月別アーカイブ: 2014年7月

高校野球に想いを馳せて


高校野球も各地で甲子園出場校が決まり始めていよいよ夏本番です。私が子供の頃は、まだサッカーは知りませんでしたから男の子は誰でも野球でした。
 中学までは私も野球漬けで県大会まで・・・高校は定時制で野球部はありませんでした。その子供時代の野球好きが高じて、花見化学を立ち上げた時は早速、野球チームを作りました。営業社員には、積極的に対戦チームを探させ、日曜日は毎週、取引先のどこかと試合です。
 当時はまだ週休5日制は定着していませんから土曜日はナイターです。とはいっても照明設備のある球場は限られていますので、相手が決まる前から予約を済ませています。なにしろ、社員には元高校球児かいて仕事より野球が好きな連中ばかりでしたから連戦連勝でした。やがて、ボーリングと麻雀ブームがきて野球の対戦相手がいなくなり、社内野球は終わりました。
 その後、縁があって元中日ドラゴンスの4番打者でプロ野球監督を経た江藤慎一氏が私の元に来ました。そこで意気投合し、少年野球育成を目的とした元プロ野球選手による野球指導の会を始めました。これには名球会の方々の賛同もあり、各地から依頼が来て順調でした。
 ただ残念なことに、これに目を付けた当時与党の大物政治家が地元の支持者を集めて自分の売名行為に利用したのです。
 これを後で知って私はがっかりしました。
これは、純粋に野球が好きで始めた私の趣旨とは反しますので、私は江藤氏と話し合って少年野球ボランティアから手を引きました。この少年野球のおかげで、長嶋さん、王さん、金田さん・・・沢山の野球人とも知り合いになりました。その時代の相棒・江藤慎一氏も修善寺に野球学校を開いて志半ばに逝き、残念ながら夢は実りませんでした。
 そんな経緯を経て、私は今でも高校野球が始まると、自分の青春の血の騒ぎを感じます。しかも、その血の騒ぎは野球だけに向かっているのではありません。高校野球が始まるころから鮎釣りの支度をするのが、ここ数年の週間だからです。
 心はすでに、熊本県球磨郡を流れる日本三大急流の一つ、球磨川の大鮎釣りです。
 自分の腕は下手でも地元の釣友には恵まれていますので、現場の心配は何もありません。あとは、急流の中に運の悪い大鮎がいて、私の運が良ければ釣れるはず、です。
 そんなヘボ釣り師の私に、大鮎釣りの本を書かないか、と物好きな出版社の社長が言います。
 私は以前「巨鮎(おおあゆ)に憑かれた男たち」を出刊し、それはそこそこ売れました。
 東京駅八重洲口のブックセンターでは、一般小説枠で山積みしていました。
 その二番煎じを狙っての提案ですが、釣りブームはとうに去っています。
「今更、そんなの誰が読むと思うんです?」
「全国の鮎釣りファンは読みませんか?」
 これこそ、とんでもない誤解というもの、人は自分にプラスにならない本は読まないものです。全国各地の鮎河川を渡り歩いた私の実力を知る釣友が、腹を抱えて笑う姿が目に浮かびます.その悪夢を振り払うように「今年こそは尺鮎を!」、と小声で呟いています。
 足首の捻挫はかなり腫れと痛みが失せています。何とか川に入るまでには完治しそうです。

健康が一番


 各地で高校野球・夏の大会の予選で熱戦が続いています。
 この季節の約3週間の毎土曜、私は朝の天気予報を気にして過ごします。山口放送の私の占い番組が、高校予選実況があると潰れるからです。
 以前、鮎宿から放送予定でしたが、テレビの天気図で山口地方は晴れでしたので安心して川に入りました。ところが山口地方のにわか雨で、急きょ番組が始まると携帯に連絡が入りました。さあ大変、中州に入っての鮎釣りを中断して原稿を用意して、瀬音の中での放送となりました。
 これに懲りて、今ではいつでも間に合うように待機中、一昨日の土曜は野球で番組は飛びました。家族行楽も、この3連休は不安定な天候ですので、行楽予定が狂った方も沢山いると思います。ましてや、21日の「海の日」などは水温も冷たく海は荒れているとの情報です。
 それなのに、こんな日でも海で泳いで溺死する人がいるからやり切れません。なにもそうまでして泳がなくても、これは正論ですが正しいとは限りません。泳いだ本人は水泳が得意で、自分が溺死するなど考えてもいないからです。
 昔からの俗諺に「うぬぼれとカサブタのない人はいない」があります。その小さなうぬぼれで墓穴を掘ることはよくあることです。
 最近、私の周囲の隠居仲間が、糖尿だの前立腺だの心筋梗塞だのとよく倒れます。
 それでも「自分だけは」とひそかに健康自慢を自負していました。それが、二週間ほど前に右足のくるぶし下の筋肉の筋を傷めてしまったのです。
 変な座り方をしたときに、右足首下の筋を傷めて軽い捻挫の症状を感じました。少々不自由を感じましたがそのまま普段通りの生活をしていたある日のことです。重い荷物を持ったまま足首に痛さを感じてバランスを崩しました。
 その瞬間、ギクッと完全に筋を傷めた衝撃的な感覚が背筋まで走って今度は重傷の捻挫です。
 思わずうずくまって、最初に頭にめぐったのは「鮎釣りに間に合うか?」です。腫れた患部を冷湿布して薬剤を塗り、すぐに手当したのですぐ激痛は止まりました。
 少し筋を痛めただけでアキレス腱を切った訳ではありませんので日常生活にも支障はありません。しかし、河原の大石小石を歩き激流に踏ん張るには足首の筋の痛みは致命的欠陥になります。
 8月に入って九州の釣友から「大鮎が出たぞ!」の一報が入れば、すぐ行かないと一年を棒に振ります。今は、かつて直接指導で学んだ「蔡一藩(さいいっぱん)」の中国式ツボ療法などで必死にリハビリ中です。内心の焦りを顔に出さず、ひたすら大鮎釣りが出来る体作りに励みながら仕事をしています。
 それにしても、やはり「健康が一番」、これが今日の私の実感です。

愚の一念!


お元気ですか?
台風一過、暑い土曜日を迎えました。
 私の生活の一部の鮎釣りも、7月の中旬からが本格的な盛期に入ります。
 鮎釣りというと一般にはどの河川も6月1日頃ですから、これからは残り鮎です。残り物には福があるといいいますが、私はまだ何の準備もしていません。以前は解禁前夜から河原でたき火をして・・・でしたが、今はその気もありません。
 釣り仲間からの誘惑にも、全く気が動かないのです。
 では、鮎釣りを辞めた? とんでもない、下手ながら鮎釣は私の生活の一部ですからやめる気など全くありません。
 8月中旬を過ぎると、追い気のある強い縄張り鮎は一通り釣られて塩焼きになり、魚影も薄くなり釣り人も激減します。
 その頃から私は竿を出して、もぞもぞと支度を始めてスケジュールを組みます。まだ一か月以上も先のことですから、慌てる必要はありません。
 熊本県八代市の釣友から「今年は鮎が少ないばってん、あまり釣れんで!」という朗報も入っています。
 釣友はがっかりした口調ですが、私は一瞬、「ヤッタ!」と心躍るのです。
 ホームグラウンドの九州球磨川(熊本県)の鮎は、極端に数が少ない年は大雨の後に暑く晴れた日が続けば驚くほど大きく育ちます。
 昨年は台風が多く餌のコケが少なく鮎が大きく育たず、ガッカリしたものです。河川条件が良好で魚影が濃すぎても、少ない餌場の縄張りを守るための闘いに明け暮れて餌を食む時間もなく餌も少なく鮎は大きくなれません。
 今年も今のところ台風の影響で川は増水し、弱い鮎は激流に流されて下流域に落ち。ますます残り鮎は少なくなります。この数少ない鮎が、天候さえ回復すれば広大な大河の縄張りを独占して良質の苔を存分に食べて巨大化します。鮎が少ないと釣るのには苦労しますが、掛かれば大きいはずです。
 炎天下の河原の石は火傷をするほど熱いのに、胸まで浸かった水流は体を快く冷やしてくれます。大鮎との遭遇をイメージして、川底の大岩を縄張りにする大鮎に向けて、大きめのオトリ鮎を刺客に送ります。自分の縄張りに侵入したオトリ鮎を見て、怒り狂った大鮎は猛然と体当たりして来ます。
 その結果、オトリ鮎に仕掛けた3本イカリが体に刺さって暴れ、流れに乗って脱出を図ります。なにしろ、オトリ鮎もまだ元気なら大鮎2体が一気に激流に潜って下流に走るのですから力比べになります。
 糸が切れないのを願って激流での大鮎とのやりとり、それを考えただけでも気が高ぶって眠れません。夜、眠れなければ昼間仮眠すればいいのですが、昼間はもっと思いが強まります。
 糸が切れないように太い丈夫な糸を使えば? これを試みて釣り人は値は高くても丈夫な竿を求めます。仕掛けが丈夫過ぎると、竿に負担が大きく掛かって、無理に頑張ると竿が折れます。
 そこで釣り人が竿を溜め乍ら一歩二歩から10メートルぐらいまで下がって、大鮎に対抗します。すると根負けした大鮎が抵抗を弱めますので、それを機に引き上げて手編に収めて万々歳となります。
 さて、こんな白昼夢を考えて毎日を過ごしていますが、8月末からはまた台風シーズンです。増水して濁流渦巻く球磨川では鮎は釣れません。鮎は海に下って姿を消し、私の1年も終わります。そうなると、こうして竿も出さずに1年を無為に過ごしての後悔と悲しみ・・・これを考えるとまた眠れません。
 大鮎じゃなくてもいいから、とりあえず鮎釣り、この誘惑に乗ると大鮎とは無縁になります。手頃な鮎なら関東近県のどこにでもいますし、そこそこは釣れるからです。それでもいいか、と、悪魔のささやきが・・・いや、やはり下手な釣り師の大鮎狙いで愚の一念、初志貫徹です!
 あれこれ考えて今日も寝不足です。

母の健康


お元気ですか?
 今日は私の母親と心身の健康について一言、私なりの考察をお許しください。
 先日来、度々話題に載せていますが実母の100歳祝いの会を1ケ月後に控えています。母は大正3年8月生まれですから今、99歳と11ケ月です。
 母の100歳祝いを、と通知したところ、日頃は疎遠の身内から疑問めいた電話が入りました。
 数年前、点滴と酸素吸入で病死寸前、要介護度5の母しか知らない身内ですから無理もありません。今の母は、杖なしで歩けて針に糸が通せて縫物が出来る、新聞を読み詩吟を唸ります。遠い身内は、要介護度1に生き返った母を想像も出来ないのだと思います。
 今の母は毎日が楽しいらしく笑顔が多く、お出かけの時はオシャレもします。もしかすると、母は本来が長生きのタイプなのかも知れません。
 なれば、私も長命かも知れません・・・とはいっても男は短命なのです。
 本日4日未明、嫁(長男の妻)の実父が長い闘病生活の末に逝去しました。私より10歳も若いのに残念でなりません。
 謹んで瞑目し安らかにと祈るのみです。
 それにしても年々、周囲の友人知人から体調不良の通知や愚痴が多くなっています。数日前、図書カード会社の社長だった何十年来の親しい知人が心筋梗塞で倒れました。これは、長年の釣友が川に同行できなくなった以上に悲しい出来事です。一緒に電子書籍会社を始めるところでしたから中途挫折、でも健康第一、回復を待つばかりです。
 それにしても、健康な心と健康な体で毎日を楽しく過ごす工夫は? ストレスが少なく適度の運動と食事と睡眠、これで無理をしなければ病気になり難い・・こんなことは誰でも知っています。
 私は78歳と7ケ月、おかげさまで10年来記憶にある限り歯科以外の病院とは無縁で生きています。多分、母も私も楽天的でストレスが少ないタイプだと思います。
 どうか、この一文を読んだら、私の実母の生き方も参考にしてください。