白内障手術記ー15(最終回)


白内障手術記-15

花見 正樹

 人の運命は、木の葉が風に舞って地上に落ちるまでのようです。木の葉の表裏のどちらが上になるのか、誰にも分からないはずです。
ところが、木の葉の裏表は自分に関係ないからどうでもいいのですが、自分のことになると、すぐ易に頼るのが私の悪い癖、いわば、易は心の拠りどころとも言えます。これで観る限りは、この12月も好調持続と出ています。
ところで、私の生まれた日は昭和11年1月5日、もうすぐ84歳、現在の平均寿命は男性が81.25歳(女性は87.32歳)ですから4歳も余分に生きていることになります。しかも、まだ元気なのですから何も言うことがありません。これからの余生は「下手なアユ釣りでも楽しんで」に尽きるので、それには車と免許証が必用です。
なにしろ、私の道楽である大鮎釣りには、長竿(10~12メートルで折り畳んでも1m以上)、囮缶(空気循環装置付き鮎入れ)、引き舟(川の中で使う)、手網(たも=鮎の出入りに必要)、クーラーBOX(氷で飲食物保存や鮎を締めたり)など必需品が多いため、電車やバスでは無理があり、九州での鮎釣りの場合は、鮎宿に必要な物は全て先に宅急便で送った上で身軽に空の旅、現地では親しい鮎仲間のお世話になるので免許証は不要なのです。
しかし、これからひと夏を鮎釣りで過ごすとなると、私が出没するホームグラウンドは栃木県那珂川の黒羽界隈ですから、一人の場合はマイカーしか移動手段はありません。したがって、車と免許証は必要不可欠なのです。
もしも免許証がないとなれば、空の旅で行く遠距離の鮎釣りは可能でも、平日に一人で気軽に車で行く那珂川の鮎釣りは諦めねばなりません。
それに、日常の生活上の理由で、免許証がなくなれば都内に舞い戻ることに決定していて、アウトドアー派の私としては致命的、多分、そこで寿命も尽きます。
以上の理由から、「手術は手遅れでいずれは失明」と言われ、緑内障+白内障+視野狭窄症の悪化で「物書き、占いの弟子育て、下手な大鮎釣り」の三大生き甲斐すら諦めかけたのに、何と春日部のSU眼科という救いの神が現れたのです。そこでの手術の経過は今まで述べた通りですが、免許証更新前の最終チェックの11月30日(金)のSU眼科での視力検査で、女性検査技師より率直で貴重な助言を頂きました。それによると、眼鏡使用で左眼は0.7で問題ないのですが、右眼は0.1以下で、合格基準に遠くおよばないことから、まず100%視力検査で落とされる、とのことです。
これで私が気落ちしていると、技師が続け、「ただし、救済措置として視野検査が採用される場合があります」、これで私は救われた気分になりました。
免許証の更新は誕生日の一か月前からと聞いていたので、誕生日が1月5日の私は、12月6日(金)からと思っていたところに警察からの通知が届き、12月5日(木)から更新が可能と知りました。
 私は6日(金)には大切なスケジュールがあって都合が悪かっただけに自分の幸運を信じました。前日の4日(水)はパソコンもテレビも絶ち、目薬もたっぷりと目に流し込み早寝して明日に備えました。
私は、運命の解禁日の5日(木)のAM8時に地元の久喜警察署に着き、8時半の開始時間を待ちました。待ち順も3番目と悪くありません。ところが、いざ視力検査に直面して、すぐに弱点が暴露してあえなくKO負けの完敗です。いきなり右眼の検査から始まって何も見えない私が、右だの左だのと口から出まかせを言うものだから、さすがに担当の警察官も呆れたらしく改めて書類に目を通していました。なにしろ、警察からの更新通知にも高齢者講習の修了証にも優良とあるのを指差して「優良なのに右眼が見えないのですか?」と妙な質問です。これには私も返答のしようもなく「でも左は見えます」と応じるのが精いっぱいでした。担当の警察官は多少投げやり気味に隣りで書類整理をしていた婦人警官に「視野検査を頼むよ。優良だからな」と謎めいた言葉で引き継ぎです。私は、SU眼科の技師から検査の有無を聞いていましたから落ち着いていました。顔の前を鉢巻状にぐるっと回した検査器上に、光の玉が中央から右耳方向に消える瞬間を、真正面を見ている左眼でどこまで追えるか、その角度を調べるのです。これはあまりにも簡単すぎました。たった一回で5秒ほど、「はい、15度以上で合格です」で呆気なく、何の劇的幕切れもなく、優良のゴールドマークで3年、平成5年2月5日の87歳と1ケ月、高速の逆走にも注意して安全運転に専念します。
春日部のSU眼科こと杉浦眼科杉浦院長・赤星先生・新先生・医師・看護師・職員の皆様、有難うございました。心から御礼申し上げます。もちろん、これからも月一で通いますので宜しくお願いします。
私を応援してくれた皆々様に感謝して、この「白内障手術記」の幕を閉じさせて頂きます。

白内障手術記-14


白内障手術記-14

花見 正樹

いよいよ今年も多忙な師走入りです。
日頃の心掛けが悪いせいか 、何もかも年の瀬にしわ寄せになっていますので、これから一仕事しなければなりません。
まず、顧問をしている米沢新聞の元日号の見開きに、年頭の挨拶と2020年の運勢の記事で1ページを埋めるのですが、これが結構手間の掛かる仕事なので、.少しだけ時間がとられます。
つぎは山口放送とテレビ岩手の自社番組のスタートが正月6日ですが、二社同時に生放送出演は不可能です。
そこで、山口は年内の録画撮り、岩手は当日出張となりますが原稿は用意しなければなりません。年賀状書きもあります。とはいえ、好きでやっている隠居仕事ですから誰にも文句はいえません。
こうして思いっきり楽しんでいる人生ですから、どんなに多忙でも喜びでいっぱいなのです。
誰でも、自分の好きなことに熱中している時は寝食を削っても惜しくないものです。
プロ野球のイチロー選手(元)は、かねがね現役を引退したら草野球に熱中したいと公言していましたが、今日、その夢を実現したことをニュースで知りました。イチロー選手(元)は自分の作った「神戸・智弁」チームのピッチャーとして登場、14-0の16奪三振で完封勝利、打者としても好打を連発してチームの勝利に貢献しています。自分がプロ野球選手を引退した後は草野球・・・この信念を貫いたイチロー選手(元)の想念には感服するばかり、私も我が道を行きます。
私の隠居生活の三大目標はいつも通り、「もの書き、弟子育て、大アユ釣り」。これは来年の抱負でもあります。
と、なれば免許証は必要不可欠・・・もうすぐ免許証更新が可か不可か、結論が出ます。それまでは、ひたすら苦手な医者(眼科)通い、目薬も使い続けます。

白内障手術記-13


白内障手術記-13

花見 正樹

   11月16日に行われた天皇陛下の即位祝賀パレードに続いて、天皇陛下の即位に伴う「大嘗祭(だいじょうさい)の儀」が14日夜から15日にかけて皇居で行われました。この儀式は、天皇陛下が神々に米などを供えて国と民の安寧と繁栄と五穀豊穣を祈られる行事です。 これで天皇陛下の即位に関する一連の行事は全て無事に終了しました。
皇室に関心のない人は別にして、国民の大半は「やれやれ無事でよかった」と安堵したことと思います。
それでも、NETや週刊誌ではこれらの儀式にまつわる裏話などが載りますので油断はなりません。
その根底には、以前から指摘されている安倍総理の皇室軽視が潜んでいたりして少々厄介なのですが、これは仕方ありません。
なにしろ、幕末のクーデターに先駆けて、新たに明治天皇を奉じて政権奪取を成功させて天下を手中にしたのは長州藩、まさしく安倍総理のご先祖さま方に他ならないからです。安倍総理としては、天皇家の国民的人気よりも、なぜ自分の支持率が伸び悩むのか、苛立ちながら面白くないのは明らかです。
その不遜な態度は、天皇の祝賀パレードでも存分に発揮され、後続車両で窓を開けて手を振ったのは安倍総理のみ、何のためのパレードかさえ忘れていたとしか思えません。その心情から察して、天皇が桜の会を主催するなら自分も許されて当然、「何が悪い!」と、開き直りたいのが本音だと推測し、つい「お気の毒に」と同情してしまいます。
古代中国の魏の国の宰相・曹操は、漢の皇帝を手中に収めて好き勝手に詔文を発し、ついには息子の曹ヒの代になって漢帝を廃して曹ヒが皇帝の座についた例もありますので油断はなりません。これからも、安倍総理を取り巻く長州閥からは目が離せません。
目といえばが私の眼は、右は最悪で左は順調、この「白内障手術記」もあと数回で終了します。
「やがて失明・手術不能」と」と宣告さ、一念発起して、失明後は「整体師範で弟子育て」まで可能にした身がなんとSU眼科のお陰で視力が奇跡的に回復、免許証の更新にいま一歩のところで足踏み中、奇跡が起きるか起きないか、その結末を以てこの項を閉じます。
私の誕生日は1月5日、12月上旬に更新に挑戦それで駄目なら眼鏡を変えて再挑戦の予定です。
ここに添付した両目の黒点は緑内障で見えない部分、視野狭窄症ですからいずれは失明ですが、これは寿命との兼ね合いですから全く気にもなりません。これからも淡々と日々を過ごして参ります。

白内障手術記-12


白内障手術記-12

花見 正樹

大型台風での日本列島大被害やラグビー旋風と、目まぐるしく動いた10月の末、沖縄の首里城が燃え落ちました。
あの朱色の華麗な建造物が一夜にして灰燼に化すとは残念無念、観光の目玉でもあっただけにその損失は計り知れません。
地元の高齢者は、今でも首里城のことを「大学跡」と表現します。
私の親しい知人が琉球大学の教授だった関係もあり、仕事でも沖縄にはよく通いました。その頃はその場には琉球大学がありました。
私は仕事外でも沖縄にはよく通っていて、「ひめゆりの塔」や「太平洋戦争史跡」巡りも何度かしています。
その他にも記憶に残っていることがあります。
たまたまゴルフ仲間である某テレビ局勤務の友人O氏からの誘いで、ゴルフ旅行と大会見物を兼ねて沖縄に行くことになりました。
大会とは、那覇カントリークラブで行われる「1981年度 沖縄牧港自動車レディストーナメント」のことです。
私の友人と大会プロデューサーの松井功氏が友人関係で、松井氏の奥方(当時)である樋口久子(通称チャコ)プロの応援をし、大会終了翌日に、我々でプライベートゴルフを楽しんで帰京する計画でした。
スコアは忘れましたが、チャコの朝のスタート時のスコアは首位と5、6打差ほどで、生きのいい若手の台頭から考えると追いつくくのは無理と考えられました。ところが、あれよあれよで最終ホールでは首位と一打差にまで迫って。いました。
しかも、最終ロングホールの第3打でチップインバーディ、大逆転での優勝です。観衆の大喝采を浴び、主催者側のご亭主も応援の我々も面目を施した一瞬でした。
その前年のことです。
私の受講したゴルフ教室の教師・林由郎プロの愛弟子でもある青木功プロが、ハワイオープンの最終ホール首位と2打差でロングホールの第2打目で残り128ヤード。ピッチングウエッジで振り抜くと、弧を描いた白球は真っすぐ飛んでグリーンを捉え、そのまま転がってカップインで奇跡的な大逆転の優勝劇。これを知った時の興奮は未だに私の記憶に残っています。
一昨日の11月1日(金)、SU眼科での検診では、緑内障と視野狭窄症の悪化でか、右眼の視力が鏡使用で0.1とかなり落ちていました。 頼みの右眼も眼鏡使用で0.6・・・免許証には少々パワー不足ですが、上記の2例のように奇跡的な逆転劇は世の中にいくらでもあるものです。
その結果をお知らせするまでの「白内障手術記」もあと一か月です。自分の不摂生を棚に上げ、SU眼科の皆様にお礼を言うか愚痴を言うかは結果次第。ささやかな個人的問題ではありますが、奇跡的大逆転狙いの結末を楽しみにお待ちください。

白内障手術記-11


白内障手術記-11

花見 正樹

 きょう10月14日(月)は体育の日ですが、一昨日から続いた大型台風19号の影響で運動会の中止が各地で続出、盛り上がりのない祭日になっています。この関東から東北にかけての暴風で被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
それにしても今回の台風19号の猛威は凄まじく、とくに関東・東北の大小河川の氾濫・決壊による被害は甚大で、死者・行方不明は50人5を超え、けが人も続出、家屋流出や水没、倒壊、浸水などが続き、停電なども約10万軒に及ぶと報じられています。今回の台風19号の特徴は、観測史上最大級の記録的豪雨と強風で土砂災害を引き起こして被害を大きくしたことです。
私の住む埼玉県久喜市栗橋地区には一昨夜午前0時過ぎの深夜、利根川が決壊危険水域を超えたことから避難指示が出ました。私はパソコンなど最小限の荷物をバッグに詰め、避難場所に指定された近くの小学校に家内と向かいました。
町会役員やボランティアの若者たちの案内で、続々と詰めかける人々が、避難所になる2階、3階に上がりますがすでに満杯、私は最上階の4階の理科室の一隅に落ち着きました。それから30分ほどもしないうちに廊下まで人が溢れて、次々に押し寄せる人々を係員が他の中学校などに案内している様子でした。多分私の避難した小学校には千人以上が収容されていたと思われます。
私は、周囲の人達とパソコン情報の交換や雑談、壁にもたれてのしばしの仮眠などで夜を過ごし、利根川の危険状態の解除を待たずに朝になって帰宅しました。
その折に、恐いもの見たさで利根川の状態を見に行きました。凄まじい勢いの濁流が堤防ぎりぎりまで迫って流れ、これ以上水位が上がったら危険な状態であることは一目で分かりました。やはり、自然の猛威には勝てません。
 そして豪雨が去って強風だけが残った12日(土)の夜、天空には十五夜前の円月が煌々と輝いていました。
その月の見事さを眺めることが出来るのも、左眼の視力が戻ったお陰、避難する折もしっかりと目薬持参でした。いま用いている点眼液は、ビタミンB12を含むシアノコバラミン点眼液など3種類、これで何とか乗り切って、不可能と諦めていた免許証書き換えにもうすぐ挑戦です。
左眼の手術から三か月を過ぎ、ようゃくスイミングも可となっていますので、少々の流れなら泳げますが、昨日眺めた警戒水位レベル4の利根川の濁流には通じないかも知れません。日本で最大急流といわれる球磨川の激流に何度か流されて必死で岸に泳ぎ着いた経験のある私ですが今は体力の衰えでもがき苦しんで泥水を飲んで溺れ死ぬ・・・やはり、もの書きの好奇心とはいえ、氾濫寸前の満水時河川を見に行くのは危険です。それでもなお、見に行って良かった、という気持ちの高ぶりは貴重な経験でした。

白内障手術記-10


 

白内障手術記-10

花見 正樹

 台風15号が千葉県房総地方に甚大な被害をもたらしたのもつかの間、続けざまに発生する熱帯低気圧が台風に化け、いま18号がフィリピン沖から日本列島に向かって発達しながら進行中とか、困ったものです。
一方、スポーツの秋を象徴して日本中が湧いているのが、ラグビーワールドカップ2019日本大会です。
。しかも、こちらの台風の目は日本チームらしく、28日のアイルランド戦では接戦を制して19対12で快勝。世間一般は歴史的勝利と奇跡でも起こったかのような騒ぎで勝利を祝っていますが、試合後のインタビューで田村選手は「我々31人の日本チームは勝つために準備してきました。優勝を狙います!」ときっぱりと言い切っています。これはもう、すでに大型台風そのものです。
これに加えて、カタール・ドーハで10日間に渉って行われる世界陸上 も、低調な日本選手の中から台風の目になる選手が出るかどうか、織田某という俳優の針小棒大で大風呂敷の大げさガイドに騙されながら、深夜テレビを見続けるバカバカしさも秋の夜長があればこそ。これも、砂の中のダイヤモンドを探す気分になれるなら眼が離せません。
さらに、いま国内各地で行われているビッグスポーツがバレーボール世界選手権です。
かつては「東洋の魔女」として世界中を席巻した女子バレーも、人気絶頂の過去の栄光とはほど遠い存在になっています。それでも、男女合わせて一か月におよぶ世界大会となれば、これも無視はできません。
その上、プロ野球のクライマックスシリーズから頂上決戦、サッカーの熱戦、体操、卓球、水泳など、スポーツの秋は、それぞれの台風の目を抱えて花盛り、これからが楽しみです。
と、台風の目について述べましたが、自分の眼にも奇跡が起きています。
ド近眼でメガネなしでは暮らせなかった私が、メガネなしでパソコンと対峙しています。手術前にsu院長に申告した30~40センチに焦点がピッタリ、これでまた中断していた執筆活動が再開できます。これだけでもSU眼科の院長、ナースさん、職員の皆様に感謝するばかり、死に体が生き返った感じです。このSU眼科に相談しなければ手術はなかったのですから、私の高齢期に入って最大の私的転換期であるのは間違いありません。これで満足、これ以上を望むのは、天にツバして災いが自分に及ぶようなもの、これ以上を望むのは罰当たりです。なのに、この話は、これでは終わりません。
緑内障の悪化で失明寸前だった我が身を顧みず、少し視力が戻っただけでまた欲が出て、とっくに諦めていた運転免許証の書き換えを思い立ったのです。
これに関しては当然ながら四面楚歌、80歳以上高齢者の自動車事故率は19歳以下に次いで最悪、これに関しては周囲に賛成者は一人もいません。さすがのSU眼科の皆様も、これに関しては対応が冷ややか、それでも視力検査の職員さんは協力を惜しまず、検査の基準を、免許証取得に向けて方針変更を認め、院長も「無理を承知なら」という無関心な表情で頷いてくれました。
そこで早速、通知が来ていた高齢者運転教習に挑戦を試みることにしました。
アウトドアー派の私としては、どうしても免許証は手放したくないのです。
これが、無謀か無茶か、正しい選択なのかはまだ分かりませんが、遠距離の視力はまだ足りないらしいのです。
この時点での視力は、裸眼で左が0・2、右が0・01、レンズ使用で左が0・6、右が0・15、両眼で0・65、免許証取得条件の両眼で0・7はもう一息、無理とも思えない状態ですから挑戦してみる価値はあります。
私の誕生日は1月5日、免許証の書き換え期間はその前後各一ケ月、結果はすぐ出ます。

白内障手術記-9


白内障手術記-9

花見 正樹

 台風一過、爽やかな青空が 秋の到来を知らせてくれるはずでした。
ところが今回の台風15号は、消え去って10日以上経過した今も、悪魔の爪痕をくっきりと残しています。
台風15号によって甚大な被害を受けた千葉県では19日現在、まだ停電が続いている,家屋が3万戸もあり、台風の後の大雨にも襲われて、雨漏り、浸水、停電、断水の民家が陸の孤島のように取残されています。東電では、あと数日で全面解消と発表していますが、倒木の処理に手間取って復旧工事は大幅に遅れているようです。
この災害に追い打ちをかけるように、被災者の弱みに付け込み、品薄のブルーシートを持ち込んで、「特別価格で作業します」と、いかにもボランティアを装って屋根に上り、作業後に40万円近い作業費を請求したケースが出ました。
千葉県内では、台風の被害からの復旧に便乗した不審電話なども相次ぎ、警察や自治体では注意を呼びかけているそうです。
それでも水道に続いて電気の復旧も急ピッチで続いています。止まっていた水道の蛇口から勢いよく水が流れた時、停電が解消して電気が明るく室内を照らした瞬間、それまでの絶望的な悲壮感から一転して歓喜と安堵のひと時に変わります。
ところが、停電の時に電気器具のスイッチを切っていなかったり、断水の時に水道の栓を締めなかったケースもあって、そのまま不在だったりしますから、水道も電気も家人の不在中に復旧すると大変なことになります。水道の水が室内に溢れ、電気器具からの引火で、 やっと停電から解放されたばかりの家屋で「通電火災」が発生する場合もあるので注意が必要です。
さて、私の白内障手術の場合は、右眼の手術を終えた翌日、早朝から心ウキウキ希望に燃えて通院した眼科医院で、手術仲間が白衣の天使の手で次々に眼帯を外される度に笑顔と歓声の輪が広がっていました。この情景と今回の千葉県の停電断水解除の喜びに通じるものがあります。
そこで自分の番になり、眼帯が外れて世の中を見回した瞬間、周囲が明るいだけで何も見えず、絶望的になった・・・ここまでは、前回に書きました。

例えに用いるには被災地の皆様に申し訳ありませんが、停電・断水が解除された途端に、断水時に水道の栓を締め忘れた家では、留守中でも水は流れ、停電時にブレーカーを落とさなかった家ではいっせいに通電が開始され、使いかけの電気機器から「通電火災」現象が発生します。喜びの直後に悲劇が待ち受けている場合もあり得るという厳しい現実、私もこんな気分でした。
右眼手術の翌日の朝、眼帯を外して視力ゼロ状態で院長の手術後診察を待つ間、私の冴えない頭の中では、手術の失敗に対して、どうクレームをつけるべきか、手術前の見えにくい目でも何も見えないよりはましだから元に戻してほしいと言うべきか、真剣に考えました。しかし、頭の中はパニック状態でゴチャゴチャですから考えなどまとまりようがありません。
当方の対応策が思いつかないまま、新館の第一診察室に呼び込まれ、薄暗い診察室の中で、主軸と思しきベテランナース二人に囲まれて診察用椅子に座らされ、院長診察が始まりました。
「まっすぐ前を向いて」と、顎を乗せた検眼機の向こうから、院長手持ちの懐中電灯が私の見えない右眼を照射します。
それも一瞬、「はい結構、 大成功です」、これで診察は終了です。
検眼機から顔を上げた私は、見える側の左眼で院長を睨み、ここで一言、と思った瞬間、端正な院長の顔に笑みが浮かびました。
「緑内障がひどいから腫れましたが、一週間もすればよく見えるようになりますよ」
院長の自信に満ちたこの一言で、クレームどころか思わず「有り難うございます」と素直に頭を下げ、「お大事に」と天使の声に送られて診察室を出ました。すると、それを待っていたかのように、順番が私より後の仲間数人が寄ってきて、「どうだった?」と興味津々の様子です。私が「腫れが引けば見えるそうだ」と応じると、「良かったな」と口では祝しながらも仲間達の表情は残念そうです。建具屋のA氏がぽつりと本音を漏らしました。
「カリスマ医師の失敗談が聞きたかったのにな」
こうまで言われると、私の持ち前のサービス精神が黙ってはいません。
「結論は一週間後に・・・」
こうは言ったものの、SU院長の自信満々の口ぶりから、この目は「見えるようになる」と、確信して帰路につきました。

白内障手術記-8


白内障手術記-8

花見 正樹

 9月に入って少しは涼しくなるかと思ったのに涼しいのは朝晩だけ、日中は30度を超す真夏日で、まだまだ熱中症への注意は必要不可欠です。それでも9月は新学期、ランドセルを背負った子供たちに負けないように頑張らなければ、と気持ちだけは張り切っています。
それにしても、地球上にひしめく69億人の人々の何と騒々しいことか。米中貿易摩擦、北朝鮮の度重なるミサイル発射、香港の人権問題に端を発したデモと大集会と衝突と暴動、中東での相も変らぬ武力衝突・・騒がしいのは地上だけではありません。米国の宇宙軍創設で、もはや見上げる空の彼方の宇宙空間すらすら戦場に化けかねないのです。
こんな時に、ゴマ粒ほどにも値しない私ごときの目の手術の話題など全く無意味なのですが、それが一概にそうとも言えないから世の中は面白いのです。手術が終わってから知ったのですが、私の目の手術の執刀医は、白内障の世界的権威で知られる赤星隆幸医師だというのです。
生憎とこの業界に詳しくない私ですから、そんなこととは露知らず、SU院長の直接手術を希望したのに、手術日の折り合いがつかず、止むを得ず客員執刀医・赤星医師の月1出張の日曜日に手術を受けることになったもので、私から望んだことではないのです。
それが、私の白内障手術を知った知人数人からの推薦を受けていた秋葉原のM記念病院、そこの執刀医も赤星医師であることを知って、これも何かの因縁と思わずにはいられません。
手術日が決まってからは、数日ごとに予約しての予備検査があり、手術仲間の顔ぶれと順番はいつも同じで、待合室での会話は賑やかです。中には、すでに片目の手術を終えた者も何人かいて、一様に「よく見えるよ」と得意気です。これでは、これから手術をする身としては期待に胸が膨らむのも無理はありません。
このような経緯を経て手術に及んだ私ですから、手術後は見えない目が「見えて当たり前」の浮き浮きした気分で一夜を過ごし、手術翌日の月曜日朝、奇跡の喜びを味わうべく、足取りも軽くSU眼科に向かったのです。

この朝の二階の予約客専用待合室は、手術仲間の明るい笑顔に溢れていて、病院というより高齢者専門のスポーツジムの休憩室という雰囲気の賑わいです。やがて、眼帯を外された患者間仲間の「よく見える!」の歓声の輪が次々に広がり、私の眼の前にもついに白衣の天使が現れました。
こうして、大仰に顔半分を覆ったていた眼帯を外される瞬間、周囲の仲間の、「すごく見えるぞ!」の声援に期待で胸の鼓動は高まるばかりでした。しかし、その私の期待とは裏腹に、天使の手はしごく事務的で、「痛かったらご免なさい」と眼帯を縦横に止めたテープを容赦なくむしり取ります。しかも、眼帯を外した瞬間、すぐ見えている左眼を閉じて、眼帯を外したばかりの右眼で周囲を見廻したところ、なんと、見えすぎの感激どころか、目の前が明るくぼやけて霞むだけ、人の顔すら見分けがつきません。私は、奈落の底に突き落とされたような絶望感に見舞われ、心は真っ暗闇、しばし言葉を失いましたが、見える左眼を見開くと、私の反応に気づいたらしく、天使が屈託ない笑顔のまま少しだけ同情する口調で「すぐ見えるようになりますよ」と言い残して立ち去ったのです。続いて、院長の「手術後診察」が始まるのですが、私だけが手術に失敗したとしたら? なんだか一人だけ取り残された暗然とした気分でした。

白内障手術記-7


白内障手術記-7

花見 正樹

最近、社会問題化している高齢ドライバーの事故、それに対する社会の風当たりは大型台風並みに高まるばかりです。
お陰で私の周囲の隠居仲間の間では免許証返上組が続出、まだ隠居にはほど遠い現役熟女などの間でも免許証返上が流行中とか。我が家も例外ではなく、子供達は、親である私に向かって無礼にも免許証返上か、免許書き換え中止かの二者択一を迫って苦言のオンパレード、車に関しては私は四面楚歌の中で身を縮めています。

警視庁ウェブサイト「高齢運転者が関与した交通事故発生状況(平成28年中)よると、10万人あたりの死亡事故件数を年齢別の事故の起こしやすさがわかります。
1、16~19歳13.5人/10万人。 2、80歳以上、12.2人/10万人。 3、70~79歳、5.4人/10万人。 4、20~29歳、4.8人/10万人。 5、60~69歳、3.7人/10万人。 6その他。
以上でみると、19歳以下、80歳以上が要注です。
私は83ですから家族の反対も無理はありません。
家族からみれば、家から駅まで歩いてもたかが13分、散歩に丁度いいし、隠居溜まりの築地に行けば乗り物には不便がない、その築地もそろそろ撤退したら? と本物の隠居扱いになりつつあるのです。
私には男の孫がいて小学校5年生、友達と映画や博物館に出かけることも増え、父親離れ祖父離れの年齢にはなりますが、何といっても孫にとってのイナカは我が家、一人で遊びに来られるようになって、アウトドアー仲間の私が免許証がなかったら・・・こう考えると、免許証は私にとっての必需品なのです。
私の手術前の目は、緑内障悪化の右眼視力は裸眼で0.01、眼鏡使用で0.15でした。左眼も緑内障ですが、こちらは失明の心配はなく、裸眼で0.2、眼鏡使用で0.5.両眼の眼鏡使用でかろうじて0.6.このままでは免許証の書き換えは無理です。そこで年甲斐もなく、視野を悪くしていると思われる白内障の手術に踏み切ったのです。
6月16日(日)の午後、視力の弱い右の眼から手術が始まりました。
頭から頬にかけて防水キャップを被ってテープで止め、腕には抗生物質の点滴、暗い部屋で椅子を倒して上を向いた病人衣服の私の顔に向けられた光の輪は煌々と明るく、そこに光る金属が何か知る由もないが顕微鏡を使って濁った水晶体を取り除き、新しい水晶体と取り換える極めて緻密な作業が行われているのは間違ありません。チョキチョキと傷をの細かく何かを刻む不気味でリズミカルな音と、大量の消毒液の流れる音がかすかな執刀医の呼吸とともに聞こえ、視界がぼやけた眼は光の輪。の中に動く手術の一挙一動を懸命に追うのだが、薬で膨張して焦点の定まらぬ視野はただぼんやりと経過を眺めているだけ。麻酔が効いて痛みはなく、手術は呆気ないほど短時間で済みました。執刀医の「成功です」の声に送られ、視野がぼやけて残念ながら顔も名札も見えぬ看護師に優しく手を引かれて、術後の休息と点滴の始末のために、準備室の深々と個別ソフアにへたと座り込んだ時は一気に緊張もほぐれました。そこで、やっと安堵の気分で前後の手術仲間とも冗談を交わしてくつろぐことが出来ました。手術後の眼には金属(アルミ)キャップが被せられ、明日の来院までは外せません。

白内障手術記-6


白内障手術記-6

花見 正樹

  大型台風10号通過の影響もあってか日本列島はすっぽりと熱帯に覆われ、埼玉県熊谷市では、ついに41度を超えました。これでは蒸し風呂、快適な夏どころではありません。もっとも甲子園球児の熱中症をもものともしない活躍を思えば多少の熱さは我慢できます。さて、お盆休みも終わって週明けからはまた新たな気分で仕事です。
開運村も開村してはや十年、それを記念して通信講座に用いていた講座を、そっくりそのまま「独学講座」として公開することにしました。ただし、以前に予告した料金とは少し異なります。
今までの1講座約3万円を、何講座でもダブって学んで1万6千5百円(税込み)で学習できるようになります。ただいま準備中ですが、早くも問い合わせが続いています。
私の目の手術の経過ですが、すこぶる順調、パソコンが眼鏡なしで使えるという若い時からのド近眼がウソのように改善され、家での日常生活には眼鏡なしという信じられないような現状です。これもSU眼科の皆様の協力による手術の好結果、たとえ免許証の書き換えが不可能だったとしても、小説書きに専念できる環境は整いつつありますので感謝感謝です。長年に渉って集めた戊辰戦争関連の資料は書斎からも溢れて山積みにされ、以前からの書きかけ原稿もまだパソコンに未収納のまま放置されていますが、近距離30~40センチに焦点がピタリと合った今、もはや何の迷いもありません。
ただ、ライフワークの長編小説に入る前に、開運道の占い全集1冊の出版予定がありますので、今年いっぱいはまず、弟子&講師陣の力も結集して、来春には世に出したいと願っています。
あれもこれも眼が見えればこそ、銀座の眼科で脅された失明の危機はどうやら遠のいたような気がします。この思いはあの日から始まりました。

 本年6月16日(日)午後1時過ぎ、お仕着せの囚人服(医療衣)に身を包んだ私は、右腕に注射の針を刺したまま抗生物質の点滴を注入された哀れな姿で、車付きの点滴機器を針の刺さった方の手で引きずりながら刑場に向かいます。背後から、私に續く建具屋のAさん達の惜別の声が「行ってらっしゃい」などと明るく薄情に追ってきます。
この日は、午前中が左目手術の方、午後からが右目手術で私は午後の部の4番目、点滴中にパンと飲料各種の支給があって何とか空腹は避けられました。
キリストは重い十字架を自分で背負ってゴルゴダの丘への坂道を登ったことを思えば、点滴途中の準備室から手術室までのたった数メートル,群衆から石も投げられず罵声も浴びせられず、しかも心優しい(と信じる)白衣の天使に手を引かれて、これなら死んでも? いや、よくありません。
ともあれ、2週間ほどの準備期間を経て、死刑台とも思える電機椅子に座らされ、深呼吸して覚悟を決めました。ここで執行人がボタンを押せば、一瞬の痙攣で私はあの世に逝くのです。
普通はその前に牧師が登場してなにかもっともらしい一言を・・・と思っていると、すぐ横から聞きなれた声がします。どうもSU院長が近くにいて死刑執行人に囚人の生前の悪行を教えているらしいのです。それによって刑の軽重が変わるのかもしれません。暗闇の中で、私の耳には、「この方は緑内障がひどいから…」と聞こえました。たしかに私の不注意です。「ハイ」と短く答えた執行人はおもむろに凶器を手にし、その冷たい刃の光が一点に集中したライトの明かりに無気味に光って、いよいよ私に迫ってきました。