勝ち越しの結果、約500人抜きで幕内最高優勝を果たしたことになります。
 長い大相撲の歴史の中でも大関から序二段まで落ちて再び大関に戻ったという奇跡的な復活は聞いたことがありません。
 私は日本人の力士から横綱が出て欲しいと願っていますので照ノ富士の横綱は望みませんが、是非にも頑張って大関復帰は果たしてほしいと願っています。今の幕内下位から大関まではまだまだ遠く険しい道のりで、強力なライバルが切磋琢磨して覇を競っていますから、ここまでのように勝ち進むことは容易ではありません。それでも頂点の横綱目指して頑張り抜くことが出来れば夢は叶います。
「地獄の釜の底を見た者は怖い者知らずだから強い」の俗諺は今も生きているのです。
 自分も頑張らなきゃ、と思い知らされた次第です。