月別アーカイブ: 2017年6月

海の神、山の神


 今日は、古代から崇拝されている海の神と山の神の揃い踏みです。
世界遺産登録ま近の「沖ノ島=宗像大社」と山岳信仰の雄「武蔵御嶽神社」です。
どちらも古いだけではありません。人生行路を守る神と、人生勝負を勝ち抜く神の物語です。
この両者の共通点は、どちらも日本有数のパワースポットであることです。
本HPの「お休み処内・開運&心霊スポット」コーナーには、どちらも掲載されています。
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6月19日(月)、久し振りに千代田区一ツ橋の如水会館で開催された日本ペンクラブの総会に出席して参りました。
最近は政治的色合いの強いペンなのであまり気乗りしなかったのですが、会長の浅田次郎さんに会いたかったからです。
この同じHPのお休み処で「開運・心霊スポット」を担当する小林永周講師がなんと浅田会長と親戚だったのです。
小林講師は御嶽山の行事で浅田氏と会って、この著作を戴き、その作品内に出て来る浅田氏の祖父・武蔵御嶽神社の神主が、自分にとっても祖父なので驚き、浅田氏と話し合ってみたら同じ祖父だと分かって本人同士がマタイトコで驚いたそうです。
その時、小林講師が戴いた本を私がちゃっかり頂戴し、親友

としての紹介状持参で会い、図々しくサインも頂いてきました。
ま、私が、浅田会長の親戚の親友である上に、私の師匠の青山光二師もよくご存じで大いに歓迎された感じです。
と、私は勝手にそう推測したのですが、総会後の理事会で会長改選、私と交換した名刺が会長としてのラストの1枚でした。

6月20日(火)は、待ちに待った同じこのHP内「歴史の舘」で「歴史こぼればなし」担当の宗像善樹講師のライフワークの一つでもあった世界遺産予定の「宗像大社・沖ノ島」本の発売日・・・著書が全国有名書店に並びます。
7月初旬の世界遺産決定までの出版にまにあって関係者全員が「ヤレヤレ」で一部では祝勝会も始まっています。
ところが、あろうことかアマゾンと書籍の取次業者のトラブルの影響で、宗像講師の著書「史料にみる宗像三女神と沖ノ島伝説」が本のスーパーマーケットに姿かたちがないのです。これは一大事、本と言えば「アマゾン」と反応する単細胞の私などはどうしていいか分かりません。ひとまず、お近くの書店にお申込み頂くのが一番、宜しくお願いします。

6月25日(日)雨もようの一日でしたが、今日は、かつて水泳で活躍した故山中毅氏のお別れ会でした。
昭和39年の東京を含めて三度のオリンピックに出場して4つの銀メダルを獲得、金がないのを本人は悔しがっていました。
水泳会では、世界の古橋、世界の山中といわれる逸材でしたが、ついに病いには勝てませんでした。
お別れ会は、故山中氏の出身校・早稲田大学内大隈ガーデンハウスの1、2階を借り切って記載されました。
友人仲間、母校の水泳&体育関係者、政財界の早大出身者など多士済々約150人ほどの集いでした。
私は友人として親しかっただけに辛い気持ちでしたが、立派な社会人のお子様に接して一安心、肩の荷が下りました。

 

築地と豊洲


一般の人には何の関わりがない築地市場移転問題ですが、築地に仕事場のある私にとっては無縁ではありません。
知人も馴染みの店も移転することになるのは一時的にしろ残念でならないことです。
ところが、これが思わぬ展開になっています。
小池都知事は昨年來、豊洲市場の安全性確認などで移転を延期してきましたが、豊洲市場の「安全・安心」の確保と、市場収支を重視して、土壌や地下水の汚染対策のため地下の底をコンクリートで覆うなどの追加対策を示し、豊洲に移転。ただし、その後も、築地の跡地を再整備して賃料の安定収入を図ると、約35年後には累積赤字を解消できるとしています。
これで、市場移転問題を都議選での争点にして、優柔不断な知事を責め倒すつもりだった自民党など各党は、成す術もなく、ぐずぐずと文句を言うだけで何も出来ません。
豊洲には移転するが、国際的になった築地ブランドを生かすために築地も売却せずに活用する・・・この玉虫色の案は、必ずしも歓迎されていません。豊洲移転に賭けた一部の出店業者には、まるっきり不評なのです。
一番の理由は、豊洲ブランドの知名度を築地並に上げるのは無理だし、地の利も悪いため観光客誘致にも苦労する、などです。
東京都はつい先日、豊洲市場の都民見学会を開きました。
約1500人の応募者から抽選で選ばれた100人が参加者して、施設を見て回ったそうですが、やはり、質問の大半は食の安全性に関わることだったそうですから、まだまだ問題は残ります。
もっとも、見学会を許可した小池都知事の狙いは、豊洲市場の土壌汚染や地下水の安全性に不安があることを、そのままアピールする狙いもあったのは明らかで、見学コースも青果棟や水産仲卸売場棟だけでなく、敷地内の地下水の管理システムなども公開しています。
これで、まだ万全ではないが周囲の圧力に敗けて移転を決断した、という都知事の逃げ道は出来ました。事実、この問題は石原元都知事の責任であることは明白なのですから、そこをきっちりすべきなのです。
ともあれ、いま築地は大きく様変わりしています。
花見サロンの入居するマンションの真下の道路も、明るい色彩模様の四角タイル嵌め込みのモダンな舗装になりました。
江戸時代は軍艦操練所、講武所などがありましたから、旗本、剣客などが通った道です。
そう思うと、更に築地が好きになりそうです。

本願寺近景20170609


お元気ですか? 暦の上では「梅雨入り」、天候不順な日々がこれから続きます。
お互いに「健康第一」、元気で楽しく日々を過ごしましょう。
私は仕事の手を休めた時、眼下の築地本願寺を眺めて疲れを癒します。
上の写真は、6月9日(金)現在の築地本願寺の中庭風景です。
この工事は、平成15年からの計画に基づき、昨年晩夏の盆踊りが終ってから始まりました。
それからは、広い本願寺の中庭に工事の車が出入りして、今はこのような姿です。
なにしろ、私のオフイスの眼下の風景ですから、気にしないではいられません。
築地本願寺からの工事説明では、「修景整備で本願寺が、開かれた寺院として憩いの場になる」そうです。
工事は、ピンコロ石とカラーブロックと芝生を組み合わせた修景整備からスタートします。
設計は三菱地所設計とあり、建築家・伊東忠太氏の基本設計に忠実にとなっていますが、伊東忠太氏についての説明はとくにありません。
インフォメーション棟と永代合葬墓(合同墓)を新たに設置して、多くの人々に利用される寺院にして、憩いと安寧の場を提供とありますが、何だか「めい冥途で安らかに」と聞こえないこともありません。
施工は松井建設で、上記写真の右側が第1期工事で参拝者用駐車場で、この工事が先行して着手しています。
今後、第2期も並行して進めるそうですが、第2期は写真左側に建物が出来ます。
次の画像が、それらの完成イメージです。


この「築地本願寺境内整備並びに建物除却・新築・改修及び合葬墓設置工事」は、「首都圏宗務特別開教区伝道推進基本計画」に基いた計画だとありますが、役所の必要な書類上の大義名分を見ただけではとても理解できません。
早く言えば、「若い世代の宗教離れを防ぐ」「ライフスタイルの多様化に対応」「仏教を身近に」「心豊かな日々を」「終活など人生のラストステージを支える」、そんな環境のばを整える、ということのようです。
新たに建つ二階建て内には、50席程度のカフェ、多目的ホール、仏教書などの販売コーナーなどが出来ます。
これらが完成しますと、観光客や参拝者の憩いの場として年間約33万人に及ぶ来訪者を誘致できる予定です。
さらに、地下鉄日比谷線築地駅から境内に直接入れる通路もできるそうです。
以上、装いを一新した折は、創建から400年を迎える節目の年に「報恩講」として開かれる盛大にお披露目されます。
さて、その時に私はどうしているか・・・こればかりは今のところ白紙状態です。

6月に入って・・・


ひと昔前までは、6月というのは私にとって特別に思い入れのある月でした。
理由は単純で、6月1日は特殊な例を除いて全国いっせいに鮎釣りの解禁日だからです。
私は、釣り雑誌の大手・つり人社の別冊「あゆ」の常連執筆者で、下手な鮎釣り師として全国鮎河川を放浪していました。
取材を兼ねて好きな鮎釣りが出来て、漁協にも歓迎され地元の鮎釣り名手とも交流を重ね、毎年、至福の夏を過ごします。
以前は、週末になると電話一本で「オイ・オマエ」で連絡をとり、河原で待ち合わせしてテントで寝起きしたり、河原でバーベキューをしたりと、鮎釣り三昧の夏を過ごしたものです。
その夏が終わる頃、河原に真っ赤な曼珠沙華の花が咲くと、落ち鮎の季節が来て、涙して夏も鮎も終わります。
ところが、今はその習慣も崩れ去り、車で川までは行きますが鮎釣りの道具は積んでいませんので見物だけで帰ります。
なぜ、そうなったのか?
1、長い年月を共に過ごした鮎仲間が高齢化して一人減り二人減り、釣り仲間との想い出が辛いのです。
2、初夏の若鮎は小さいですから、竿も仕掛けも小鮎用の繊細なもので情緒的ですが、目が不自由だと面倒なのです。
3、白内障・緑内障・視野狭窄症で細かい目印がみ見にくくなって、繊細な釣りが苦手なのです。
4、以上の理由で長距離運転が少々苦手になっていますので、気楽に鮎河川に行けなくなったのです。
5、ふつうの鮎を釣っても楽しくないのです。
では、自分の楽しみはどこに消え去ったのか?
私の人生の三大生き甲斐は、占い、もの書き、大鮎釣り、これしかありません。
したがって、鮎釣りを引退した分けではありません。
拙著に「巨鮎に憑かれた男たち」があるのですから、そう簡単に鮎釣りから撤退は出来ません。
夏は雑魚釣りで孫と遊び、初秋からが本番です。
もう今から夢も見ますし心は弾み、激流の中に竿を出して大鮎を掛けた瞬間の衝撃、その獲物との引っ張りっこ、手元に寄せて暴れる相手を手網に入れた時の感激・・・この三つの楽しみが頭をよぎり眠れぬ夜もあるのです。
昨年は、夏のトレーニング不足が祟って、河原から崖路を歩く途中でバテました。初めての出来事で大反省です。
ホームグラウンドの球磨川(熊本県)は日本三大急流の一番手(他は富士川、最上川)ですから舐めてかかると命に拘わります。今から足腰を鍛え、今年は万全を期します。
しかも、上記5項目の欠点は、解決できるのです。
1、熊本、大分、鹿児島など各県から釣り仲間が集って毎晩、温泉と宴会です。、、と
2、竿も仕掛けも、掛かった獲物も大きいですから豪快です。
3、大きな目印でもあまり気になりませんから目の心配は半減します。
4、鹿児島空港から人まで高速バス、バスターミナルからは仲間のジープで気とまで助手席です。
5、大鮎以外はいませんので、相手が掛かれば楽しめます。
以上、今から毎日が、心も体も大鮎のための準備運動期間になり、他のことは頭にありません。なお、私の知る限り友釣りで釣り上げた大鮎の世界記録は、33センチ500グラム、釣り人は、古きよき仲間の群馬県で釣りスクール主催の野嶋玉造(がまかつテスター)名人、現認者は花見正樹・・・DVDは市販にもなっていて恥ずかしながら私の名も載っています。知人から「あんたも釣ったんかい?」と電話も来ますが、残念ながらそんな化け物みたいな大鮎が棲む激流には入れませんし、取り込む技術も自信もありません。それでも夢はみますし小説は書けます。
前述のつり人誌に掲載の「鬼棲む球磨川」、このHPの花見正樹作品集にもあります。
さて、今宵は眠れるかどうか?