月別アーカイブ: 2014年9月

怪童・逸の城


 お元気ですか?
 相撲界でも凄い若者が活躍しています。
 92センチ約200キロ、モンゴル出身の逸の城(21)、実業団優勝の看板はダテではありません。十両優勝から快進撃で幕内入りです。
 東京・国技館での大相撲秋場所13日目の26日(金)、横綱白鵬が苦手の豪栄道に3連敗でついに黒星が一つ付き、41年ぶりに横綱鶴竜を倒して一敗を守った新入幕の怪童・逸の城、14日目の結びの一番で優勝を賭けて戦い白鵬に敗れて2敗にはんありましたが立派なものです。本来であれば番付最高位の白鵬の14日目の取組は大関の琴奨菊でしたが、慣例を破っての新人との対戦となり相撲ファンを沸かせました。ただ、稀勢の里戦も鶴竜戦も、最初からハタキ込みを狙っていたというセコさが気になります。勝負ですから勝ち負けは仕方ありません。勝てば官軍、負ければ賊軍は昔からある俗言ですし、ハタキ込みは立派な相撲技で、私の親しい仲間の千賀の浦親方も、関脇舛田山時代の決め技はハタキ込みでしたから文句をつけるのは筋違いですが、舛田山は突き押し+ハタキ込みですから許されます。最近の注文相撲は立ち合いの変化+ハタキ込みですから騙し討ち、相撲の面白みも醍醐味など少しもありません。これでは、息を呑んで立ち合いを待っていた観客にとっても騙し討ちのハタキ込みです。
 勝てば何でも許されるのか? ハタキ込みで負けた稀勢の里、鶴竜の心構えが悪いのか?
 しかも立ち合いの前に、まっすぐ攻めると見せかけてのつっかけで相手に油断させている心理戦まで考えての知能犯ですから、逸の城の強さは体だけではなく頭も使っての強さということになり、ますます上位の関取には厄介な存在になってきます。
 それでも、14日目の白鵬戦だけは正々堂々と戦って負けたガチンコ相撲ですから、セコい手で勝った時以上の拍手を惜しみません。
 この怪物・逸の城を鼻字血を流しながら激しく攻め勝って連勝を止めた力士・勢、これは間違いなく本物です。
 それにしても、テニス、水泳、柔道、野球、あらゆる分野で若者の活躍が目立つ今日この頃、将来が楽しみです。
 明日は千秋楽、まだ一波乱あるのを期待して、逸の城から目が離せません。

秋ですね!


 お元気ですか?
9月もはや下旬、朝晩は涼しい風がさわやかに頬を撫でて通り過ぎます。
 秋の気配は日一日と早まっていますが、芸術の秋、食欲の秋、スポーツの秋を謳歌したいものです。
 大相撲は横綱ハルマフジの休場があっても、土俵上には相変わらずモンゴール旋風が吹き荒れています。
 将来の横綱を嘱望される遠藤は、中日を迎えてようやく1勝、大拍手の中で厚い束の懸賞金を抱えてニコリともしません。
 明日からの相撲を7連勝で乗り切って勝ち越せば笑顔が見られるかも知れませんね。
 さて、秋が深まると心が忙しくなるのは例年のことですが、今年はとくに落ち着きません。
 戊辰戦争を題材に小説を書き始めた自分が、どっぷりと底なし沼にはまり込んでいるからです。
 調べれば調べるほど難しい事実に遭遇して、それを書来始めると他にも手直しが必要になるのです。
 何か、とんでもない事実を見逃しているような不安に駆られるとき、図書館にこもって資料あさりをするのです。
 すると、目的以外の出来事がまた生まれてきて、数日はそれで時間が費やされてしまいます。
 九州から北海道まで自分なりに歩き、この11月いっぱいで取材は打ち切り、と心に決めてはいるのですが、どうなりますか。
 この秋から冬にかけては私にとって、正念場の執筆期間になりそうです。
 では、くれぐれもお体大切にお過ごしください。

敬老の日に・・・


 お元気ですか?
敬老の日を挟んでの秋の連休での我が家のイベントは100歳の母が中心です。
 母に言わせると、人生で「今が一番楽しい」そうです。
 理由は「何の悩みも苦もないから」・・・これは息子の私と同じ考え、やはり親子ですね。
 家の地元の通称「元気村」という施設にデイサービスで通っていますが、最近入居させて頂きました。
 そこは、草津や伊香保の温泉の素を風呂に入れて、温泉風にして人気があります。
 食事も美味しい上に、イケメンで親切な介護士もいるので母は大喜びです。
 先日の七夕には、笹竹に下げる短冊に書いた願いは、「この幸せがいつまでも続くように」です。
 施設でも祝って頂きましたが、敬老の日は我が家で身内の祝い、翌16日(火)は住んでいる埼玉県久喜市市長からの祝い届きます。それを私を含めて男4人の息子達で迎えて喜びを共にする予定です。おかげで私(78歳)への敬老など話題にも出ません。

九州から戻りました。


 お元気ですか?
私が楽しみにしていた一週間の九州の鮎旅も、降り続く雨の中で終わりました。
 それにして、連日、ゲリラ豪雨に見舞われてビショ濡れでした。川は増水して水底のコケも少なく、縄張りを持つ野鮎も極端に少ないだけ

に釣り人の姿も見掛けません。それでも、時々は何を血迷ったかオトリに襲い掛かってきてハリ掛かりする運の悪い鮎もいるから止められな

いのです。1日、2時間ほどの釣りですから釣果はさっぱりです。それでも観光を含めて充分に英気を養ってきました。
「おどま盆きり盆きり盆からおらんど・・・」
 あの哀しい調べで知られる五木の子守歌の里、五木村もすっかり様変わりしていました。
 私が五木ダム反対の先鋒を務めてのドキュメント「巨大ダムは要らない!」で取材に訪れた五木村は、川辺川の畔の狭い地域に村役場や駐

車場や学校などギュウギュウ詰めの状態で、民家も庭の少ない見るからに貧しい家ばかりでした。
 その五木村が今や補償金で潤って高台に移動、近代的で快適な文化村に大変身、目を見張るばかりです。
 ダム反対運動で一致団結した村人でしたが、補償金に1億円という一生かかっても稼ぎ切れないニンジンを鼻先にぶら下げられてあは断る

者もいません。皆さん一律に「右に倣え」でダム賛成に寝返ったのです。
 ともあれ、ダム反対は県民の声でしたので工事は中止されました。
 その工事の余波が木を倒し崖を削った天罰としての川の汚れです。
 かつては四万十川支流の仁淀川、日光連山から流れ落ちる大芦川と並ぶ清流だった川辺川は今や雨が降ると土色の濁流です。
 今回も球磨川との合流点に入り、球磨川はまだ鮎が釣れる水色なのに川辺川はドブ濁り、その汚れの差に唖然としました。
 これから先、また行政とゼネコンの癒着でダム工事再開か、工事の全面撤退での後始末かで大仕事を仕掛けるのも読めます。
 貧しさから豊かさに変わった五木村からは暫く目が離せません。それと、五木村には美味しい蕎麦屋がありました。

薩摩藩の財政を取材しました。


 お元気ですか?
 今回は、戊辰戦争・薩摩藩取材で鹿児島入りし霧島神社にも詣でて参りました。
 この神社のある霧島高原は薩摩藩の湯治場としてもよく知られています。坂本龍馬も、ここで寺田屋で捕吏と戦って斬られた手の傷を癒しています。
 時間の都合で温泉は入りませんでしたが取材の目的は達しました。
 財政ひっ迫の貧乏藩として知られた薩摩藩が、莫大な軍資金を必要とした戊辰戦争に突入したのか? その謎を解くべく訪れた今回の旅でやっとその資金源を突き止めたのです。薩摩藩の財政は、鹿児島市内福山の豪商・厚地次郎右衛門および浜崎太平次、この二人の豪商が藩の財政を支えていたという噂を、厚地家のご子孫に会って確かめたのです。戦争に必要な武器弾薬、兵隊集め、兵糧などお金がないと何もかもが不可能です。なんと、厚地家には藩主島津斉興公自身が自ら足を運んで頭を下げ、金策を手伝わせたのです。
厚地家は、藩主公認で密貿易をして莫大な利益を上げ、その多くを藩に拠出しています。
 厚地家は、黒砂糖の一手売買、綿の流通、藩士相手の金融事業なども行っていました。
 とくに、厚地家が出費元だった福山酢には藩も全面的に関与して、金融政策と産業発展の同時進行で大きな利を上げています。さらに、酢の原材料となる米の生産奨励、黒酢生産に必要なカメの製造、これらに藩が介入して戊辰戦争の資金作りに励んだようです。
 従来の説ですと、薩摩藩の筆頭財政責任者の調所広郷(ずしょひろさと)は、精製前の綿を買い占めて、相場が高騰したところで市場に出して大儲けをして軍資金の一部にしていたとされていますが、それはほんの一部です。
 さまざまな取材で、これを確信した今回の旅でした。
 で、いまは高速バスで移動して、熊本県球磨郡の山の中、球磨川の鮎宿で球磨焼酎を飲んでいます。