38年めの長続き番組


 38年めの長続き番組

    花見 正樹

 そろそろ聖バレンタインデー、私には無縁です。 おかげで虫歯も入れ歯もありません。有難いことです・・・いえ、本音で言えば残念。でも、86歳という自分の年齢を思うと、今更ながらと恥じ入るばかりです。

そんな私でも、まだ、マスコミの片隅で何とか頑張っているのですが、その一つをここで紹介します。

 いま、私の出演で一番長く続いている番組は、山口放送ラジオの土曜ワイド「どよーDA!]の「花見さんの幸せ占い」です。
 正確には37年と10ケ月め、と書くべきですが四捨五入という簡略化方式に倣ってこう記しました。
 それと、普通に言えば長寿番組ですが、それだと私もカッコよく長寿となります。でも、私の場合は、ただだらだらと長く生きているだけで、長寿という格調の高い語韻の美しさとは無縁なのです。そこで、この表題にしました。 
 キリのいい数字でいえば40年ですが、2年後は88歳の米寿、ボケが心配ですので、まだマダラボケ程度のいま、そろそろ言い残したいことを、少しづつ書き残しておくことを思いついた次第です。
メディアポ】山口放送 38年前といえば私はまだ48歳の青臭い生意気盛り、いま思うと恥ずかしいことばかりです。
 その頃は、働き盛り遊び盛り男盛りで旅好きの48歳、そんな男が盆も正月もない年中無休の毎週土曜日に山口通いの生出演です。こんな無理がまともに続く訳がありません。これが続けば聖人君子です。
 なのに、それが続いたのは、社会事情の変化など他力本願と、番組を支えてくれた皆様のお陰です。
 通常のラジオ・テレビの契約期間の最低は1クール3ケ月、このテスト期間に視聴率・聴取率が安定すれば何の断りもなしにそのまま続き、いつの間にか38年弱の長続き番組になっていた・・・そんな感じです。
 当時の私の銀座事務所(結婚相談所、占い悩み相談、自己啓発・ストレス解消サロン)には、様々な人たちが出入りしていました。
 その中に、会員のM女史の父親で、野村幸佑さんという好々爺(こうこうや)がいて、いつも孫のユミちゃん(Mさんの一人娘で幼稚園児)の手を引いて現れていましたが、妙に私とは気が合ったものです。
 その野村爺がある時、「うちのラジオであんたと似た人が番組を始めたよ」と言うのです。
「まさか?」
 驚いたことに野村爺は、私が土曜毎に通い始めた山口県徳山にある山口放送の創立社長だったのです。社長としては、新たに始める自社番組の「土曜いい朝・お早うワイド」なるワイド番組は了承済みだったが細かい内容や出演者については制作部任せなので私の出演など知らなくて当然なのです。
 私と野村爺は、ただ会員の身内として付き合っていただけですから、あまりの奇遇に驚くばかりでした。
 野村爺は、銀座にある東京支社も含めて上京の機会も多く、東京在住の娘家族と会うのも銀座、それに娘が支社に近い私のサロンの会員ですから孫との息抜きに丁度いい休憩所だったのです。
 おかげで、徳山行きの折りは社長室で美味しい珈琲を頂いたり、近くの鐘楼亭という一流料亭でご馳走になることもありました。その店のグループ長の田中豊治現会長とは今でも交流が続いていて、毎年美味しい山口のみかんなどを頂き、花見サロン出入りの弟子や隠居仲間も恩恵に浴しているところです。
 こうして、あれこれ多忙で毎日が戦場でしたが、休日には渓流釣りや下手な弓(小笠原流)を引いていましたから「忙中閑あり」という言葉は全く「その通りなのです。
松下村塾 - Wikipedia 今では局内に、生前の野村会長を知る者もなく、局の敷地内に建つ銅像が創業者の面影を残しているだけです。それと、同じ敷地内には、野村社長が敬愛する幕末の指導者・吉田松陰の自宅兼松下村塾の学び舎でもある建物のレプリカが、まるで本物が移築されたように建てられていて、今でも長州の革命思想が受け継がれています。なお、その建物は幕末の長州が描かれるドラマや映画各社のロケで、松陰塾の撮影に使われているそうです。

 民放でありながら自主番組へのこだわりと、執念深いと思えるほどの粘り強さと目的達成への意欲は、驚嘆すべきものがあります。
 その一例を挙げますと、民放には例がない25年の歳月をかけて撮影を続けたドキュメンタリー番組の完成で、この制作スタッフの一人が、私がKRYに出演し始めた当初からの仲間だったから、その経緯を少しは知っていたので関心があったのです。
 その記録映画のタイトルは「ふたりの桃源郷」というもので、電気も水道もない山で暮らす一組の熟年夫婦と、それを支える街に住む子供たち家族の姿を25年にわたって追い続けたドキュメンタリーです。
この夫婦は山で住むことになり、荒れ地を耕して食物を育て、沢で魚を獲って自給自足の生活を始めます。山の四季の美しさと共に雪に埋もれる冬の厳しさ、嵐の恐怖、離れて暮らす家族との葛藤、そして「老いと死」、それらを克明に追い続けた25年の記録です。
 このKRYのドキュメンタリー映画「ふたりの桃源郷」は、大自然の美しさと怖さ、老夫婦の愛と哀感、家族との葛藤などが、余すところなくえがかれていて、真に感動的でした。
 この映画は、都内中野区、神奈川県厚木市など各地で上映されて評判を呼び、私は自分の思いを確かめるために2回観ています。
最果ての恋愛映画「ふたりの桃源郷」 | dovelove TOKYO
  この映画は、受賞の多さと重さもまた異例で、第90回 キネマ旬報 文化映画ベスト・ワン、平成28年度 文化庁映画賞 文化記録映画優秀賞、第40回 山路ふみ子映画賞 福祉賞、2017 アメリカ国際フィルム・ビデオ祭 エンターテインメント部門 金賞、など多数、これは民放では前例がないほど凄いことなのです。
 この40年近い歳月を私は山口の仲間と仕事をし飲食を共にし、海外旅行も共にしました。
 そして、この中で山口の県民性について、高い完遂能力があることを知りました。
 これによって、幕末の異様な戦いである戊辰戦争をライフワークとして書き続けている私としても、仕事を通じて長州について学ぶことも多々あり、複雑な気持ちです。
会津藩校 日新館|yukari|note これは、両親が会津出身でありながら東京生まれの私には、長州アレルギーがないこととも無縁ではありません。それでも、小学3年生の戦時中の疎開で知った「什の掟(じゅうのおきて)」や、会津盆地の山々に囲まれた穏やかで稔り豊かな風土、人々の寡黙で秩序ある佇まいには、より多くの郷愁と深い共感を覚えるのです。これは、両親から受けた遺伝子のなせる技なのかもしれません。

   この項つづく

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    仕事は引退しました。