月別アーカイブ: 2017年7月

泣くな清宮幸太郎!


 この頃、一日が早い、一週間が早い、一年が早く感じます。
それでも一日は24時間、一週間は7日、1年は365日か366日で何も変わりません。
なんだか、その日々が目まぐるしく日めくりカレンダーで次々に更新されてゆきます。
その過ぎてゆく日々で、得るものと失うものの質と差をふと考えることがあります。
若い頃は何げなく過ごしていた一日が、いまは貴重な一日になっているような気がします。
だからといって、もっと早くから時間を有効に、とはなりません。
所詮、人生は計算通り、計画通りには進まないものなのと、81歳の今頃になって私はようやく気付きました。
それでもあきらめない。これも人生です。
今日の7月30日、テレビ画面で早実の3年生・清宮幸太郎選手の泣きじゃくる姿を見ました。
神宮球場で行われた高校野球西東京大会の決勝で、早実は東海大菅生に6-2で敗れ、甲子園出場を果たせませんでした。
これで、怪物スラッガー清宮選手の高校野球の通算最多本塁打は107のタイ記録、新記録は成りませんでした。この107本、いずれも花見化学発売の金属染料によるアルミニューム陽極酸化被膜加工バットから出たホームランですから嬉しい限りです。
しかし、この107本の記録は立派です。胸を張って、ドラフト1位でプロ入りしてほしいもの。その上で、プロの記録をジャンジャン塗り替えるのです。
もちろん、本人の気持ちは「甲子園で新記録108号」でしたから、辛い気持ちは痛いほど分かります。
それでも健気に報道陣の質問に答える清宮選手の真摯な姿は、多くの野球ファンに感動を与えてくれました。
「清宮君、君の野球人生はプロ入りしてこそ花開き実も稔る。これからが正念場だぞ!」
で、同じ日のプロ野球の話題です。
なんと、巨人軍の控え選手で41歳のベテラン相川亮二選手がサヨナラ打で観客総立ちの大歓声です。
これで巨人は、相川選手の古巣・DeNAに劇的な3連勝、相川選手は歓喜の涙、いい風景です。
相川亮二捕手は千葉県市川市出身で東京学館高等学校時代から頭角を現し、ドラフト5位で横浜ベイスターズに入団、その後、
ヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツとトレードされながら地道な努力を重ねて今日に至っています。
2006年に第1回WBC日本代表に選出されてから活躍し、2007年は横浜の選手会長を務めながら高打率を保ち、オールスターゲームにも選出され、打率も3割台を記録しています。
その後、右肩の故障から捕手としては盗塁阻止率が極端に悪くなったことから、シーズン終了後に右肩関節の手術を行ったところ、フロントは契約更改で低い金額を提示してきました。ところが、その時期に開催したクリスマスパーティーには。独身の相川選手目当ての女性ファンが
200人以上も集まって大変な騒ぎ、他の選手ならせいぜい10人ぐらいですから球団側も驚いて提示額を変更しました。
この相川選手の予想以上の人気によって球団も集客を考えて、推定年俸1億円の大台を提示、相川選手も一発サイン。
この「イケメン査定」はプロ野球始まって以来の珍事件です。この甲斐あって巨人移籍3年目で初のサヨナラヒット、冬の時代が長くても我慢をすればやがて春は巡ってきます。この自然の理を信じて、私ももう一頑張りしてみます。

二人の講師が超多忙・・・


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写真左は小美濃清明講師、右は宗像善樹講師です。
いま二人の開運村名主が超多忙、歴史の舘の「坂本龍馬」コーナー担当で龍馬研究の第一人者・小美濃清明講師と、同じく「歴史こぼればなし」担当の宗像善樹講師、どちらも著書が大きな話題を呼んでいます。
小美濃清明講師が執筆した「坂本龍馬大鑑」は、すでに各社が大々的な予約発売を始めています。
発売元のKADOKAWAがカドカワストアを窓口に、紀伊国屋、明屋書店など全国書店、さらに全国の郵便局、Amazonも宣伝をと、全国いっせいに予約受け付けが始まっています。


その、PRの一部を下記に転載します。

坂本龍馬大鑑
監修・執筆者:小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。
【本書の内容】
第一章新国家をつくる第二章高知城下に生まれて第三章幕末東アジア情勢第四章剣術修行開眼第五章土佐藩の枠にとらわれず第六章脱藩決行第七章勝海舟に心奪われて ~アメリカ最新事情に触れる~第八章薩摩の志士たちと“日本の洗濯”へ第九章長崎の港を見つめて ~海援隊誕生~第十章運命の薩長同盟締結第十一章秘境竹島に夢をもとめて第十二章本懐全う~「新国家創造」に夢と愛を捧げた志士~第十三章新国家の財政計画
※お宝および本書の内容は変更になる場合がございます。
完全受注生産版『坂本龍馬大鑑』仕様
[書籍]判型:A4判(上製・糸綴じ) ページ数:192ページ予定
特製ケース入り[付録]貴重な複製お宝資料全10点収蔵[DVD]龍馬の足跡を追った貴重映像を収録
発売予定日:2017年11月15日(水)【龍馬の命日】
受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
予価:本体 16,200円(税込)
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これぞ家宝!超豪華 完全受注生産版 坂本龍馬大鑑 〜没後150年目の真実〜 受注期間:2017年7月14日(金)〜9月15日(金)
「湿板写真家・林道雄所蔵」
「湿板写真家・林道雄所蔵」
質感まで忠実に再現した貴重な複製お宝に触れて
“坂本龍馬の実像”を体感する!
坂本龍馬の辿った道を貴重な資料と共に辿る! 大政奉還から150年。そして坂本龍馬没後150年を迎える2017年。日本近代史上最大のヒーロー「坂本龍馬」の最新情報がわかる1冊。明治維新の裏の立役者として、あまりにも有名であるにもかかわらず、多くの謎を残している龍馬。本書では、ヒーロー伝説の再現と共に、今まで語られていなかった龍馬と海外との関わり等、いまだ確認されていないその一面に迫る。大河ドラマ『龍馬伝』監修や、龍馬研究を手掛けている有識者たちによる最新の知見を集めた「最新の龍馬像」をまとめた豪華書籍に加え、龍馬ゆかりの品々を忠実に再現した複製資料全10点+DVDを収蔵。
高知・長崎・鹿児島・京都・東京を中心に、広範囲なお宝資料収集を実施。また重要文化財に指定されている貴重な資料を含む「龍馬直筆の手紙」や関連資料を精密に複製・再現し、これまでにない〝坂本龍馬の実像〟を“読んで、触って、体感する”まったく新しい読書体験をすることができる豪華保存版です。
【監修・執筆者】小美濃清明
早稲田大学卒。作家。幕末史研究会会長。全国龍馬社中副会長。主な著書に「龍馬の遺言〔近代国家への道筋〕」(藤原書店)、「龍馬八十八話」(右文書院)、「坂本龍馬と刀剣」、「坂本龍馬・青春時代」(ともに新人物往来社)などがある。
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記録帳 玄武館出席大概
複製お宝史料 記録帳 玄武館出席大概
「玄武館出席大概」は清河八郎が安政4、5年頃に北辰一刀流玄武館(千葉周作が開いた道場)に籍を置いていた309名の氏名を記録したもの。龍馬が山岡鉄舟(小野鉄太郎)に剣術を習っていたことを証明する史料〈一部抜粋にて複製〉。(清河八郎記念館蔵)
地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
複製お宝史料 地図 龍馬が見ていたとされる世界地図
新製輿地全図。箕作省吾作。(国立国会図書館蔵)
【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録
【特別付録DVD】 約1年間に及ぶ本書取材の記録
龍馬の人生と明治維新のことを、末裔の方々や研究者たちが、すべて本企画のために分かりやすく振り返る。特別にインタビュー撮り下ろし
岡崎誠也(高知市長)、尾崎正直(高知県知事)、勝 康(勝海舟の子孫)、小曾根吉郎(小曾根乾堂の子孫)、西郷隆夫(西郷隆盛の子孫)、坂本匡弘(坂本家10代目)、橋本邦健(全国龍馬社中会長)、前田終止(霧島市長)、宮川禎一(京都国立博物館学芸部列品管理室長)、三吉治敬(三吉慎蔵の子孫)等(五十音順/敬称略)
以上の内容ですが16、200円でも龍馬ファンなら購入に心が動くような気もします。

 さて、日本橋高島屋8階の特設ホールで開かれている世界遺産「沖の島(宗像大社)」展、2日目でしたが大盛況でした。
宗像善樹講師の著書「史料でみる宗像三女神と沖ノ島傳説」も販売コーナーに山積みで売れ行き好調、一安心です。
当日同伴の相棒は、このHP「癒しの家」で「佐藤堅太郎の旅の絵日記」を担当する佐藤講師です。
会場入り口で写真を撮ろうとしても大混雑で人の切れ目がなく、このような写真になりました。

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80歳超の元氣高齢者二人、左が佐藤堅太郎講師、右が私(花見)です。

人口減と町興し。


人口減と町輿し

花見 正樹

7月14日(金)、米沢新聞社が事務局を務める米沢・置賜経済人クラブの東京例会に出席して参りました。
財務省国際局次長O氏などの講演があり、その合間に米沢の中川勝市長、吉野徹商工会議所会頭ともお会いしました。
中川市長の話で人口8万4千余の米沢市が、ついに出生率500人を割ってしまい、 いまや米沢市も、人口減に歯止めが掛からなくなってしまったとのことです。
なにしろ、ピーク時には94,790人だった人口が平成29年の3月の調査で、84、563人・・・なんと1万人減ですから市長の嘆きもよく理解できます。
しかも前述のように出産数も激減ですから人口は減って税収も減るばかり、それでも行政は支出増、公共設備や福利厚生、教育などにどう対応すべきか悩みに悩むばかりとお見受けしました。
その結論は、どの市町村でも同じこと、町輿しで観光収入を増やし、Uターンで若者を呼び戻す、それには魅力的な町づくりが必要不可欠・・・それにはペンの力も借りたいとのことなのです。
現在の私は米沢新聞社顧問ですから、米沢にも協力を惜しむものではありません。

ところで、先週のこのコーナーでは、茨城県古河市の市長、教育長との町興し談義を話しましたが、古河市は文化度も高く有史以来の歴史のある城下町ですから、町興しへの切り口はいかようにもなります。
古河市と私の住む埼玉県久喜市とは、利根川を挟んだだけの隣接市ですから、共に首都圏への通勤圏内で、東京のベッドタウン的傾向が強いことから人口減は殆どありません。
茨城県古河市は平成22年度末に約144、948人で、6年を経た平成28年の年度末が144、394人、ほぼ変わりません。
埼玉県久喜市は、平成22年3月末で157,007人、平成28年年度末は、154、033人、こちらも町村合併で新たな市が出来て以来、ほぼ同じ人口で推移しています。

国全体の人口減と出生率減少中での人口維持ですから、所帯数はは大幅に増えています。それでもすでに頭打ち、これからは全国他の市町村同様、人口減に転じるのは自然の理、このまま手をこまねいているわけにはいきません。
そこで、お節介ながら、旧知の仲の久喜市長の意見も拝聴することとし、近日中に会うことになりました。

いま私は、友人の元ANA取締役・西川嘉伸氏の故郷・綾部市の小説の詰めをほぼ書き上げて推敲中です。京都府綾部市は、風光明媚で人情に富み、文化度の高い歴史の町でもあります。綾部の 山﨑善也市長自身が、世界銀行役員を目指す出世街道を捨て、「いざ帰りなば」と故郷の苦境を救いにイバラ道を選んだ侠気に富んだ人物ですから、その人柄や行政手腕のズバ抜けた凄さは、外部の私から見ても魅力的です。それは、取材を重ね執筆を進めるうちに、その行政手腕の斬新さと勇気ある積極性にほとほと感じ入るばかり。小説の中でもいつの間にか準主役でご登場頂いています。
それでもなお、綾部市も人口減には頭を悩ますのですから地方都市の人口減は、もはや行政手腕だけではどうにもならない状態なのは間違いありません。
なにしろ、日本の人口そのものが今後50年もしない間に9千万人を切ると予測されているのですから、今のままでは日本そのものが滅びてゆくのです。
若者が、穏やかで平和な故郷を捨て、刺激と成功を求めて都会に憧れるのは仕方ありません。それを家族ごと故郷にUターンさせれば人口は倍増する理屈なのですが、故郷には家族を養う収入源になる就職先がありません。そこで工業団地を整備しての企業誘致となります。
これがまた自然破壊につながりかねませんから、行政側にとっては痛し痒しなのです。
地元の久喜市、お隣の古河市、縁のある米沢市をはじめ、全国各地の行政の長たる人は、それぞれが魅力的な個性や才覚をお持ちなのは当然ですが、これからが大変です。
私は、それにどう協力すべきか? それを考えるとき、これも執筆業の幸せのひとつであることに気付いて、心躍ります。
さて、もう夜が更けて16日(日)・・・今日はお盆恒例の母を囲んでの兄弟身内での食事会、元気で生きているのにお盆での集まりとはいささか不謹慎ですが母は大喜びです。
もうすぐ103歳、とうにあの世だったはずの母は元気いっぱい、これも温かい周囲の人情のおかげ、私も母と同様、周囲に助けられて元気に生きています。
この15日(土)も35度を超す炎天下でのアウトドアーでシャキシャキ、全ての人にも天地にも感謝感謝の一言です。

鷹見泉石をご存知ですか?


鷹見泉石をご存知ですか?

花見 正樹

7月8日(土)、茨城県古河市中央町の文學資料館に行って参りました。
鷹見家11代当主の鷹見本雄(もとお)さんの「蘭学家老・鷹見泉石の来翰を読む」の出版パーティです。
私の住まいは埼玉県久喜市内栗橋という宿場町で、利根川の渡船場近くに関所がありました。
それ以外は、全くといっていいほど他に自慢できる史蹟もありません。
そこから利根川を渡ると茨城県古河市で、一般的には譜代大名・土井家八万石として知られ、歴史の宝庫でもあります。
古河城は鎌倉時代の初期に活躍した御家人・下河辺行平によって築城され、転々と城主を変えています。
天正18年に後北条氏が滅び、秀吉の命で駿河・東海に5カ国から関東に移討された徳川家康は古河を重要視し、嫡男松平信康の娘婿である小笠原秀政を3万石で下総国・古河に入部させます。ここから古河は譜代大名の城下町として発展します。
城主は、3万石(譜代).小笠原秀政から始まって、松平家、小笠原家、奥平家、永井家、第一期・土井家5代(16万石→7万石)、堀田家、松平(藤井)家、本多家、松平(松井)家、第二期土井家7代(7万石→8万石)となっています。
そして、前述の如く幕末期の土井家だけが飛びぬけて有名で、古河といえば土井家八万石といわれます。
その大きな要因の殆どは、幕末の城代家老・鷹見泉石(たかみ せんせき)の業績に負うところが多いのです。
鷹見泉石(天明5年・1785~安政5年・1858)は、江戸時代の蘭学者で古河藩家老、名を忠常、通称を又蔵、十郎左衛門。字を伯直(はくちょく)といいい、さらに号は泉石の他に楓所(ふうしょ)、泰西堂(たいせいどう)、可琴軒(かきんけん)などがあり、さらに、ヤン・ヘンドリック・ダップルというオランダ名もあるという名前大臣です。
幕末期の鷹見家は家禄250石、泉石は藩主に補佐して全国各地へ同行して「土井の鷹見か、鷹見の土井か」といわれるほどの力を発揮し賞賛されています。
弘化2年に330石に加増されながら翌年の弘化3年(1846)に罷免されて古河に隠遁します。
泉石は、対外危機意識の高まる幕末期に、早くから海外事情に関心をもち、地理、歴史、兵学などあらゆる学問の習得と書物の収集に努め、川路聖謨、江川英龍、渡辺崋山、桂川甫周、箕作省吾、司馬江漢、谷文晁高島秋帆、大黒屋光太夫、足立左内、潁川君平、中山作三郎、カピタン(オランダ商館長)など幅広い分野の博識者と広く交流を持って洋学にも貢献しています。
渡辺崋山筆による鷹見泉石像(東京国立博物館蔵)は天保8年(1837)、泉石53歳のもので、西洋の画法も取り入れた近世画の傑作として国宝に指定されています。下世話な話で恐縮ですが時価数億円・・・内緒話です。その肖像画を惜しげもなく名刺に用いている方が、上記写真み左の鷹見家第11代当主の鷹見本雄(もとお)さん12代目の好青年・忠雄さんはまだ用いていない様子でした。
鷹見泉石の功績の一つに『鷹見泉石日記』があります。
これは泉石が職に就いた12歳から、なんと60年間にわたって書き続けた公務中心の日記で、泉石の交友の広さと、客観的な視点での文章から史料価値の高い一級資料になっています。
とくに、大塩平八郎の乱については泉石自身が鎮圧に当たったことから事件の詳細が分かります。
その『鷹見泉石日記』をはじめ書状や地図、書籍や絵画など、古河歴史博物館が所蔵するだけでも鷹見泉石関係資料は3000点を遥かに超すそうですから、鷹見泉石の偉業も、それらに加えて広大な家老屋敷の管理に関係する第11代、12代の鷹見家ご当主のご苦労も察して余りあるものがあります。
隠居した泉石は、安政5年(1858)、古河長谷町の現在の古河歴史博物館・鷹見泉石記念館にあたる隠居屋敷で死没、享年74歳、墓地は古河市の正麟寺にあります。
さて、私の住む久喜市の市長とは旧知の仲ですが、今回、古河の市長、教育長と親しく話し合えたことは今後の古河史取材に極めて有意義でした。この出版パーティにお招き頂いた宗像善樹ご夫妻に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

 

サバサバと!


 

サバサバと!

花見 正樹

7月に入って2日目の日曜日、梅雨空がからっと晴れて絶好のアウトドアー日和でした。
とはいえ、母親がお世話になっている介護施設からのお招きで、母親の103歳誕生祝い会の打ち合わせです。
なんと、施設でパーティを開いて私達息子4人兄弟夫婦総勢7人(4男が配偶者病死)を招待してくれるというのです。
その打ち合わせを終えてすぐ、日曜日恒例の川魚釣りと、身内の病気見舞いで、一日が過ぎました。
ところが、この日、とんでもないことが起こっていました。
将棋の天才で14歳の藤井聡太四段が、将棋会館で行われた竜王戦決勝トーナメントで、ついにデビュー以来29連勝の新記録で破れました。
お相手の佐々木勇気五段は、スイス生まれ22歳のイケメン棋士で、女性雑誌のグラビアに載るほどの人気棋士だそうです。
30連勝ならずでさぞ悔しかろうと思ったら、当の藤井四段はサバサバした表情で「完敗でした」とあっさりです。
さて、負けてあっさりといかないのが自民党、こちらは2日夜に幹部会で大変な騒ぎになっているはようです。
安倍総理関係学園問題、獣医科大学問題、稲田発言問題、豊田暴力問題、下村献金問題と問題だらけで勝ち目はありません。
なにしろ都議選の開票前に出口調査で、すでに小池百合子都知事率いる都民ファーストの会の圧勝、自民党の惨敗が決まっていたのですから、もう安倍総理の心中が穏やかでないのは当然で、藤井少年のようにサバサバとはいきません。
明日からの政局がどう動くのか? 東京都政はどう変わるのか? 築地問題は?
藤井四段と佐々木五段の今後は? と思いは尽きませんが、そろそろ寝ないと夜が明けます。明日は私もサバサバと過ごしたいものです。、