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8月15日


東京大空襲 に対する画像結果

このお盆休みは、中学生になった孫と川釣り、池釣りと釣り三昧の筈でしたが、その姉(大学1年)がコロナで発熱、その弟も父(私の長男)も濃厚接触者として在宅となり、釣り企画は残念乍ら中止、毎日が雑事雑用で無為に過ぎました。
この中の8月15日(月)はお盆の中日で、終戦記念日でもありました。

77年前のあの日、小学3年生の私は疎開先の福島県喜多方市の父の実家の居間に正座させられていました。日ごろから厳格な教育者の伯父が神妙な口調で「日本は負けた。もうすぐ天皇陛下のお言葉がある」、といい毅然とした姿勢で家族全員の真ん中に座り(伯父伯母従姉二人と私の5人)、やがて玉音放送が始まりました。
東京大空襲 に対する画像結果

意味は全く理解できなかったが、伯父夫婦がしきりに涙を拭くのを見て、今まで「勝つ」と教えられいた戦争が、疎開する前に見た、あの東京大空襲の地獄絵図と重なって、「やはり負けた!」という思いが子供心に重くのしかかっていたものです。

業音放送は次の通りです(無理に読む必要はありません。記録として載せただけです)。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。抑々帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々惜カサル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ心霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ。朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負イ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ」
東京大空襲 に対する画像結果
つぎは現代語訳です。
「世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果、緊急の方法でこの事態を収拾したい。忠実なあなた方臣民に告ぐ。共同宣言を受け入れる旨をアメリカ、イギリス、中国、ソビエトの4カ国に伝えよ」と政府に指示した。日本臣民が平穏無事に暮らし、全世界が栄え、その喜びを共有することは歴代天皇が遺した教えで、私も常に心に持ち続けてきた。アメリカとイギリスに宣戦布告した理由も、日本の自立と東アジアの安定を願うからであり、他国の主権や領土を侵すようなことは、もともと私の思うところではない。
だが戦争は4年も続き、陸海将兵の勇敢な戦いぶりも、多くの官僚の努力も、一億臣民の奉公も、それぞれが最善を尽くしたが戦況はよくならず、世界情勢もまた日本に有利ではない。その上、敵は新たに、残虐な爆弾を使用して多くの罪のない人を殺し、被害の及ぶ範囲を測ることもできない。このまま戦争を続ければ、日本民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明も破壊してしまうだろう。
そんなことになってしまえば、どうやって私は多くの臣民を守り、歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか。これが、私が政府に共同宣言に応じるように命じた理由だ。私は、東アジアの解放のために日本に協力した友好国に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。戦地で命を失った者、職場で命を失った者、思いがけず命を落とした者、またその遺族のことを考えると、身も心も引き裂かれる思いだ。戦争で傷を負い、被害にあって家や仕事を失った者の生活についても、とても心配だ。これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう。臣民のみんなが思うところも私はよくわかっている。けれども私は、時の運にも導かれ、耐えられないことにも耐え、我慢できないことにも我慢し、今後の未来のために平和への道を開いていきたい。
私はここに国体を守ることができ、忠実な臣民の真心を信じ、常に臣民とともにある。感情の赴くままに問題を起こしたり、仲間同士で排斥したり、時局を混乱させたりして、道を外し、世界からの信用を失うことは、私が最も戒めたいことだ。国がひとつとなって家族のように団結し、日本の不滅を信じ、責任は重く、道は遠いことを心に留め、総力を将来の建設のために傾け、道義を大切にし、固くその考えを守り、国体の本質を奮い立たせ、世界の流れから遅れないようにしなさい。あなた方臣民は、これらが私の意志だと思い、実現してほしい。」
(注)原文は国立国会図書館のホームページで閲覧できます。

私は、小学3年の9歳で迎えた77年前のこの日から、この日を「終戦記念日」ではなく「破羽扇記念日」として脳裏に刻んでいます。それは、都内と川(江戸川)一つ隔てただけで戦火を逃れた自分が、夜陰に襲来した米軍のB29重爆撃機の大編隊によって、都内各地に焼夷弾が雨あられと降り注ぎ、燃え盛る紅蓮の炎で夜空が昼間のように橙色に明るく染まり、恐ろしくも美しい光景でした。日本の戦闘機も敵銃爆撃機に体当りせんと果敢に立ち向かいますが、B29を護衛するグラマン戦闘機に迎撃され、相討ちで双方が煙を曳いて墜落する姿も見ました。
その翌日、怖い物見たさもあってか、小6のガキ大将の引率で総勢8人が、県境の鉄橋を渡って都内の焼け跡を見に行きました。
廃墟となった焼け野原はまだ倒れた家がくすぶっていて、突然火を噴く場合もあり、死体を片づける人びとも疲れ切っていて無言、まだ生き残っている人のうめき声があちこちで聞え、まさしく生き地獄、引率のガキ大将が、リーダーらしい大人に手伝いを申し出ましたが、足手まといとして却下され、炊き出しの麦飯お握り1個づつを貰って帰路に就きました。この十時、「この戦争は負けだな」と皆に語りかけたガキ大将の一言に全員が頷いたものでした。ここで見た地獄絵のような惨状は、同行したガキ仲間8人全員が一生忘れることは出来ないはずです。
東京大空襲 に対する画像結果
そんなな想いを抱いての玉音放送拝聴聴ですから、意味は不明でも子供心に「敗戦は当然」のように思えていたのです。

敗戦から77年のこの日、お盆休みで帰省中の末娘らと隣接する加須市志多見の「道の駅 ・童謡のふる里おおとね 」内にある「お食事処・わらべ」に襲い昼食を食べに行って参りました。家から車で18分ほどの至近距離にあるこの「道の駅」には新鮮な野菜が安価で沢山あることから我が家では近所の八百屋と同じぐらいの頻度で通っていて、加須市はウドンの名産地ということから、家族はウドン、私はソバを食します。
天ぷら もりそば に対する画像結果私は食通とは全く無縁なほど味に疎く、何を食べても美味しいのですが、とくに固めのニ八蕎麦に大根オロシを絡めたり、雑魚の天ぷらと合わせたりと好き勝手に食べるのが好きで、築地の一人食事の時などは殆どメン類、具は冷蔵庫に有るもの全てが対象です。
この、童謡のふる里」として売り出し中の「おおとね道の駅」に付随するへようこそ! 東北自動車道「加須IC」または「羽生IC」から車で約15分 道の駅 童謡のふる里おおとねの農産物直売所では、地元加須市の農家で採れた新鮮で安心・安全な特産物でもある「大利根産コシヒカリ」「つる付きいちご」「いちごトマト」「古代米」「いちじく」「地元特産の梨」、その他農産品全般、金魚やメダカ、近隣で獲れる雑魚なども持ち帰り用に酸素付きで販売しています。

それと、今回のこの道の駅行きの目的の一つは、その敷地内にある大きな浅い池に咲くホテイアオイが見ごろであることでもありました。ホテイ ホテイアオイ.(布袋葵 )はミズアオイ科 に属する 水草 で、花が青く美しく、捌名は 「ウォーターヒヤシン」です。
湖沼や流れの緩い川などの水面に浮かぶ水草で、葉は水面から立ち上がって丸っぽく膨らんで浮き袋の役目をしていますが、これが七福神の布袋さんのお腹のようでホテイと名付けられたようです。
ただし、そ観賞用に人気のあるこの花には大きな欠点があります。それは、原産地が熱帯・亜熱帯域に属していたため寒さに弱く、冬はほとんど枯れてしまって悪臭を放つため、短期間ですが近所迷惑とされ地域の鼻つまみ者として嫌われる一面もあるのです。
ここの所在地は、: 〒349-1151 埼玉県加須市佐波258-1。: 県道46号線沿い(埼玉大橋手前)
正式な施設名は、 道の駅 童謡のふる里おおとね 農業創生センター。
電話:は、0480-72-2111、です。

こうして、今年の敗戦記念日は終わりを告げました。


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   仕事は引退しました。

灼熱の夏に友を偲ぶ


 灼熱の夏に友を偲ぶ

 ここのところ猛暑が続き、日本列島のどこかで高温新記録が出る可能性があるという気象庁の観測がニュースに流れ、コロナ禍も全国で連日20万人前後の感染者が出ていて、その猛襲は一向に止む気配がありません。医療機関の人手不足や病床不足は感染者の急増と相まって深刻な過密状態に陥っていて医師や看護師など医療従事者のSOSの悲鳴があちこちから聞こえて来ます。
にも関わらず、政府の方針は「経済優先」で平常通りとの無策に尽き、各地の祭りやイベントは全て野放し、ここ数年の閉塞感から解放された国民はこの機会を逃してなるかと、我れがちにどこにでも出没し、もはやお手上げ状態で一億総感染も目前です。
私のオフイス兼サロンから眼下の築地本願寺の中庭でもご多分に漏れず、中央区と地元の商店街が組んでの3年ぶりの盆踊り,「2022第75回築地本願寺納涼盆踊り大会」を企画して舞台や屋台を設置中、人出は約3万人を見込んでいて、数日後には東京音頭や炭坑節の歌に合せて笛や太鼓の音が響いて、私もそこにいれば仕事どころではなく、当然ながら来客と参加ですが、生憎と今の私は週末になると自宅仕事で築地にはいません。
(下の写真はいま準備中のものです)

築地 盆踊り に対する画像結果
(上の写真真は以前のものです)

 さて、本題の「偲ぶ会」です。
本年5月5日に心筋梗塞で急逝した友人・小美濃清明氏(幕末史研究会会長)を偲ぶ会が、7月30日(土) 午後2時から都内市ヶ谷の「アルカディア市ヶ谷・私学会館」で、46名の有志者の参加を得て執り行われました。

司会は小林賢吾氏(咸臨丸子孫の会幹事)で、挨拶の榎本隆充氏(榎本武揚玄孫)と大出俊幸氏(元新人物往来社社長)のお二人に続いて、不肖私めが献杯の音頭を執ることになりました。

 献杯の挨拶は1分まで、この常識を念頭にラジオで手慣れた頭時計での一言です。これで言い残すことがあれば私はプロとして失格です。

「小美濃清明氏は、幕末史研究会会長として長年に渉って皆様と共にあり、我が良き友としても取材旅行や図書館通いなどを共にしてきました。つい3ケ月前、小美濃氏は皆様の前で、あと5年は頑張る、と執筆活動への意欲を述べました。そのわずか12日後に志半ばに急逝されたのです。真に残念です。本人の無念もさぞかしと思われます。ここに、その早逝を悼み、永久のご冥福を祈って献杯を捧げます・・・献杯!」

 自分としては一分ピタリ、まずまずでした。

 ここから「偲ぶ会」は賑やかな懇談や飲食で時を過ごしました。
私の席は6人円卓で、左は前述の榎本氏、時計回りに廣橋静江氏と飯野順子氏(小美濃氏妹)、米川佳伸氏(元国連職員・真言宗僧侶)、そして右隣が大出氏ですから、どう見てもメインテーブル、何で私が??です。
ともあれ会食が進み、テーブルスピーチでは、前田由紀枝氏(坂本龍馬記念館職員)、福井慎二氏(元NHKアナウンサー・北海道坂本龍馬会)、高山みな子氏(勝海舟玄孫)、植松三十里氏(作家)、宗像信子氏(木村芥舟玄孫)などが故人との想い出を語り、追悼の辞を米川氏が述べました。
続いて加藤健太郎氏(歴史研究家)の詩吟があり、広橋・飯野(小美濃氏妹)両氏の答礼の挨拶があって会は無事に閉じました。
これで、故人も安らかに冥界に眠り、幕末史研究会と私との縁も遠のきました。


ところが、この「偲ぶ会」を終えてみると、自分にもかすかな変化が起こっています。残り少ない自分の人生に何を為すべきか? その選択肢がもう幾つもないことに気付かされたのです。

 明日は我が身、過去の遍歴から的を絞って、今からでも出来ることだけを「成す」ことだけを考えることにしました。これでスッキリ、迷いはありません。

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   仕事は引退しました。