月別アーカイブ: 2017年12月

明けましておめでとうございます。


 

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。

平成30年元旦
花見 正樹

2018年、平成30年は「九紫火星戊戌(つちのえいぬ)戌」年、
万人共通の吉方位「恵方・あきの方」は「南南東」です。
本年の「九紫火星」は華やかさと闘争心、「つちのえ」は我慢強さ、「いぬ」は堅実
・几帳面を意味します。
したがって本年は、派手な言動や争いごとを避け、堅実に努力を重ねた人に幸運の女
神が微笑みます。

つぎに、2018、平成30年を幸せに過ごす風水の極意です。
まず、金運、健康、仕事運をよくするために家屋内の清掃を心がけてください。
とくに、玄関、台所、トイレなどは清潔にしておくことが大切です。
玄関、台所、トイレの3ケ所が明るく清潔な家が幸運を招くのは当然ですが、さらに
健康、金運、対人関係を良くする風水もあります。
玄関には、鏡、絵画、赤色グッズ、赤い傘などがあれば人と幸運を呼び込みます。
台所は落ち着いた色で統一し、火伏札は別にして、火と水の凶相を和らげる木の質が
ポイントで、木鉢、一輪挿しなどがあれば完璧です。
トイレには、明るい絵やポスターなどですが、とくにオレンジ色、金色などの色彩が
ワンポイントでもあれば万全です。
では、本年の生まれ月占いです。

1月生まれ□小吉
「誠意の心で人に接して全てが円満」
ツキのあるのは12月、ラッキ-アイテムは「手帳」、
金運□小吉 仕事運△注意 愛情運◎大吉 健康運◎大吉
2月生まれ◎大吉
「公私共よき協力者を得て全て順調」
ツキのあるのは 5月、ラッキ-アイテムは「小銭入れ」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
3月生まれ○中吉
「家族身内に嬉しい出来事が重なる」
ツキのあるのは10月、ラッキ-アイテムは「ブレスレッド」、
金運〇中吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
4月生まれ□小吉
「高い目標を目指して真っ直ぐ進む」
ツキのあるのは 2月、ラッキ-アイテムは「筆記具」、
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運□小吉 健康情△注意
5月生まれ〇中吉
「周囲に奉仕して自分も得る事多し」
ツキのあるのは 8月、ラッキ-アイテムは「時計」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉
6月生まれ◎大吉
「NETで得た知識を仕事にも活用」
ツキのあるのは 1月、ラッキ-アイテムは「電子辞書」、
金運◎大吉 仕事運〇中吉 愛情運◎大吉 健康運□小吉
7月生まれ□小吉
「艱難辛苦で得た収穫は何より貴重」
ツキのあるのは 2月、ラッキ-アイテムは「携帯電話」、
金運△注意 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運◎大吉
8月生まれ〇中吉
「友人の助言が役立って好機生かす」
ツキのあるのは 3月 ラッキ-アイテムは「のど飴」、
金運◎大吉 仕事運△注意 愛情運〇中吉 健康運□小吉
9月生まれ〇中吉
「約束守って有言実行信頼が深まる」
ツキのあるのは12月、ラッキ-アイテムは「文庫本」、
金運〇中吉 仕事運□小吉 愛情運◎大吉 健康運△注意
10月生まれ◎大吉です。
「公私共順調心に余裕で海外旅行も」
ツキのあるのは 5月、ラッキ-アイテムは「デジカメ」、
金運□小吉 仕事運◎大吉 愛情運◎大吉 健康運〇中吉
11月生まれ□小吉
「新たな仕事や学び事で活路を開く」
ツキのあるのは4月、ラッキ-アイテムは「折り畳み傘」、
金運◎大吉 仕事運□小吉 愛情運〇中吉 健康運△注意
12月生まれ○中吉
「家族の喜びを大切にして家庭円満」
ツキのあるのは5月、ラッキ-アイテムは「キーホルダー」、
金運〇中吉 仕事運◎大吉 愛情運□小吉 健康運△注意
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では、本年一年元気でお過ごしください。
花見 正樹

解説(開運道会員用)
本年は12支でいう戌年、戌と相性のいい、寅年、午年生まれが「三合の吉」で大吉。
戌と同じ西の仲間の、申年、酉年、戌年生まれが「方合の吉」で小吉となります。
その反面、戌と反対側の東南に位置する辰年生まれが「対冲の凶」です。
戌と90度の関係にある丑と未が「破の注意」で要注意、あとはまずまずです。
これで相性や運勢をみています。
1月は丑月、2月は寅月、3月は卯月・・・となります。
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聖夜には「感謝」の一言。


この20日、母は無事に転院して新天地で生き返りつつあります。
私の賭けはどうやら成功したのかも知れません。
世の中、ジングルベルの音楽と歳末商戦でにぎやかですが、私はまだ年賀状も書いていません。
なんだかクリスマスイブという感覚もないまま24日も過ぎ去りつつある年の瀬です。
あと10日ほどで82歳になる隠居老人が、時間がないなんて、どこか間違っているに違いありません。
この間違いをどう糺すのかは自分次第、こおままでは・・・と思いつつも、どうにもならないでモガき続けているのです。
先日の木曜日、隠居仲間の忘年会でした。
私は、このまま隠居の飲み仲間と埋没するのを避けるために抵抗を試み、「今後は自分の時間をつくる。月、木だけを皆さんと一緒に」と宣言したのですが、そんなことにはお構いなしに、その翌日の金曜日には、その中の一人がお昼時に現れています。まったく、人の心とお金と時間だけは自分の思い通りにはなりません。
でもこの聖夜、にわか信者の私としてはこの1年を振り返って「感謝」の一言しか出てきません。
風邪一つひかない健康体でこの1年を乗り切り、死にかけた母も無事に死期を脱出じ快方に向かいつつあり、もはや言うことありません。
あと一週、今年はいい1念でした・・・こう言える大晦日を迎えたいものです。

母の抵抗


 

 木枯らしが電線を鳴らし街路樹の枯れ葉が乾いた音をたてて舗道を走る季節になりました。夏に深緑だった樹木から剥がされ、今は惨めな干からびた茶の病葉になって車に弾かれている光景を眺めると人の世の儚さが見えます。
人間の尊厳を守る理想の自然死は餓死です。食欲がなくなって何日か絶食し水も飲まなくなって枯れてゆき呼吸が止まるのです。
ところが現代の優れた医療は、年寄りでも体のどこかに潜む病気の種を見つけますから死因には必ず病名が付きます。
私の母は94歳で一度ほぼ死にました。それまで母の面倒を見てくれた兄嫁(兄は故人)も甥もギブアップで、身内家族がお別れ見舞いを済まし、医師からも最期を告げられ、応急処置などなんぞの時に医師には責任がない、という書面にも私がサインしました。以前、母が子宮ガンで緊急手術をした時も父が不在中で私がサインしましたから、この時が二度めのサインでした。
この時にどう魔がさしたのか母を我が家で死なせたいと私は考え、医師の承諾を得て自宅に引き取り、周囲や家族の協力もあって要介護度5が1になって奇跡的に元気に外出もできるまでになり、母は我が世の春を楽しんできました。
しかし、今回は高齢で高熱での入院ですから、今までとは状況が違います。
養護施設「元気村」にお世話になって、日頃は杖なしでも歩ける要介護度1の母が10月下旬、ついに39.1度の高熱で地元・埼玉県久喜市南栗橋のS病院に運ばれました。これで最後、誰もがそう思いました。病名は尿感染症です。
担当の若い主治医は韓国籍から帰化したエリート医師で100歳以上の患者を扱うのは初体験だそうで、死んだように高熱にうなされている母親を一目みて「もうダメ」という先入観を持ったのは表情や態度や言葉で分かります。
それからは母の嫌いなオムツですから母もどうやら周囲の気配から死期を感じた様子で食事には一切手をつけません。
どうやら、主治医の「食べないと死にますよ」のハッパに応じて死を選ぶ気持ちにもなっているかのようにも思えます。
私に呟いた言葉で「なかなkお迎えが来ないねえ」が気になります。それでいて私が持ち込む飲食物は少しづつ口にするのです。

ともあれ、点滴だけで命は持ちこたえますが体は一日一日痩せ衰えて衰弱して骨と皮で餓死寸前です。
その時、主治医が、これ以上は治療方法もないからと転院を勧めてくれました。
私も起死回生に転院を望んでいましたから、渡りに舟と紹介状をもらって行ってみたところ、そこは末期患者専門病院で、全員ベッドから起きられない口もきけない死を待つだけの重病者ばかりの病院で面会室もなくリハビリもありません。
速断でお断りして、すぐその足で隣接する加須市のリハビリ有りの療養型病院に行き、そこの内諾を得て主治医と再交渉し12月4日の転院が決まりました。
その前日、病院から緊急電話で98度の発熱で転院は中止・・・すぐ病院に駆けつけたところ熱は下がっていましたが、確かに体力はなさそうですから転院は無理だったのかも知れません。
主治医もまた慌てました。
なぜ急に高熱が出て、すぐ熱が下がったのか? その日は主治医と会えませんでしたが翌朝会うことになりました。
朝会うと、さすがにエリートですから冷静沈着に原因究明に母の精密検査を始めました、
その結果、協力を求められた内科の若い日本人医師が、母の胆のうと肝臓にガンがあり、そのガンが担管を圧迫して胆汁の流れが滞って高熱を発する原因になっていたことを突き止めてくれたのです。
主治医は、率直にガンの摘出は無理だが、胆管を広げる手術は出来る、ただし。口から管を通して手術しますので体力が耐えられるかどうかはギリギリのところで医師でも分からないのです、ここを家族が理解して手術をするかどうか決めてほしい、というのです。
私は母の緊急入院に際して、延命処置はしないという書類を出しています。
しかし、このような病いで高熱にうなされて死ぬのは自然死ではない、手術で失敗するかしないかは私の決断・・・そう思った時、内科の日本人医師が私の顔を見て微かに頷いたのです。この瞬間、私は「お願いします」とその医師に頭を下げました。
医師は、手術は早い方がいい、夜でも帰りに寄ってください」と言います。
夜、寄ってみると母はげっそりしていましたが目は死んでいませんでした。
夜勤担当の男性看護士F君が「手術は成功したみたいですよ」と言ってくれたので少し落ち着きました。
それから2週間、私が再び転院を試みて主治医も了承しました。
弟たち兄弟は今までの母親の経過をみて、今度はもうだめと見切って、弟や兄(故人)の身内はすでに、お別れ面会を済ましています。
あとは、私の通知待ちらしいのですが、私は相変わらず母親の手モミを欠かしませんし年賀状も出します。喪中ハガキは数年後、これは希望ではなく過去の経験と実践で培った勝負カンです。
もしも母がこれで延命したら恩人は、ガンを見つけてくれた若い韓国系主治医と、胆管拡張手術をしてくれた内科の日本人医師です。
私の親しい友人にも医師はいます。
しかし、普通の医者と違って病人を治すのではなく病人をつくらないのです。いわば病人で稼ぐ日本医師会の敵です。
その著書には「医者いらずの健康法」とか、現在このHPの私と同じ「お休み処」で「死に方格差社会」など医師らしからぬ著作が約30冊もある医師なのです。しかも某医科大学の相撲部総監督で、アントニオ猪木率いる新日本プロレスのコミッションドクターなどの経歴の持ち主です。
なにしろ、相撲協会の役員を務めたことのある元関脇の舛田山(現常盤山親方)が学生時代に勝てなかったと私にボヤいたぐらいの強者(つわもの)が、その著書だけでなく本気でアドバイスしてくれますから私はますます病院には近づきません。
万が一、ガンだの糖尿病だの前立腺だのだけでなく、痴ほう症まで見つかったら「ガーン!」と頭をハンマーで叩かれたように目から火が出て人生に希望を失うのは目に見えています。だから病院にも歯医者にも行きませんので健康なのです。+
以上、死にたい願望らしい母の抵抗に逆らって手術や転院を試みる私の賭けが勝つかどうか?
私の提唱する手相・手もみが役立つのか?
母の正月をどう祝えるか?
まずは無事に転院できるかどうか? これからが楽しみです。

賭けに出ます。


師走に入ると頬に吹く風が急に冷たく感じます。
まさか11月末と急に変わるわけはありませんが多分、心理的な季節感の影響だと思います。
師走=冬・・・こんな図式で考えると、モンゴル力士=暴力力士も似たようなものに思えるから不思議です。
今までの情報によると、日馬富士は巡業相撲開催中の10月下旬、鳥取市内の飲食店でモンゴル出身力士同士の飲み会で、先輩に対する態度が悪いと、スマホをいじっていた貴ノ岩を叱責、それに口答えしたため激高して暴力を振るってケガをさせました。
私が最初、相撲関係者から聞いたのはビール瓶からでしたが、いつの間にか平手で約30発、マイクで数発となっていて、一番の凶器で犯罪性の高いビール瓶はどこかに消えてしまいました。凶器がビール瓶だとしたら日馬富士の傷害罪での逮捕は間違いありません。

鳥取警察は、貴乃花親方の訴えで事情聴取はしましたが逮捕はしませんでした。これが、一般の人であれば傷害罪で即逮捕というケースです。
日馬富士の酒癖の悪さは角界では有名で、礼儀作法や相撲道とは縁遠いモンゴル力士同士ですから命に別条なかっただけでホッとします。
それにしても、この事件を通してみても力士の体力がいかに人間離れしているかがよく分かります。
なにしろ、貴ノ岩の診断書には「脳しんとう、左前頭部裂傷、右外耳道炎、右中頭蓋底骨折、髄液漏れ」などの疑いがあり、一般人なら即死か重傷なのに、貴ノ岩はこれでも全治2週間程度の軽傷らしいのです。
さて、この体重100キロを超す力士と比べるのも変ですが、骨と皮と少しの水分だけで20数キロの母と韓国人主治医の場合です。
図式は、私+母対主治医ですが、103歳の母の死を確信している主治医が勝つとは決まっていないのが、この勝負の面白いところです。
ことの始まりは、杖なしでも歩ける要介護度1の母が、お世話になっている高齢者施設で39.1度の高熱で倒れ、救急車で施設近くの救急病院に運び込まれたことから戦いが始まります。
築地で仕事中の私が病院の救急治療室に入った時はもう母の意識は遙かな天空に飛んでいるような状況でした。
しかし、私はあわてません。こんな母に何度も騙されてきたからです。
病名は尿感染症、軽い心筋梗塞、それに肺に大量の水が溜まっていることも分かりました。
入院するまでは、着替えもトイレも一人で出来ていた母が、大っ嫌いなオシメでの寝たきり生活が始り、病院食も嫌いで食べません。
100歳以上の患者をもった若いエリート男性主治医に、母のデリケートな羞恥心とかプライドは絶対に分からないと思います。
主治医が退院先に紹介してくれた病院にお伺いしたところ、その病院は末期患者だけで全員寝たきりでリハビリもなく面会室もありません。たしかに母は末期かも知れません。久し振りに見まいに来た弟達は母の病状をみて「いよいよ大往生」と赤飯でも炊くように長命を祝って身内のあちこちに「今のうちに顔を見ておくように」と早まったお知らせをしています。
しかし、私からみればまだ生きられるのですから、そうはさせません。リハビリさえ出来ればまだ歩けます。
そこで私は賭けに出ました。療養施設のある病院への転院です。それが明日4日(月)です。
ところが邪魔がはいりました。1日(金)の夕方、母が39度の発熱で転院は延期との電話です。その時、私は築地でしたが病院まで2時間、着いてすぐ看護師に熱を測って貰ったら母の熱は36度、主治医はもう帰宅していません。
看護師さんも、いつ熱が下がったのか怪訝な表情でした。
明日の4日(月)、朝から病院で主治医と会って話し合いますが、もう幾らももたない、と確信する主治医と、要介護度5の瀕死状態から我が家に引きとって要介護度1まで戻した私の介護力との103歳母を巡っての真剣勝負の始まりです。大相撲からみれば全く微小で個人的な話ですが・・・