暗く辛い週末です。


 陰鬱な梅雨の合間に一時的にせよ晴れ間が欲しいものですが、九州の集中豪雨、新型コロナウイルス感染者増加、それに加えて親友の入院や開運道元幹部の訃報などが重なり、気分の重い週末を迎えています。
 親友の入院とは、開運村HPのお世話人コーナー掲載の副村長で日本の心霊研究学会の第一人者・小林永周講師で、脳梗塞での緊急入院でしたが、会話もそこそこに出来る軽傷でしたので退院後のリハビリ次第では後遺症も残らないと思います。小林講師とは、お互いに100歳までは現役での社会奉仕を実践、との約束していますので、そう簡単に倒れられては困るのです。

 訃報は、同じく開運村HP講師枠に載っている小林永佳講師の御母上で占術家の小林賜恵講師です。その夫君・故小林永尚講師(小林永佳講師の父上)共々私より年長ながら私の三十代の頃からの筆頭弟子であり占術家仲間でした。このご夫婦は、開運道の基礎づくりに尽力してくれた大切な仲間です。その一人の小林賜恵講師が、リュウマチ、骨粗鬆症、肺がんでの長い闘病生活の末に逝去し、明日5日(日)が告別式です。したがって明日5日(日)は私も群馬県安中市の斎場に行って弔辞を述べて参ります。葬儀の喪主は長男の小林貴之君で、私が社主である花見化学の専務取締役、親子4人全員が私の弟子で仕事仲間戦友という固い絆の一家です。

 7月4日(日)の朝のテレビニュースで、集中豪雨による熊本県球磨川流域の氾濫を知り、濁流渦巻く激流を見て息を呑みました。ここには30年近く通っていて知人友人も多く、その家や家族が危険にさらされているのです。この場合、私の三大生き甲斐の一つである大鮎釣りの漁場が壊滅的状態で今年も絶望かと思われる惨状であることよりも、人の安否の方が大切なのは当然のこと、すぐにも安否を確かめ、災害見舞をとスマホを手にしますが、NTT側の電話回線故障の案内が入っていて、残念ながら不通でした。
 それでも釣り仲間の情報は二転三転錯綜していて、八代市の釣り仲間から悲痛な情報が届きました。一勝地地区の肥薩線・球泉洞駅前の河畔の土手上にある鮎宿が隣家と共に濁流に呑まれて流されたとの未確認情報です。あの豪雨での急激な増水は深夜から起こっていて家人が避難する間もなかったとすると、これは大変な惨事になり兼ねません。
 なにしろ電話が通じませんので実情は誰にも分からないのです。
 いま私の頭の中では、「まさか?」と「もしかしたら・・」、この否定と肯定の葛藤で私の心は揺れ動いています。
 私の三大生き甲斐の一つである「大アユ釣り」も、30年来通い詰めた鮎宿の家族的待遇と釣り仲間の友情があればこそです。ここからは、仲間からの新たな情報を待つばかり、まな板の鯉の心境です。

 さらに、今日7月4日(日)午後のニュースで、都内での新型コロナウイルス感染者は131人であることを知りました。
 全国での新規感染者数は昨日一日で250人、これで今日現在の日本国内の感染者数は千人を超え、退院した人を加えた累計感染者数は、約2万人、死亡者数は990人ですから千人目前です。
それに比べてアメリカでは一日の感染者が約10万人、累計で2千万人超といい、世界での新型コロナ感染者数は今や数千万人、死者は50万人を遥かに超えています。
 世界の人口が約70億人とすると日本の人口をその70分の1とすえれば感染者数15万人、死者7千人でも仕方ないのですから、累積感染者2万人、死者千人弱の日本の現状は不幸中の幸いで、この数字で納まっているのが不思議なくらいです。
 日本人が感染者が少ない理由として挙げられるのは、納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品や緑茶のカテキン有効ではないかとの説もこれで都市部の人達が、徹底してのマスク使用や手洗いの励行、3密を避けて夜遊び自粛、歓楽街やキャバクラやホストクラブなどへの出入りを避ければ、新型コロナウイルス禍が終息するのは間違いないのですが、遊びにふけって周囲への迷惑を省みない不埒な連中が後を絶たず、逆に増え続けるという悪しき傾向に向かっているのを感じますが、これも成るようにしかなりません。
 昔、ダミアの「暗い日曜日」を聴いたパリ市民が続々と自らの命を絶ったような気分ですが今日は「土曜日」、「明日は明日の風が吹く」との日頃の自分に還って淡々と明日の葬儀に向かい故人を偲んで参ります。
 以上、梅雨の合間の暗い週末について私事を述べましたが、心はすでに明るい次週に向いていますのでご安心ください。

赤い橋


赤い橋

 令和2年6月2日夜、築地サロンから遠望したレインボーブリッジが不気味なほど真っ赤に染まりました。
 東京都内の新型コロナウイルス感染者が34人と激増したことで、小池都知事が予告した東京アラートが発令され、レインボーブリッジが血の色にライトアップされたのです。もちろん、ウイルスをストップさせるための赤ですが、夜の繁華街の再開で夜遊びに繰り出した人々が再び自粛しない限り歯止めは効きません。
 この赤い色を遠くから眺めただけで不吉な予感がして、このウイルスの感染予防には一層の警戒が必要であると再認識させられました。これだけでも、この赤いライトアップはそれなりの効果が有ったのは間違いありません。
 この厄介なウイルスとの戦いは、短期決戦はもう無理です。36計、逃げるが勝ちと思って家に閉じ籠っていても、ストレスが溜まるばかりですから、たまには気晴らしに友人との飲み会やランチ会ぐらいは、と思うのが人情です。
 私は、自宅作業で自粛の期間、仕事の合間に、撮り溜めた長編・中国ドラマの録画鑑賞三昧での退屈しのぎでした。
 三国志、水滸伝、項羽と劉邦、大秦帝国・強国への道、孫子の兵法、などですが、なかでも、中国軍隊がエキストラで出演する壮大なスケールの三国志は圧巻で、何度見ても飽きません。日本の武士道など吹っ飛ぶような、欺瞞に満ちた騙し合いを描く中国ドラマこそ人間の本質を赤裸々に描いていて凄みがあり虚々実々で実に面白く不気味で、現代の中国人の中華思想に通じるのも良く分かります。
 これらのドラマに流れる「勝てば官軍」の思想こそ、「孫子の兵法」の骨子にある「どんな手を使っても戦いは勝たねばならぬ」のであって、そこには敗者の美学など微塵もありません。敗軍の将が何を語っても、それは「負け犬の遠吠え」でしかないのです。全てが結果主義、成功者や富める者が称えられ、敗者や貧しき者は辱められ抹殺されるのです。
 日本には、貧しくも清く生きた人への尊敬と賛美があり、例え戦いに敗れても事業で失敗しても、その生き様が立派であれば、人物として認められ尊敬される「敗者の美学」という救済措置があり、これは「武士の情」として日本の古きよき伝統でした。これが今失われつつあるのです。
 いま、新型コロナ感染者の少ない地方などでは、たまたまウイルス感染者が出ると家族を含めて周囲から白い目で見られて村八分とか、それが医療従事者で被害者だったりするのですから悲しいです。
 レインボーブリッジを赤く染めた原因になる東京都のウイルス感染者34人の内訳には、病院の医療従事者と、新宿歌舞伎町飲食街の従事者と顧客などが目立ちます。
 自粛に逆らって夜の歓楽街で飲み歩いて感染した遊蕩客と、それを治すべく力を尽くしてその遊醉客から感染した医療従事者が同列に扱われ、その家族まで周囲から白い目で見られるなど有ってはならないことです。
 いまや、どなたでも明日は我が身、いつどこで感染するかは分かりませんが、その感染先にも良し悪しがあることだけは自覚すべきです。と、私もおのれを省みて手帳を眺め、2週間前からの行動や出会った人を思い出し、3密とは無縁の自分を哀れみ、少し寂しく思ったところです。

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過去のインフルエンザウイルスに学ぶ


去のインフルエンザウイルスに学ぶ

 今回の新型コロナウイルスの世界での感染者数が、ついに2千万人を超え、死者も13万人を超えました。日本でもついに感染者の累計が1万5千人を超え、死者も5百人を超えました(4月末現在)。
 政府の発した緊急事態宣言による自粛が効いてか、大阪では感染者の減少に伴い、早くも自粛を弛めて経済活動の再開への動きが報じられています。
 しかし、東京首都圏は未だに自粛緩和への道筋が見えていません。
 5月6日までの緊急事態宣言が5月末日までに延長され、自宅待機・在宅勤務による本人と家族の閉塞感やストレスは決して軽くはありません。もちろん、家族が毎日四六時中一緒に暮せるのですから、楽しく過ごせる工夫さえあれば大いに有意義なはずなのに、これが長期になると苛立つこともあり、平和な平常時では見えなかった夫や妻の知らなかった素顔が見えたりして良いのか悪いのか、結論はコロナ終息後に出ます。
 省みれば、このウイルスによる恐慌は今に始まったことでもありません。
 悪魔の化身であるウイルスは人類がいくら駆除しても形を変え姿を変えて陰湿に生き残り、進化した毒を持って何度でも執念深く人類を襲います。
 これはまだ私の生まれる前のことですが、1918年の春から1919年の秋 まで続いたアメリカ生まれでスペイン風邪と呼ばれたインフルエンザウイルスは、 人類の約半数を感染させ、第1波から第3波までを集計すると世界中での死者は約5千万人、日本でも約2千万人が感染して約32万人(39万人説あり)が死亡しています。
 この時のウイルスでの死者が何故多かったかというと、このウイルスの流行初期に、治療に当たった医師や看護婦が次々に感染して倒れての医療崩壊で、多くの患者が治療を受けられずに死んでいったのです。
 当時は第一次世界大戦中で世相も荒れ、誰もが経済的にも困窮していて、栄養不良で抵抗力も弱かったのです。その上に医師不足で医療レベルが極端に低く、軽症者は重症者になり、重症者は生き残れません。こうして多くの人々が犠牲になっています。なお、第一次世界大戦の死者は約1千万人、ウイルスでの死者のほうが遥かに多かったのです

 16年前の2004年1月に山口県の養鶏場で発生した高病原性鳥インフルエンザのウイルスの万延によって、日本中のニワトリが大量処分され、野生の多くの鳥が死んだことに始まって、2005年2月には大分県で流行、そのウイルスが生き残っていたのか2006年から中国大陸などアジアで再発し、2008年年にはまた日本の養鶏場からも、十和田湖とサロマ湖で死んだ鳥からも、白鳥からもウイルスが発見されています。
 この人間には感染しにくいインフルエンザウイルスが変異したのか、2009年春にメキシコで発見された豚インフルエンザです。このウイルスの流行が人間社会をも飲み込んで世界中に広がり、28万人を超す死者を出しています。
 その時のウイルス対策が今も私の手元にも残っていて、過去のインフルエンザでも今回の新型コロナウイルスでも、症状も対処法も殆ど同じであることに気づきました。
 だとしたら、このウイルス対処法を頭に入れておけば今後に役立つはずです。
 今回の新型コロナウイルスには少々手遅れの感はありますが。

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 インフルエンザウイルス疾患症状
 1、発熱・3日以上発熱が続いている。
 2、呼吸・呼吸困難(息切れ、呼吸が早い、肩で呼吸、全身で呼吸) 。
 3、せき・せき、鼻水が出る。
 4、痛み・疼痛(頭痛、胸の痛み、のどの痛み、筋肉痛)。
 5、意識・意識障害(ぼんやり、反応が鈍い、視線があわない、呼びかけに答えない、幻覚)。
 6、言動・異常言動(意味不明なことを言う、動き回る、落着きがない)。
 7、変化・顔色が悪い、唇が紫色に、嘔吐が続く、手足の震え、倦怠感、下痢など)
 上記の2~3項目以上に該当する場合、すぐに受診をお勧めします。
 (注)今回の新型コロンなウイルスは以上の他に、味覚障害、臭覚障害が這入ります。

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 ウイルス対応・高リスク層
 1、妊娠中の女性(特に妊娠28週以降)。
 2、5歳以下の子供(2歳以下の小児は特に注意が必要)。
 3、65歳以上の人(1930年以降に生まれた人殆ど免疫がない)。
 4、持病のある人(じん臓・心臓・呼吸器・神経に障害のある人、糖尿病など代謝性疾患の人、ガンなど免疫機能不全、ステロイド全身投与、メタボ等)
 5、免疫力の低い人(病人、栄養状態が悪い、過労、睡眠不足、喫煙者。虚弱体質など)。

 ----インフルエンザ
 インフルエンザウイルス予防法
 1、バランスのとれた栄養食(野菜。果物、、全粒穀物、脂肪の少ない蛋白質など)。
 2、充分な睡眠
 3、適度な運動
 4、人ごみを避ける。
 5、口や鼻を触らない(感染者の手に付着したウイルス予防)
 6、うがいをする。
 7、石鹸で手洗い。
 8、不用な人に近づかない。
 9、空調に気配り(部屋の換気を良くする。温度・湿度を高めに保つ)。
10、マスクの着用(口の両脇に隙間がない物、外出時は必ずマスク着用)。
11、する人がほとんどであった神戸・大阪では感染拡大が百人単位で収束
12、こまめに水分補給(のどが渇かないように)。
 
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 インフルエンザウイルスに感染したと思ったら(家族と協力)。
 1、2次被害防止にマスク着用。
 2、外出自粛
 3、家族とは別の部屋で過ごして接触を避ける。食器など
 4、タオル、衣類、日用品などは家族とは別にする。
 5、時々窓を開けて換気を良くする。 
 6、水分補給はこまめに。
 7、あわてず十分に睡眠を。
 8、通院前に電話で医療機関に受診場所・受診時間・入り口などを確認。
 9、病院へ(早いほどいい)。
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 ここのところニュースで、新型コロナウイルスの特効薬が盛んに話題になっていますが、これは朗報です。多少の副作用はあったにしても、これで多くの人の命を救えるのであれば使うべきです。
 なお、私個人としては、大型連休後は自粛を緩めて少しづつ通常の仕事に戻る予定です。

危機を乗り切るには!


 

 危機を乗り切るには!

 28日(火)朝のニューースでは、東京都内の新型コロナウイルス感染者数が、28日ぶりに40人を下回っての39人となり、ほっと一息ついた感じでした。ところが28日夜のにゅーすで112人の感染者が出て逆戻り、まだまだ予断を許しません。
 明日から始まる大型連休には、自粛に飽きた大勢の人がいっせいに動くことも考えられます。コロナとの勝敗のカギは、連休終了後2週間を経過した後の感染者数次第です。ここでまた感染者数が増えていたりすると、今までの在宅自粛の努力はは水の泡、また長期に渉って家に籠ることになります。
 最近、新型コロナウイルスの陰に隠れて目立ちませんが、首都圏を襲う地震の数が確実に増えています。一昔前の諺(ことわざ)では「地震、雷、火事、おやじ」が恐いものの代名詞でした。いまは一見「地震、雷、火事、コナ」に思えますが、これは違います。「恐い」を「怖い」に変えて俗諺は生きていたのです。
 今回の新型コロナウイルスのお陰で今や世界的な不況に陥り、自宅待機、一時的解雇、在宅勤言です労働人口が家庭内に滞留したことによって家庭内での様々なストレスと化して父親や母親による幼児への虐待や家庭内暴力が急増しています。したがって、いま暫くは、怖いからものから親父(おやじ)は外せないのです。とくに、再婚した母親の連れ子への虐待が突出していますから、ここは「地震、ウイルス、火事、おやじ」となります。もちろん、この悪い義父はほんの一部なのですが、そのために多くの義父がそのような目でみられるのですからいい迷惑です。
 さて、このような家庭内暴力の結果、離婚予備軍もかなり増えているようで、新型コロナウイルスの被害はとどまるところを知りません。
 このようにネガティブな話題ばかりが続く中、開運村執筆常連の宗像信子講師から、新型コロナウイルス感染対策に対してのポジティブな情報が前回に続いてメールで届きました。付記としてフェイクニュースとありますので信じるか信じないかは人それぞれ自由ですが、私自身はすでにこれに似たことを実行していますので、コロナウイルスに対する抵抗力強化に有効とみて全面的に信用しています。

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●「イギリスのクイーンズ病院の医師が勧める呼吸法」
 大きく息を吸い込み、5秒間息を止め、その後吐き出す。これをトータル6回するのだが、6回目の呼吸の時、大きく息を吸い込んだら大きな咳をして一気に息を吐く(口を覆うのを忘れずに!)。
 これを1セットとして、2セット行う。
 そして、枕を体の下に置き、うつ伏せに寝て深めの呼吸を意識しながら10分間そのままの体勢で過ごす。
 ほとんどの人は、肺が背中側にあるので、仰向けだと肺を圧迫するらしく、長時間仰向けで寝るのは、肺に負担をかけるのだそうです。

●「クイーンズ病院の医師が勧める呼吸法」
について、私がお世話になっている呼吸法と筋肉の専門の先生からアドヴァイスをいただきました。
 この情報に対してある呼吸器科の医師がコメントしています。
 新コロは肺を痛めるので、肺の活性法としてのブレストレーニングとしては有効だと思います。 
 負荷をかけて行う胸式呼吸が有効なので、肋骨を大きく膨らませるように息を吸い、止め、それから吐き切るようにする。
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●下記は宗像信子講師の友人(医師)の私見です。
 咳をするというのはウィルスを出したいという事だと思います。
 どちらにしても現代人は呼吸が浅く、肺が不活性なのです。
肺はただの袋。動かすのは横隔膜と肋間筋です。
 その筋肉を鍛えるには多少の負荷は大事です。
 今私が提唱しているのは、座って(あるいは立って)、前かがみになるような姿勢(背中を丸める)をとり、この状態で肋骨を膨らませるようにたくさんの息を吸うのです。
これは私が肺炎の患者さんのリハビリに使う呼吸法。
 これも肺を小さく縮めておいて、たくさん息をすわせて、吐かせるという危険の少ない肺のトレーニング方法です。
 この方法で肺は活性しますし、肺活量も増え、肋間筋も強くなっていきます。
 本当は呼吸は鼻から吸うのがベストです。普通の肺のリハビリならば鼻から吸わせます。
 ただ、私はあえて口からで、今回は良いと思いました。
 なぜなら、新コロナウィルスは鼻の粘膜により付きやすいとの報告があるので、あえて口からなのかな、と考えたからです。
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●村長の呟き
  ウイルスへの抵抗力が強い人は、感染しても風邪で寝込む程度の休養で全快して免疫力もつきます。
 どんなことでも、いいと思ったことはしてみるに限ります。

 

新コロナウイルスに勝つ!     


 新コロナウイルスに勝つ!
    
     花見正樹

安倍総理の東京都など7都府県緊急事態宣言によって、外出を自粛し、人々はいっせいに家に逃げ込んで耐えています。
 これを中国の故事でいえば 「三十六計逃げるに如かず」で、古代中国後漢・南宋時代の壇道済(たん・どうさい)将軍が書いた「兵
 新年のご挨拶に、「令和2年(2020)・開運・12支占い」で「七赤金星年は赤い柔軟な金属の銅を表し、そこからの連想で、口に関する事象が重なります、と載せましたが、現在、世界中の人々がマスク姿で口から侵入する新コロナウイルスから身を守っています。
法三十六計」の最後の章で、「万策尽きたら逃げるのが得策」とあり、これも戦術の一つで、易経の争いの卦である「地師」の四爻(こう)の内容に一致します。そこには、「旗色の悪い戦いでは一旦引き上げて状況を見極め、焦らず機の熟するのを待てば、いつか勝利の道が開く」との意味があり、まさしく正解と思えます。
 でも、これよりもう少し前向きで積極的な故事があるのです。
「彼を知り己を知れば百戦殆う(あやう)からず」です。
 これは、紀元前500年頃の中国・春秋時代に活躍した呉の孫武(孫子)が書いた中国最古の兵法書「孫子の兵法」にある一節です。それまでの戦争の勝敗が天運次第だったのを、孫武(孫子)は勝利は優れた戦略で得られるとしたのです。
 ならば私も逃げるだけでなく、微力ながら勝つための戦略を考えて、巻き返しを図りたい、と実戦に身を投じたところです。
 よく、人は難局を迎えたときに真価を発揮する、と言います。
 今は、新型コロナウイルスで世界中が空前の難局、、このような時にこそ、人々の不安や悩みを吹き飛ばす妙薬が欲しいもの、それさえあれば新コロナ・ストレスから人々の心を解放することが出来ます。
 かつて、開運道の前身であるヘルスジャパンでは、昭和50年代に、カナダのハンス・セリエ博士の元でストレス学を学んだ銀座内科の藤井尚治院長の協力を得て、日本で最初の「ストレス解消サロン」を開設しました。その後の冬季に発生したインフルエンザの大流行で、世間の人々の恐慌と閉塞感と不安によるストレス状態の方々からの相談やマスメディアの出演依頼が殺到して、朝から晩まで多忙だった日日の記憶が今でも脳裏の片隅に残っています。
 この時も、今回の新型コロナウイルスとそっくりで、様々な憶測や流言が飛び交う状態をみると、人は半世紀を経ても何ら変わらないことを知らされて暗然となるのです。
 それから時代を経た2009年には、世界で5千万人以上が感染し、多くの死者を出した恐怖の豚インフルエンザの大流行が人々の記憶に残っているものと思います。今回の新型コロナウイルスの感染ルートや対処法も何ら変わるものではありません。
 今回、厚生労働省、国立感染症研究所による新型コロナウイルスに対する対処法の90%以上は、我々が半世紀前に学んだインフルエンザ対策そのままですから、なかば習慣的になっている生活習慣に加えて、新たな対処法をプラスするだけで全く恐れることもなくなります。
 ただ、従来のインフルエンザ対策と今回の新型ウイルスの大きな違いは、従来だと冬から春にかけて適切な予防措置をとっていれば感染が消えたのに、今回の新型コロナウイルスは、まだ季節感が読めないことと、死亡率が従来のインフルエンザの平均死亡率を大きく上回っている(推定6倍強?)ことです。2009年の豚インフルエンザの死亡者は全世界での総計が、 14,286人でした。今回は、それを遥かに凌駕する勢いで蔓延しつつあり、イタリヤだけでもそれを超え、死亡者の総数は人類がまだ体験したこともない天文学的数字になりそうです。
  なお、新型コロナウイルスに感染しやすい人、感染してから発症して重症化しやすタイプを列記しますと、糖尿病など代謝性疾患、腎機能障害、ガンなど免疫機能不全、高血圧、肥満、ヘビースモーカー、慢性心疾患、65歳以上の高齢者、寝不足や疲労で体力が極端に落ちている人などで、健康者の殆どは風邪の症状に似た状態で推移し、適切な休養と治療で回復しています。
 この新コロナウイルスの発症の様子は、2009年のインフルエンザも今回の新型コロナウイルスもほぼ同様で、発熱、せき、頭痛、関節&筋肉痛、倦怠感などの症状ですが、これに、新型コロナウイルスは臭覚障害、味覚障害が加わります。
 さらに、今回の新型ウイルスは、従来のインフルエンザに比して、発症からの進行スピードが雲泥の差で速く、わずか一日で呼吸困難になって危篤状態になり医師の手当が間に合わないなど予測がつかないこともあるから怖いのです。
この季節、単なる風邪の人もいればインフルエンザの人もいます。それらも重症化した場合、高齢者や病歴のある方は免疫力の低下で急性肺炎になる場合もあり、新型コロナウイルス感染者と間違えられますので注意が必要です。
 普通の風邪も様々なウイルスによりますが、のどの痛みや鼻みず、咳やくしゃみや咳などの症状も、市販の風邪薬を飲んで数日の急用をとるだけで回復し、肺炎にまで悪化することは滅多にありません。
 それに引き換え、悪性のインフルエンザは、命に別状はなくても肺炎の危険は常にあります。それにも増して、今回の新型コロナウイルスにかかると生命失墜の危機に瀕するだけに、前述の感染しやすい方々は絶対に感染してはいけないのです。
 さて、ここからが本題の「新型コロナウイルスに勝つ!」です。
 このストレスに勝つためには周到な戦略も必要です。
 この新コロナウイルスで、欧米に比して日本での死者が極端に少ないのは、緑茶に含まれているカテキンによる殺菌作用のお陰ではないか、とする説もあります。国の正式承認ではありませんが傾聴に値します。確かに、緑茶に多く含まれるカテキンは、毒素型菌に対して毒素を消す解毒作用があり、感染型菌に対しては細菌の細胞膜を破壊して殺菌する作用があり、抗毒素作用や抗酸化作用;、抗ウイルス作用などは以前から知られています。
 ならば、これを活用しない手はありません。早速、開運運道・築地サロンでは、薬局で消毒用アルコールが姿を消したのを機に、パック入り緑茶を購入して、6パックを煮詰めて冷まし水で調整して2Lポリ瓶に入れ、ウガイ、手洗い、人が触れるあらゆる室内の殺菌兼用の拭き掃除に使い始めました。
 私は医師ではありませんので医学的知識はありませんし、開運道も講師に医師や看護師はいますがクリニックではありませんので発症した病人を治すことは出来ません。しかし、予防医学としての英知を結集すれば、徹底的にウイルスを封じ込めて、感染を防ぐことが出来ます。そこで、私および開運道・築地サロンでは、次に列記する予防法を実践中です。観戦者の
 今回の新型コロナウイルスで、身の危険をも顧みずに感染者の治療に専念されている医師・看護師など医療従事者の皆様には心から感謝の念をお伝えさせて頂きます。
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 私の新型コロナウイルス感染予防法
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 マスク使用(菌を吸わない、散らさない)。
 手洗いの徹底(石鹸使用)。
 栄養とバランスのよい食事(野菜・果物・穀物、蛋白質など)。
 充分な睡眠(個人差あり。私は6時間)。
 適度な運動(速足散歩など。または。
 人ごみを避けること。私階段往復で汗ばむまで)。
 多人数で集らない(私は大きく距離を置いて4人まで)。
 人との距離を保つ(私は来客と約1・5メートルを守っています)。
 室内の換気を充分に(私は一日3回)。
 室温を高めに(体が感じる温かさで調整)。
 湿度を高めに( 室内に濡れタオル、ポットの蓋開けなど)。
 体温を暖かく(私は着衣を1枚増やしています)。
 こまめな水分補給(とくに外出時は絶対に喉を乾燥させない)。
 うがい(塩うがい、濃緑茶うがい。私は朝晩は塩で、日中は緑茶)。
 熱めの日本茶を多飲(カテキンが抗菌作用と抵抗力を強める)。
 玄関から屋内で人が触れるものは全て、アルコール、濃緑茶などで殺菌。

(注)新コロナウイルスが熱に弱いという説があります)。
 濃緑茶は、緑茶パック6袋を煮詰めて冷まし、2Lポリ瓶一本にして使用。
 以上はあくまでも予防医学、緊急事態措置は尊守しています。
 これで、緊急事態宣言を守りながらも、安心して仕事など日常生活も無事に送れます。

大人も子供も新学期!


今日から大人も子供も新学期、嫌なムードを吹き飛ばして気分一新、全てが新たなスタートです。 しかも東京近郊の桜は満開、築地も本願寺周辺は花盛り、いよいよ春本番、気分も上々です。
 例年ならこのように台本通りです。ところが、今年はどこかに狂いが生じています。
 開運道HPの常連執筆者の宗像信子講師のお身内の日赤病院の医師からの伝言が、悲痛な医療現場の真実を伝えています。
 これをみて、私は強い衝撃を受けました。それを、ここに載せさせて頂きました。
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これは、呼吸器専門医からの忠言メールです。
・・・・・・・・・・
 私は今、東京の日赤総合病院で働いていますが、この数日でコロナウイルス感染症の患者さんが急増しています。私の病院のコロナ病床は満床になりました。現場ではすでに医療崩壊のシナリオも想定され始めています。正直、報道よりも一般のみなさんが思っているよりも、現実は非常に厳しいです。
 ごく近い将来、本来助けられるはずの命が助けられなくなる事態になりそうだと感じています。
今まで、どんな人でも少しでも生きたいという思いがあるのなら、全力で命を助ける医療をやってきました。でも、このまま感染が拡大すれば、「助ける命を選択する医療」にシフトしなければならなくなります。本当に悲しい。だから、外出を控えてください、人と会わないでください。感染を食い止める方法はこれしかありません。
生きていくための最低限の外出だけにしてください。このメッセージを出来る限りの家族や友人にシェアしてください。
時間がもうありません。よろしくお願いします。
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 これを拝見してすぐ私は行動に出ました。
 開運道スクールの対面授業の殆どをスカイプ指導に変えて、交通機関での感染リスクを減らしたのです。
 さらに、自分自身の在宅仕事を増やして不特定多数の人との接触を激減させることにしました。います。
 これで、ほぼ完璧・・・ところがテレビのニュースでは、あまり外出をしない人の感染を報じています。
 お笑いタレントの志村けんさんはヘビースモーカーでしたから感染後の回復に難があってお気の毒な結果でしたが、タバコも吸わず規則正しい生活をしていても発症するケースがありますので、感染症の専門医でも今回の新型コロナウイルスの猛威にはお手上げ状態だというのです。こうなると医療崩壊も現実味を帯てきます。
 この一文をお読みの開運村仲間のあなた、絶対に感染しないように最善の努力を心掛けてください。この暗いトンネルを無事に通り抜けた切り抜けた後で、皆さまとご一緒に大いに我が世の春を謳いたいものです。

 

思い込み


思い込み

 いまの話題は新型コロナウイルス、これは避けて通れません。
 この憎っくきギャングウイルスめが邪魔をしてイベントも集会もダメ、ランチ会も控え気味、いくらおしゃれをしても無様なマスク姿でサマになりません。女性の春おしゃれが控えめだと、男性からみても興醒めです。いまは何をしても盛り上がりに欠けています。
 WHO(世界保健機関)は20日、新型コロナウイルスによる感染者数は25万人を超え死者数も世界で1万1000人を超えた、と発表していますが、これからは益々増加するばかりです。
 それにしても、このウイルスで、イタリヤの感染者4万人超を筆頭にスペイン、アメリカ、韓国など世界中に黴菌を撒いて猛威中でいて、その勢いはそう簡単にはおさまりそうもありません。
 そんな中で安倍総理は、「東京オリンピックは観客ありで予定通り行う」と明言しましたが、世界中から延期の声が挙がっていて、オリンピック開催の決定権を持つIOC(国際オリンピック委員会)でも悩んでいることでしょう。
 つぎは私ごとですが、この三連休、久しぶりにアウトドアーで釣りを楽しみました。。
 東京では一週間前から咲き始めて、上野公園などは大勢の花見客で賑わい、横浜でも18日に開花したことをニュースで知りました。埼玉県の北限にある久喜市栗橋地区にある我が家の近くでもすでに桜は五分咲きです。
 私の認識では、東京で開花の頃は西の山口県などでは桜は満開と思っていますから、21日(土)の山口放送ラジオ番組で「この週末はお花見で気分転換を!」とコロナ騒ぎから明るい話題にと番組を締めたのですが、相棒のキャスターの反応がイマイチなのです。「おや?」と思ったところに意外な一言が、「まだ山口は咲いてないですよ」です。そういえば真冬の頃、こちらは小春日和で山口は雪という日もありましたから、西の方が関東より温かいというのは私の思い込みなのかも知れません。
 一転してまた違う個人的な話題ですが、2週間ほど前のこと、食事中に上の左歯が抜けたので久しぶりに歯医に行きました。銀座で仕事をしていた時代からの馴染みですが、支店形式の歯科なので医師はまた初対面の若い歯科医でした。早速、モニターに私の古い歯の写真を映して現在の状況と照合し、「虫歯ですね」と一人で頷き、「お任せいただけますか?」と自信満々なのです。この一言は、大成功だった春日部の杉浦眼科の院長と同じですから信頼するしかありません。つい「お任せします」と言ってから(しまった)と思ったのですが、もう手遅れでした。
ガリガリと電動機器の音は響きますが、麻酔が効いていて一向に様子が分かりません。小休止したところで舌の先で探ってみると、3本の歯が大きく削られて無残にも哀れな形に化けています。「あれ?」と思う間もなく次の作業に入って、終わってみると、セメントで埋めたのか元の歯に戻っています。作業の理由は、抜けた歯をブリッジするためにはその両側を丈夫にしなければならず、その両側の「虫歯の部分を削った」そうです。
 そのようにして削ってから埋めた、上の左奥の歯が問題なのです。先端が鋭く尖っていて、指先で触れてみると血が出そうな鋭さです。それは、まるでライオンの牙のようで、硬い肉でも骨でもバリバリと噛み砕けそうな鋭さなのです。
 早速、硬いセンベイなどを食べてみると、バリバリと気持ちよく噛み砕けます。私はすっかり気に入って、孫などには「牙が生えた」と自慢をし、自分でも野生に戻った肉食獣のような気分でのりのりでした。ところが、この牙には致命的な欠陥があったのです。それは、鋭い刃先が外側に出すぎていて、自分の頬を傷つけるため、口内が血だらけになることです。食事時の口の動かし方を変えてみたりしたのですが、どうしても一日に5,6回は痛い思いをします。仕方なく、連休前の20日(木)午後、思い悩んだ挙句に白旗を掲げて歯医者に行って参りました。若い歯科医は、クレームとみてプライドが傷ついたのか、外側に向いた部分だけを削ればいいのに、折角の牙を丸めて普通の歯に戻した上に、「右下の奥2番目にも虫歯を見つけました」と鬼の首を取ったかのような喜びようで私に有無を言わさず麻酔注射で作業を開始したのです。その削った箇所をセメンで固めて、「次回にきちんと被せて終わりです」と、すごい早業です。
 この作業のツケが、この三連休に襲ってきたのが手術した歯と右下顎と扁桃腺の痛みと腫れで、まるでお多福風邪の腫れ同様の無様な状態で湿布と痛み止めでのアウトドアーです。
 来週はまた歯医者通いですが、絶対にこのひどい作業についてのクレームは口にしません。つぎの報復が恐いからです。と言いながらも、もしかして、この粗雑な仕事ぶりの若い歯科医が、将来は名医になる可能性もあるのを感じるのです。理由は、自信満々で作業に迷いがなく仕事が早い・・・これだけでも特筆すべき特技です。そう思えば、少々の痛みに耐えても実験台になるべきで、84歳で25本ある自歯が少々抜かれても不平不満は言うべきではないとも想えます。
 これが私の思い込みだけではないことを願って、痛みに耐えています。

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コロナ・ウイルス


 

 コロナウイルスによる新型肺炎への脅威が一向に収まる気配がありません。この勢いだと、世界中のあらゆる人々や企業にも多かれ少なかれ影響がありそうな気配です。
 まさか、隠居仕事の私にまで影響があるとは思いませんが、それでも用心するに越したことはありません。35年以上も続く私の出番(山口放送ラジオ)でも、最近では毎回のようにこの話題が出ていて、いささかうんざです。それが、珍しく昨日23日の土曜日の放送では、男性のメインキャスターW氏、女性のサブキャスターYさん共々、意識してか、コロナのコの字も口にせずにラストを迎えました。そこで、私が締めの一言を加えれば無事に番組終了です。
「今日からの一週間、皆さん共通の一言は、そろそろ早めに春オシャレ・・・です」
 これで「そうですね」とか「春ですから」の相槌で終わるはずなのに、Yさんがぽつりと「マスク姿で」と言ったので急に話題がコロナウイルスに飛び火して少々時間延長になりました。確かに女性のオシャレには辛い春です。
 中国では感染者の実数は数万、死者も千人を遥かに超え、日本国内での感染者も、北から南までに700人を超えて連日増え続けています。
 横浜埠頭に停泊中の集団感染者の出たクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」下船時での検査ミスによって、感染が拡大したとの風評もありますが、通勤電車内で全員がマスク装着というのも仕方ないとはいえ、異様で不気味な光景です。
 政府の対策は相変わらず後手ばかりで、乗客23人に健康観察期間中のウイルス検査を実施しなかった大失態についても、岸田政調会長も政府のミスを認めて、「早急に追加の検査も含めた緊急対策を」と後追い発言です。
うなれば、政府も医者も当てにせず「我が身は自分で守る」しかありません。開運道サロンでもアルコール消毒噴霧、予備のマスクも用意して会員や来客の安全に万全を期しています。
 どうぞ、安心してお越しください。

あれから25年ー2


 あれから25年ー2

  花見 正樹

 前回は、25年前の阪神・淡路大震災の追憶版でしたが、その2ケ月後の1995年(平成7年)3月20日(月)の朝、世にも恐ろしい「地下鉄サリン事件」が発生したのです。
 これは天災ではなく、化学兵器を使った人為的な殺人事件ですから最悪最凶の人災です。しかも、国家転覆を狙っての計画的なテロですから手口が幼稚すぎて呆れます。
 しかし、まるで子供の遊びのようなこの悪魔のテロによって死者13人、重軽傷者6,300人以上の大きな被害が出たのですから遊びにしては残酷すぎます。しかも都民の通勤時間のピークを襲うという卑劣な手法からみても絶対に許せません。
オウム真理教 など悪魔の巣窟であって、人を救うはずの宗教とは縁遠いものです。
 この国内最悪の残虐なテロ事件の正式名は、「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」です。
 彼らの標的は、営団地下鉄丸ノ内線、日比谷線、千代田線の多岐に渉っていて、いずれも通勤ラッシュのさ中に実行されましたので被害も大きく、乗客・乗員・駅員・救助隊など 次々にサリンの猛毒に侵されて倒れています。
 当時の私は、埼玉県北部の南栗橋から日光線に乗り北千住で日比谷線に乗り換えて銀座駅まで通っていました。その日比谷線でもサリンが撒かれて、被害に遭った列車が築地駅で停車し、通勤客が立ち往生しているという北千住駅の構内放送で事件を知りました。ただし、その時はまだ「何らかの事故で」としか知らされていません。
 振替輸送のJR常磐線に乗って上野駅で山手線に乗り換えて有楽町駅、ここから銀座のオフィスまで走り、私の事務所の居候だった新聞社出身の釣友M氏に撮影機材を担がせて事件の渦中にある築地駅に直行です。
 被害に遭った車輛は北千住発中目黒行きの前から3輌目で、それだと近い出入口は本願寺側になります。
 駅構内は封鎖されていて入れませんでしたが、重軽傷者の呻きや怒号、救急隊員の叫びや救急車のサイレンなどが今でも耳に残り、本願寺の敷地内に敷かれたビニールシート上に横たわる被害者の痛々しい姿は瞼に焼き付いていて悪夢のように蘇ります。写真は、晴海通りを跨ぐ陸橋の上からも撮れましたが、報道陣や野次馬で鈴なりになり、危険であることからすぐ閉鎖され、立ち入り禁止とされました。
 被害は 日比谷線中目黒行きだけでなく、日比谷線の反対側北千住駅行きも被害に遭っていますが、私が取材した日比谷線中目黒行き車輛については次のように判明しています。
 日比谷線の北千住発7時43分発中目黒行き(列車番号A720S[)の3号車に上野駅から乗ったのが、散布実行犯の林泰男です。他の実行犯がサリン2パックを携帯したのに対して、林だけは3パックを携帯して殺傷力を高めていました。
 林は、秋葉原駅到着直前に、グラインダーで鋭く尖らせた傘の先端で二重層のサリンパック3ケに次々に穴を開け、ドアが開くと同時に自分は素早くホームに降りて、人混みに紛れて逃げ去ったのです。それからがパニックでした。
。乗客は次々に倒れ、次の小伝馬町駅で乗客の一人の男性がとっさの機転でサリンのパックを次々にホームに蹴り出しました。この時に飛び散ったサリンが結果的には被害を拡大することになってしまったのです。それでも、この乗客の勇気は賞賛すべきで責めるべきではありません。
 この列車は、サリンの液体を床に残したまま運行を続けましたが、次の八丁堀駅停車した時点で大きなパニックに陥り、複数の乗客が前後の車両に避難しています。それでもまだ通報がなかったため、運転手は事件の重大さに気づかずに運転をつづけます。ところが。八丁堀駅を出た時にホームに複数の乗客が倒れて人だかりがして、数人が「大変だぞ!」と異常事態を知らせてくれたことで運転手に連絡し次の築地駅での対応となったのです。とほぼ同時刻の8時10分に乗客が車内の非常通報装置を押したため、列車は築地駅まで進行して停車し、車掌が駅員を呼び運転手も駆け付けて大変な事件であることに気づきます。
 運転手が直ちに、「築地駅で停車、3両目で白煙上がり何らかの事故発生、複数の客が倒れている」と指令センターに通報し、救助活動が本格的に相次ぎ、次いでスタートします。
 東京消防庁には、事件発生当初は正確な情報は伝わらず、、「地下鉄車内で急病人」「地下鉄車内に異臭」「負傷者多数、応援求む」の通報に次いで「築地駅で爆発」と誤報もあり、各駅からのの報告も錯綜して、司令塔である災害救急情報センターは一時的にパニック状態に陥って機能が麻痺しかけたとも聞きます。
 築地駅では、ドアが開くと同時にホームになだれ込むように倒れた乗客のほとんどが、重症となって病院に搬送されています。
 この時の救出時の光景はテレビ局各社で中継されました。陸橋の上から救助風景を撮っていた私の耳元開運道のでも、フジテレビの 安藤優子 アナウンサーが撮影に合わせて実況中継をしていて、その落ち着いた口調にプロ意識を感じて驚嘆したものです。
 その後、幾多の曲折を経て、首謀者の麻原彰晃が死刑(2018年7月6日執行)、調整役の井上嘉浩も死刑(執行済み)、実行役の広瀬健一が死刑(執行済み)、同じく実行役の横山真人 も死刑(執行済み)、 同じく実行役の豊田亨も死刑(執行済み)、そして前述の築地駅での事件の実行犯・林泰男も死刑(執行済み)、指揮者の村井秀夫は求刑を待たずに死亡。実行犯でただ一人だけ無期懲役で生き残ったのが林郁夫、千代田線の我孫子発列車内でサリンを撒いた男です。この男は、逮捕される寸前に駆け込み自首して仲間を裏切って全面自供で自分の非を認め、情状酌量を勝ち取って命拾いしたのです。これでは被害者は浮かばれません。私は、山梨県内の上九一色村にも行き、オウムの足跡を辿って彼らの正義を知ろうと努力しましたが、何らの大義名分も得られず、オウム事件は彼らの国家に対する不満を一般民衆殺害で満たすというエゴであって、極めて卑怯な反社会的行為とみて「取材の価値もなし」、と判断してオウム関連の執筆を断念しました。
 こうして、私の50代最後の年は、相次いで発生した「天災と人災」に翻弄され、私の何ら死生観をも揺るがしました。事故や事件はいつどこで起こるか予測がつかず、占いも正確には出せません。これだけは如何ともし難いのです。
「人の死生は天のみぞ知る」、その達観の上でベストを尽くせば、日々満足して暮らせることに私は気づき、死に対する恐怖も克服できました。「阪神・淡路大地震」と「地下鉄サリン事件」、連続して発生したこの二つの災難を取材できたことは私の将来に何らかのプラスになる・・・と、その時は信じましたが、結論は未だに持ち越しです。

あれから5年


あれから25年ー1

花見 正樹

 顧みればあれから25年、折り畳みのレンタル自転車で火煙くすぶる神戸の瓦礫の街並みを疾駆したあの日を未だに忘れません。1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震いわゆる阪神・淡路大震災は、私の人生観をも大きく変えました。
災害発生当日、私はパリにいましたが、ホテルのテレビで地震発生と被害の凄まじさを知り、すぐ帰国しました。
家には帰らず、そのまま新橋駅烏口商店街のレンタルショップに寄って、帰国時の荷物を預け、折り畳み自転車やシェラフ(寝袋)、大型リュックなどを借り、コンビニで手当たり次第に食料や飲料水を購入してリュックに詰め、間引き運転中で超満員の新幹線「こだま」で新大阪に向かい、そこから在来線で被災地に直行しました。
 この時に立ち寄った慰問先では一様に驚かれかつ歓迎され、持参した飲食物などの救援物資も大いに喜ばれました。
悲しい捜索現場も目にしました。その一部をここに載せます。
ともあれ、徐行と停止を繰り返しながら辿り着いた西ノ宮駅で電車は完全に運行不能になりました。それまでも車窓から眺めた悲惨な風景で被害の甚大さは認識していましたが、駅前に降り立った時に、駅前のビルの傾きに気づきました。振り向くと駅舎の屋根も壁も崩れています。このとき体が震えたのは、真冬の寒さに軽装だったことよりも、いよいよ被災地本丸に出陣という緊迫感での武者震いです。
西ノ宮以西には電車が不通ということで、駅前からは振り替え輸送のバスも出ていて、バス待ちの人々で長蛇の列でした。それに便乗とと思って並んではみましたが、すぐバス会社の整理員が寄ってきて、撮影機と大リュックと折り畳み自転車を抱えた私を一瞥しただけで。「ほかのお客さんの迷惑になりますから」と乗車拒否で妥協の余地もありません。この西ノ宮駅前が私の三日間におよぶ神戸震災取材紀行のスタートラインになりました。
すでに被害の大きさは理解したつもりでしたが、芦屋から西に向かうにつれて神戸の街が、まるで小学3年生時にこの目で見た太平洋戦争末期の東京大空襲時の被害を思い出させる光景にダブって、辛く重苦しい胸のつかえを感じたものです。どの建物も崩れたり傾いたり燃え落ちたりで、まともな建物が一つもないな異様な光景に慄然としたのです。
この時、頭に浮かんだ思いがあります。
人は、突然の災害に遭えばいつ死んでおかしくないのですが、その時、悔いなく泰然と死ねるものなのか? これが三日間の被災地取材で得た命題です。これは、この災害で起きた幾多の悲劇をを手記にして、自分が東京支社長を委託されていた米沢新聞(郷土紙)への投稿を終えた時に重くこの胸にのしかかった命題でした。
 その間、幾度も無惨な死体を目にした私は、人間の生命の尊厳がかくも簡単に喪われるものか、と悲しい思いでいっぱいでした。その遺体収容現場から離れても、泣き叫ぶ家族の声は耳の奥から脳天にまでこびりついて、いくら忘れようと思っても忘れることはできません。
カメラに収めた地震の被害状況の悲惨さは筆舌に尽くし難いもので、これを克明に描かねばならない新聞記者の仕事の大変さを実感した3日間の取材旅でした。
三ノ宮近い住宅街の瓦礫の下から洋装の人形を抱えた幼い女児の血まみれの遺体が見つかった現場は悲惨でした。これを見て泣かない者は一人もいませんでした。私は本来が無骨な山男でボディガードも職業にしたことのある修羅場好きの無神経男ですが、心の琴線に弱点があるらしく、このような状況になると人前でも大泣きして恥を晒す癖があり、これは今でも変わりません。この時も思わず大声で嗚咽した記憶があり、今でも思い出すと涙が止まりません。

 私の本業(花見化学)の取引先であるスイスK社の日本支社は、巨大な埋め立てプロジェクトで完成した人工島「神戸ポートアイランド地区」の高層ビルの36階にありました。その島への橋も壊れて車は通れません。それ以前に、震源地に近い人工島周辺は泥状化と地盤沈下で高層ビルは傾き、コンテナ荷役用の巨大なクレーンも倒壊、海辺の駐車場にあった車両が地盤の斜傾化で海に投げ出されていました。鳴り物入りで発足した神戸の新名所「神戸ポートアイランド」は、かくして電話も電気も不通、給水車も通えぬ死の島と化して救援隊からも見放されてしまったのです。
泥状化した道路は自転車も手押しで進むしか方法はありません。雪山のラッセル(トップがピッケルで胸まである雪を左右に掻き分けて前に進む)その状態と同程度の疲労度でかなり足腰にダメージが残ります。その疲労困憊した状態で辿り着いた目的の神戸ポートタワー、その時はすでに精も根も尽き果ていました。それでも気を取り直して、予定した食料と水だけをリュックに詰め、撮影機やその他の荷物は寝袋に押し込み、倒した自転車と一緒に玄関の隅に置いて、重い足取りで階段を上り始めました。なにしろ電話も通じませんからオフィスは空かも知れません。それでも救援物資は届けなければならないと思い込んでいるのが私の性格です。這うようにして辿り着いたオフィスには、スイスから派遣された管理職の
T氏ら3人の社員がたむろしていて、全員がひげ面の顔に驚きと感激の表情で私を迎え入れてくれました。
挨拶を終えた私が、ペットボトル5本の水と菓子パンなどの差し入れ物資を出したのを見て、歓声を上げた三人は、すぐボトルの水に手を伸ばし、喉を鳴らして飲みました。聞くと、壊れた橋周辺の泥状化で陸の孤島と化した神戸ポートアイランドには給水車が近寄れず、海上保安庁の小型船で運んできた僅かな水を島に取り残された人々で分けたのを大切に管理しながら次便を待つ状態だったそうで、私の持参した水はまさしく「干天の慈雨だったのです。
わずかですが「お見舞い」を手渡して商談もなく引き上げた短時間の訪問でしたが、おお互いの意思の疎通はこれで充分果たせたと自負して、また泥状地帯を経て壊れた橋を渡りました。
取材3日目の帰路に寄った芦屋地区住宅街にある知人の家も半壊状態でした。
卓上コンロで沸かした貴重なお茶を頂きながら、作業中の汚れた顔での夫婦の話を聞きました。地響き立てて襲ってきた大地震の恐怖もさろことながら、この地震で、家庭内別居状態だった夫婦仲の撚りが戻ったと、冗談っぽく照れながらも屈託ない夫婦の笑顔が印象的でした。
この知人は還暦を過ぎたばかりで食品会社役員、妻はピアニストでピアノ教室主宰、それぞれが多忙な日々ですれ違い生活で家族らしい会話もない他人行儀の別居状態だったそうです。ところが、この大地震発生以来、日ごろは家庭を顧みなかった夫が家族を守って不眠不休の大活躍。食料の調達から水汲みや倒れた家具の片付けなど猛烈に 働く上に、近所の人を見舞って片付けの手伝いをするなど、日頃の怠慢なぐうたら亭主とはまるで別人、その変身ぶりに奥さんが仰天して見直した、というのが真相のようですが、確かにこの知人は外でモテていましたから家庭的ではなかったかも知れません。ともあれ万々歳、「雨降って地固まる」の諺を真似れば、「大地震きて夫婦仲固まる」でまさしく不幸中の幸いでした。
この話には後日譚があります。
。この知人が、私の慰問を喜んで、私の「困ったことがあれば」の言葉にすぐ反応しました。
「工業用の石英ヒーターを」と言うのです。
理由を聞くと、電気は開通し、水も大量に供給されるようになったがガスの復旧見通しが立たないために風呂が沸かない、そこで「花見化学なら何とかなる」と思いついたそうです。
確かにその通りで主力商品ではありませんが、扱ってはいますので在庫がある場合もあります。早速、電話の通じる大阪市内に戻ったところで会社に電話をすると、たまたまご希望の工業用ヒーターの在庫が3本だけありましたので、あて先を告げて、救援物資扱いで宅急便で出すように手配しました。一般の荷物は配送停止ですが,救援物資は配送先によっては到着日時未指定で扱っていたのです。
このヒーター3本のお陰で、T氏の町内会は順繰りに風呂を沸かすことが出来たことを後で聞いて、私も及ばずながら本業で被災された方々のお役に立てたことを嬉しく思ったものです。
まもなく関東を襲う大地震もやってきます。その時は自分も被災者になります。その時の準備については、まだ何もしていません。いざとなったらなるように成る・・・これも何事にもルーズで不器用な私の生き方の一面です。

この取材で忘れられないエピソードを三つだけ選ぶとしたら、一つは前述の少女の遺体発見現場。二つ目は、木造住宅が多かった長田区の中心部から燃え広がって焼け落ちた見渡す限りの荒涼たる焼け野原の凄さです。
ここに残された商店街の鉄骨のアーケードの残骸、このアーケードの無数のアーチ型鉄骨残骸が恐竜のあばら骨が並んだように見え、見事なまでに長く続いていて、悲惨な中にも壮絶な美しさを醸し出していたものです。このアーケードの長さを見ただけで充分に、往時の賑わいが想像できます。それが一瞬の地震で瞬く間に灰燼と化すのですから天災は恐ろしく冷酷です。しかも必ず襲ってくる現実的な自然現象ですから、ただただ畏怖するばかりで、その来襲をとめることは出来ません。
三つ目は、被害の大きかった西の外れの須磨地区での出来事です。
優雅な木造建築が殆どの須磨地区の高級住宅街も壊滅的な被害だったのですが、取材も三日目になると目も頭も麻痺するらしく同情も感動も驚愕もあまり感じなくなって感性が鈍っていることに自分でも気づきます。
ここで私は取材を絶ち、ここからUターンして帰京することにしました。ただ、折角須磨まで来たのですから寄り道に「須磨寺」にと思ったのです。
西国街道沿いの高台にある源平ゆかりの須磨寺のさほど長くない階段を必死で登って立ち寄り、わずかな喜捨で取材旅の無事を謝して合掌し、「義経腰掛の松、平敦盛首洗井戸」などを見学、名水で喉を潤して疲労半減と思い、意気揚々帰路につきました。ところが、階段を降りるときに膝ががくがくと震えて転落しそうになり、思わず腰を落として暫く呼吸を整えてからゆっくりと降りたのです。やはり疲労はピークに達していました。これでは西宮までは無理、もう一泊野宿か学校にお世話になるかです。
そこで、階段下に置いたままだった自転車に乗ってから方針を変え、須磨の海岸で少し休憩することにしました。
と、長い前置きですが三つ目のエピソードです。
冬の砂浜にリュックを敷いて寒風に震えながら休憩している私の視線の右手先に、海岸を散歩する老夫婦らしき姿が見えました。仲睦まじく手袋の手をつないでゆったりと散策する防寒コート姿の老夫婦は、曇り日のお昼前でしたがなかなかの絵になります。私は、緊迫した三日間の中で唯一、憩いのひと時を得た感じでそれを眺めていました。
すると、私の正面よりやや右手の位置で立ち止まり、しばし白波荒い沖合を眺めていた二人の足どりが、海に向かって動いたのに気づき、私は無意識に立ち上がってその背後に急いだのです。二人を驚かせないように、わざと砂を蹴って人の気配を感じさせて老夫婦に近づき、二人が振り向くのを待って、「散歩ですか?」と出来るだけ穏やかに声を掛けました。
振り向いたお二人の表情は暗く沈んでいましたが、口を開いた80代と思しき老父の声は穏やかでした。
「ええ、その通りです」に続いて、私が郷土新聞の取材で来たことを告げたので安心したのか、重い口を開いて少しだけ身の上などを話し始めましたが、奥方が「もう帰りましょ」と口を挟み、二人は私に深く頭を下げて元来た方角に去って行きました。
短い会話で真相は知る由もありませんが、一人息子を大学生時代に病で失い、会社勤めの定年後は、夫婦二人で趣味を生かして美術商を営んでいたが、それも10年ほど前に廃業して年金生活、今回の地震で二人の家が半壊し家財は何とか助かったが住む家がなく、知人の家に厄介になっている状態での散歩というところまではパズルを繋いだが、私が出しゃばり過ぎたのか良かったのか悪かったのかは、いまだに謎として残ってしまいました。
あの日の私はまだ血気盛んな59歳、人生に夢も希望もいっぱいっただけに老夫婦に良かれと思って声を掛けました。
しかし84歳の今は、日本一の激流・球磨川で大アユを掛けて足元が崩れ、流れに呑み込まれらた時、下手に助けられたら、長い間思い描いて来た千載一遇の好機を逃すことになります。そう考えると、今の私ならお二人を黙って見送りできたのに、と深く反省しています。
ただ、あの老人夫婦は単に波打ち際を歩いていただけかも知れないのです。だとしたら私はただのお節介男に過ぎず、25年後の今日もまだグダグダと考えている自分が阿アホらしくなります。私が選んだ三つ目のこの、真相不明の老夫婦事件が、阪神・淡路大震災における私の選んだ気になる挿話の一つ私のカン違いから起きている可能性もあるのです。