月別アーカイブ: 2014年12月

謹賀新年、もう4日です。


DSCN2643 (2) - コピーDSCN2990 (2)

明けましておめでとうございます。
花見正樹です。
 本年もよろしくお願いします。
 ----
 近くの八坂神社の初詣にはカメラを持たずに行きましたので、とりあえず神社仏閣の写真を探したところ、昨年暮れに戊辰戦争の取材でお邪魔した山形県庄内の清河八郎を祭った清河神社の写真が手元にありましたので載せました。
清河記念館は雪が深くて今は閉館中、雪解けまでは行きたくても行けません。
 
 今年もはや4日、身内の新年会や孫の買い物、小原稿書きで過ごしました。
 娘や孫たちと初詣に出かけた地元の八幡宮は超満員、おみくじは”末吉”でイマイチでした。
「のどけしと見えし海原風たちて 小舟危うきおつき白波」
 こんな戒めの句が書いてあり、なにごとも辛抱我慢を第一に急がぬことが大切、と、張り切ってスタートダッシュをと思った出鼻をくじかれたところです。
 私自身、いつも結果よければ全てよしの楽天的肯定型で暮らしていますから、末吉でもなんでも1年の終わりに結果良ければ”全て良し”と気楽なものです。 
 今年は天変地異もさることながら全てに新陳代謝が絡みますので旧態依然の生き方で安閑としているわけにはいきません。少しでも努力を怠ったり手抜きをしたりすると思わぬ失敗で後悔することになります。
 青山学院大の箱根駅伝初優勝も新旧交代の1例で、これから1年間、めまぐるしい世代交代の波が押し寄せてきます。いくら高齢化時代だといっても年寄りが若者に道を譲る前に、若者が力づくで年寄りから身ぐるみ剥いでゆくのです。これが自然の理で、それに尤もらしく礼節や道徳を添えて高齢者を敬うような形式は踏みますが、実態は若者のパワーを生かしてこそ群れは生き残れるのです。
 それにしても正月早々、北海道や西日本の豪雪地帯の方はお気の毒、雪?きをしないと車庫から車が出せず仕事にも支障を来すご様子で、ただただ豪雪見舞いを申し上げるのみです。とはいえ、この私も明日の5日(月)は初仕事のテレビ岩手出演で寒さ厳しい岩手県行きからボチボチ始動を始めます。仕事といっても私の場合は本業(花見化学KK)を息子に譲っての隠居仕事ですから、もの書き、占術家の弟子養成、大鮎釣り(釣れませんが)の三つしかありません。
 新年の挨拶の中に北海道のお弟子さんから嬉しい便りがありました。
 札幌の繁華街に友人と二人で小さい店を借りて占いを始めたところ常連客もついて、口コミにも乗りそこそこ仕事になっていると写真数枚を添えてのメールです。
 この便りを含む多くの年賀に励まされ本年は出だし好調、今年もこんなに嬉しいことから1年が始まるのですから悪いわけはありません。
 この他力本願の勢いでモノ書き仕事にも精出して、晩夏の九州球磨川で昨年のゲリラ豪雨に悩まされた屈辱を晴らして大鮎を掛ける、こう考えただけで心は早くも心は激流に・・・今年こそどでかい大鮎が釣れそうです。何だかこの数10年同じことの繰り返しで、何の進歩もしないで歳だけ重ねている自分を再確認しているところです。

年の瀬


 いよいよ年の瀬もあと数日で除夜の鐘、今年も数多くの煩悩を抱えたまま新年を迎えることになりそうです。
 1年があとわずかで終わるときには、昔から年末、歳末、年の暮れなどさまざまな言葉を使いますが、私は葉書などでの年末の挨拶には年の瀬という言葉をよく使います。では、なぜ年の瀬という言葉が好きなのか? それは、いかにも押し迫った慌ただしい年末の様子が、激流の早瀬のように感じられるからかも知れません。
 本来が、瀬というが出ている言葉には、流れが速い急流や激流の意味で、船でも通るのが困難な場所という意味も含まれています。鮎釣り師には瀬を釣るという言葉があります。瀬というのは大石小石が水底にあり水流の起伏で波が立つ荒場のことで、その底石に付着する苔を食べるために鮎は縄張りを持ちます。その縄張り鮎に尻から垂らした糸に⒈~4本イカリの鋭いハリを仕掛けたオトリ鮎を泳がせて争わせ、イカリに掛かった野鮎を獲り、つぎはその野鮎をオトリ鮎に使う漁法・・・これが鮎の友釣りです。瀬には浅瀬、中瀬、深場とあり、大鮎は流心の深い荒瀬の大石を縄張りにしていて私ごとき老鮎師などはそこまで立ち込めません。無理すればたちまち流されて名前も変わり、花見土左衛門となってしまいます。
 朝は瀬頭(せがしら)といって鮎は朝早くから瀬の波立つ上流の浅瀬に集まる傾向がありますが、私は浅場は好みませんので朝からでも深場に入ります。深いといってもヘソが基準で、その深さまでなら荒瀬も少しはこなせます。
 いずれにしても瀬の下流は瀬落ちといって深場が多いことから、年の瀬とは、それ以上はないという意味にもとれます。
 年の瀬とは、その川の瀬から転嫁して、年末に溜まった借金を払う辛さや困難さを、川の瀬に例えて表したようです。集金する側からみればお金を集めなければ年が越せないし、払う側からすれば正月のモチ代がなくなる・・・この攻防もまた切羽詰まったものになります。
 私がまだ独立する半世紀以上も前のこと、集金は盆暮れの2回、大福帳を手にという顧客が何軒もありました。暮れの集金は大晦日でしたから昼食もとらずにあちこち駆け回っ

てあと一件、忘れもしません千代田区神田多町の田子商店、接着剤など和物の問屋

さんでした。大晦日の夜ですから、こちらも番頭さんが集金してきたお金の集計の報告を白髪頭の大旦那が聞いているところでした。私の顔を見るなりニッコリして、
「集金だね? よく来ました。すぐ払いますからね。そこでお茶とお菓子でちょっと待ってくださいよ」
 熱いお茶と和菓子を有り難く頂いて、そろそろ集金かと大旦那の様子を見ると、阿吽の呼吸で奥から老婦人が現れます。
「あらあら、大晦日のご集金は寒いでしょ? いまお雑煮を作ってますからね」
 外の厳しい寒さから解放された安堵感と空腹に、その老婦人の魔法の言葉は限りなく嬉しく、つい報告を終えて気楽な顔の番頭さんと世間話をして雑煮を待つことになります。
 やがて熱い雑煮が盆の上に三つ運ばれ、大旦那の田子老人と番頭さん共々湯気を顔に感じながら一日早い雑煮を目を細めて頂いていると、やがて浅草寺の除夜の鐘が腹に響くような思い音で聞こえてきます。
 大旦那が嬉しそうな顔で私の顔をまじまじと見て言ったものです。
「この鐘が鳴り始めたら1年は終わりだな。まさか新年早々集金なんて野暮なことは言わんだろうね。つぎの集金はお盆だよ。帰ったら社長に宜しく言っとくれ」
 これで追い払われた経験があります。
 年の瀬には、良くも悪くも人間の喜怒哀楽さまざまなドラマが集約されていて、私は好きです。

徹夜の若者!


 お元気ですか?
 朝晩めっきり寒くなりました。私の帰宅はいつも深夜になりますが、ここ数日はめっきり寒さが増していて、雨の後は路面も凍ります。
 通勤時の愛車は、住まいのある栗橋と、一つ東京寄りの隣駅・南栗橋駅前駐車場を往復します。駐車場は駅から20秒の至近距離にあり月額5千円(自転車は3千円)、1年で6万円ですから都心の1ケ月分駐車料金と同額の超格安です。
 なぜ? この疑問は3・11の東北大地震で露顕しました。私が住む栗橋は畑地だったので地盤は固いのですが、隣駅の南栗橋周辺は沼地だった箇所もあって大地震があると、場所によっては泥状化現象で家が傾いたりすることが判明したのです。そのために駅前開発が遅れ、土地の有効利用で東口も西口も駅周辺は全て駐車場という珍現象が起きました。
 さて、その通勤途上の話に戻ります。
 いつもの週末は、母の介護もあり金曜日の夜に帰宅するのですが、最近の母はデイサービスに通っていた通称”元気村”という老人施設が気に入って、帰宅拒否を繰り返し、ついに永住権?を手に入れたところです。その施設では、お風呂に「草津の湯」とか「別府温泉」とか湯の元を入れるところから、母は未だに温泉施設と錯覚していて、施設が自分を正式に受け入れてくれたことがよほど嬉しいらしく、早速、イケメンの介護士とのツーショット写真を撮らせてご満悦、これが元気で長生きの秘訣かも知れませんね。その施設もまた、100歳の元気おバアさんの係りの一人にイケメンの介護士を当てるなど洒落た演出です。
ただ、老オオカミに子ヒツジを与えたようなもので介護士には気の毒ですが、母はますます意気軒昂です。これでは、100歳祝いをした幸手市の温泉施設”極楽湯”での105歳祝い予約をさらに5年延長も可能ですが、残念ながら私のほうが先、天命には逆らえません。
 ともあれ母が帰宅しないと知った土曜日で気が抜けたのと、HPに載せる小節「綾部の里に花が咲く」の執筆で帰りそびれて事務所泊りとなりました。翌土曜、ラジオの占い番組を電話で喋り終えての午後、駐車場から愛車での帰宅中のことです。
 駐車場から我が家への帰宅途上に、東武鉄道の車庫があり、常時、東武と共来るまでの同乗り入れの日比谷線、半蔵門線、東急線など色とりどりの車両が広大な敷地内に駐屯中の南栗橋操作場があります。それらの車両を見たり学んだりする「東武鉄道まつり」が7日(日)の朝10時開門で行われます。
 なんと、その正門前に、鉄道マニア・通称鉄ちゃんの若者二人が寝袋の上に座って缶ビールなど飲んでいるではありませんか。思わず車を停めて窓を開け、声を掛けました。
「明日のため今から?」
「そうです。去年も同じ一番乗りです」
「朝10時からだろ? 今夜は冷えるよ!」
「大丈夫、テントを張るし、カイロも持ってます」
 その口調には、余計なお世話というよりは、よく声を掛けてくれましたという誇らしげな若者の快い気負いがありました。
「じゃあ。気をつけてな」
 愛車を走らせながら、つい6年ほど前までは3月1日の渓流釣り解禁の前夜になると、栃木県の山中の河原で焚火を囲んで仲間と飲み明かしていた我が身を懐かしく思い出していました。今はもうその渓流釣り仲間も老いて去り、未だに現役の私は独りぼっちです。