月別アーカイブ: 2018年11月

幸運の女神が・・・


 幸運の女神

苦節30年、元舛田山が千賀の浦部屋を創設、親方を定年で引退、元小結・隆三杉に部屋を譲ってから大輪の花が咲きました。
幸運の女神は今までどこに隠れていたのか?
自由の女神なら、ニューヨーク、パリ、お台場で出逢えます。
もしかしたら宗像3女神のいたづら心? 同じ福岡県内の出来事ですし・・・
千賀の浦部屋の特別会員である私としては、これで冥途の土産が一つ増えました。
大相撲福岡場所で千賀の浦部屋の貴景勝が初優勝、貴乃花部屋から移籍したばかりでの快挙ですから驚きます。
この優勝には間違いなく実力にプラスして大きな幸運が絡んでいます。
まず、二横綱が休場だったこと、初日に不調な横綱・稀勢の里関に勝って勢いに乗れたこと、千賀の浦部屋との相性が良かったことなど数えたてれば切りがありません。
今場所の貴景勝は、得意の突き押しに加えて、切れ味抜群の叩(はた)き込みを身につけて勝ち星を伸ばしました。
これは、職人技と言われた元関脇・舛田山(千賀の浦部屋創設者・現常盤山親方)の得意技で流れがソックリ同じです。
まるで、昔の舛田山関を見ているように勝つべくして勝っています。これだけでも貴景勝が千賀の浦部屋に移籍したことでどれだけ得をしたかが窺えます。しかも現在の千賀の浦親方は元同じ一門で指導を受けていた元小結の隆三杉ですから居心地もよく、伸び伸びと相撲がとれたのです。
この貴景勝にも岐路がありました。
父親が空手の名手でしたから幼少時から空手に打ち込み、小学生時代の全国大会決勝で、自他ともに勝ったと思った試合でしたが惜しくも判定負け、その苦い経験から、勝敗がはっきりは勝ち負けがはっきりと分かる相撲に転向、元横綱・貴乃花親方の主催する相撲教室に参加、埼玉栄高在学中経由で貴乃花部屋に入門して角界入りし、小結まで駆け上っていました。
空手では挫折しましたが、毎場所目立つ猛烈な突き押しはまさしく空手時代に培った頼れる武器、これに元舛田山伝来の叩きこみが加わったのですから無敵に近い存在になるのも当然です。
とはいえ、勝負は水もの、これからが正念場です。
それにしても隆景勝は師に恵まれています。
中学生時代から前師匠・貴乃花鷹のから薫陶を受け、新師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)にも恵まれ、元千賀の浦親方の元舛田山にも師事することが出来るのです。これ以上に恵まれた環境など滅多にありません。
ふと、思わず私も周囲を見渡してしまいました。もしかして、幸運の女神が・・・

立場の違い


立場の違い

11月に入って年賀欠礼の葉書がすでに8通、これからどれだけ増えるか心配です。
数年前までの忌中ハガキは、親兄弟の訃報が多かったのですが今年は違います。自分の交友関係本人で、日頃疎遠だった友人知人だから辛いのです。
会っておけばよかった、電話してみればよかった、と悔いが残ります。
そんな気になる昔仲間と会うためには自分の時間が無さすぎます。
どうやって時間を作るか、こればかりは自分で解決するしかありません。
何年か前に会った時は元気だった仲間が、ここ数年の間にバタバタと逝っているのです。
明日は我が身と気を引き締めながら、自分の今後に思いを巡らせます。
私の場合は、いつでもどこでも全力疾走ですから、どこで逝っても思い半ば、なのです。
しかも、金太郎飴の断面同同様、いつも幸福の絶頂なのでいつでも悔いはありません。
いつ何どきに不慮の出来事が起こっても慌てず泰然と、その覚悟も出来ています
なかには、隠居仲間の中には老後の心配どころか、明日の生活費にも事欠く者もいます。
したがって、私も心得ていつの間にか終活の話題は提起しなくなりました、
私のサロンでは、政治・宗教・シモネタの話題はタブーですから、終活、お金、これもタブーになりそうです。
そうなると、私はますます隠居仲間の集まりを減らすようになります。
ま、それもいいか・・・と、開き直ると気が楽になりました。
それにしても、立場が違うと考え方や意見も随分と変わるものですね。
ポートモレスビーで行われたアジア太平洋経済協力会議サミットでの米国のペンス副大統領と中国の習近平国家主席との演説を聞くと、それぞれが貿易問題や社会基盤支援を巡って激しく相手を非難して自国の立場を一方的に主張していました。
ペンス副大統領は、トランプ米大統領の口癖である「中国は長年米国を利用してきた」のセリフを使って中国の貿易不均衡や知的財産の盗用などを責めたてて、中国への制裁関税を正当化していました。それに対して、習金平国家主席は、アメリカを名指しせずに、保護主義や一国主義の古いやり方をする国があるようだが、これは、世界経済の不確定性要素を高める悪しき国策である、と、これに反対する立場を鮮明にしましたこれで米中2国間の対立は避けられない状況となりました。
これでは、今後も歩み寄るのは難しいのは当然で、立場の違いはますます両国の距離を広げ、場合によっては武力紛争もあり得ます。
これはもう対岸の火事ではありません。我が家が燃えるのです。その場合、日本はどうするか?
スケールは違いますが何だか終活問題と似て難しい展開になっています。

見えない世界


見えない世界

表題の「見えない世界の探求」は、私が過日行ったサイ科学研究会での「手相と100歳長寿」講演のサブタイトルです。
いくらみえないからといっても、まさか横綱・稀勢の里が初日から2連敗とは・・・絶句です。
白鵬・鶴竜の二人横綱休場で、優勝候補に挙げられていた稀勢の里に何があったのか?
勝負の世界に「まさか?」は付き物ですが、仏の顔も3度、フアンも愛想を尽かして稀勢の里人気の火は消えます。
私も今までは稀勢の里フアンの一人でしたが今回ばかりは、そうはいかない切羽詰まった事情があるのです。 苦節二十年、数 初日の取り組みで貴景勝が稀勢の里と当ると知った時は内心、複雑でした。
貴景勝には絶対に勝ってもらわないと千賀の浦部屋は角界の笑い者になります。
オーナーの元関脇舛田山(現・常盤山親方)が春日野部屋から独立して千賀の浦部屋を創立して30年、私も友人として応援し続けてきましたが、もう限界、私も関取の育たない部屋の特別会員として元舛田と心中、そんな気分でした。
そこに降って湧いた貴ノ花部屋の移籍合併・・・これで一気に生き返ったのです。
とはいえ勝負の世界は勝ってナンボ、ここで千賀の浦部屋に合流した関取連中が負け越せばマスコミの餌食になるだけです。
ところが、いまNETニュースで知ったのですが千賀の浦部屋のトップランナー貴景勝が、昨日の横綱に続き今日は大関豪栄道を撃破したとのこと、信じられないことが起こっています。
このまま貴景勝が勝ち続けたら、祝賀会に博多に行くしかありません。
あわててスケジュールを眺めています。
いままで雌伏30年、辛い苦しい貧乏部屋を支えてきた元舛田山夫妻の心中を思うと思わずホロリ、です。
折しも開運村にも奇跡が起こりつつあります。
昨11月11日(日)、準備中だった七福神の舘を改築し「招福の舘」としてオープンしました。
新規入居者は、開運道・大原ひろみ開運研究会」さまです。
テープカットは富山市在住の開運道スタッフYさんで、夕方からの開館です。
開運村の各建築物は、管理人の各七福神がおおらかで入場制限も閉館時間もありません。
そこで前宣伝が効いたのか、昨夕からは新館見たさの来客が開運村に殺到した常連さんを含めて昨日一日だけで来場者数は1万人超です。
千賀の浦といい開運村といい、お互いにオーナーは隠居同士ですが、若い風が爽やかに吹いています。
なにか、この世の中、見えない世界の中に幸せが詰まっていて、必死で頑張っている人を見分けている・・・
ようやく仕舞ってあった千賀の浦部屋名入の布地で、仕事着の甚兵衛を仕立てて頂く次期が来たようです。
もしかすると、緑内障で見えないはずの私の目が、見えない世界を見ている? これは夢ですか?

もしも開運研究会があったら?


もしも開運研究会があったら?

 去る11月3日(土)の文化の日、親しい友人が常任理事を務めるサイ科学という学会?の研究発表会で場違いな「手相と長寿」の講演を行ってきました。持ち時間が休憩を挟んで4時間という長丁場ですから、講演を苦手とする私としてはどうなることかと心配していましたが、どうやら時間いっぱい何とか勤めはしましたが、語りたかったことの半分ほどの感じで燃焼不足、とんだ冷や汗もの・・・もういいか、という感じです。若い頃は、あちこちで原稿なし講演を苦も無くこなしていた過去を思うと我ながらもどかしいのですが、逆に考えれば平均寿命を超えてなお仕事が持ち込まれるのですから、ここは感謝の心でやり過ごし、多少の恥ずかしい思いはスッキリ忘れることにします。
ここでまたハタと気づかされました。
先週は人間関係の「好き嫌い」で気づかされ、今回は研究会で「人はなぜ集まるのか?」で気づかされました。
会費を払ってまで他人のつまらない研究を聞きたいはずがありません。ましてや、私の手相と長寿の話を聞いたところで、それだけで長寿になれるものでもありません。生活習慣や意識を変えるのはそう簡単ではありませんし、聞いたから、知ったからではなくて、幸せな長寿を目指すかどうか、です。
と、力んではみたのですが、このような研究会に人が集まるのは、その講師の話を聞くのが目的ではないような気もします。
たまたま私に白羽の矢が立って演壇でお喋りをしましたが、その会に集まる人は、そこに集まることが目的で、演題はなんでもいいのかも知れません。もしかすると、そこから落ちこぼれないように参加しているだけなのかも知れません。
今やこの世の中、生涯学習と称する高齢者が公然と集まれる老人寄せ場をはじめ、〇〇研究会が花盛り・・・人は孤独から逃れて少しでも仲間意識がある集会場を求めて彷徨っているのではないか? こう考えると周囲の誰もが、ひと声かけると集まってくるのが納得できるのです。
その集りに何らかの意義を見つけ、共通の目標があればなお人は集まる、ここでまた気づくのです。
開運村はNET上の架空の村ではありますが、過疎化どころか日々観光客も定住する人も増えつつあります。
ならば、ここでもそろそろ世間と同じように研究会が必要になってはいないのか?
私は40代の頃、東京易学研究会、東洋運命学研究会を主宰して運勢学の普及に勤めた時期があります。
どれもこれも本気なのですが、私の悪癖で多忙な上に自分から新たな荷物を担ぎますので膝から崩れ落ちてなかなか立ち上がれません。今でもそんな状態ですから、全てがチュと半端、これで幾度となく失敗しています。
そこで今度は慎重に一晩じっくりと考えました。
すると、すでに開運についての研究を続けて数十年、そんな弟子がいたことに気付き、そこを標的にb貧乏クジにも似た白羽の矢を打ち込んで、その感触を確かめたところ、すぐ反応があり、老いた私に代わって研究会を引き受けてくれることになりました。
これで開運村も、世間の流れに逆らわず、集まりたい人の集まりが出来るようになりました。
しかも、その会に入ったら幸せになれるノウハウが一杯、そんな会が出来るのです。
まずは貧乏クジを背負わされた主宰者、相談役の私、何の役得区もない事務局(これから交渉)のたった3人で、恒例の昼カフェ会か夜の部のワイン会からのスタートとなりそうです。
11月3日の講演後の発想から考えて今日は6日ですから、ここまでに3日も掛かってしまい、村長の一言の掲載も遅れてしまいました。その研究会の名称は、貧乏クジを引いた弟子の名を冠してと私は考えていますが、本人がウンと頷くかどうか?
今後の開運道の発展に大きく寄与する研究会になるかどうかは皆さま次第、貧乏クジ的中の白羽の矢が、幸運の女神の微笑みにで、パワースポット「開運村」の幸運の破魔矢となることを願って、研究会という名の集会場づくりをお知らせします。