月別アーカイブ: 2017年4月

近藤勇150回忌&新選組藷隊士供養祭


 平成29年4月23日(日)
この日は、近藤勇150回忌および新選組藷隊士供養祭でした。
近藤勇の命日は4月25日で、毎年、それに近い日曜日に行っています。
場所は例年通りのJR板橋駅東口駅前の寿徳寺墓地、今年は満員の人だかりでした。
桜が散っても近くに八重桜が咲き誇る季節で、今日は快晴で爽やかな一日でした。
墓所が何となく明るいので聞くと、墓所にあった桜の大木を倒したとのことです。
桜の枝が電線に掛かって強風の日など危険と役所から注意されたのと、枯れてきたのもあってのご住職の決断です。
その桜の木で作られた腕輪数珠が、ご住職から、交流会出席の関係者にプレゼントされました。
交流会は、供養祭の前に近くのレストランを借り切って行われました。
今年は近藤勇忌150回という節目で、出席者も多士済々、初めてお会いする方もいました。
近藤勇を逮捕した薩摩藩士・有馬藤太のご子孫が助命歎願の口添えをした話や、近藤勇の斬首役・横倉喜三次のご子孫の、介添え報酬5両を故郷の岐阜揖斐(いび)で近藤勇追悼法事を行ったことなど興味深い話が次々に出て、有意義なひと時でした。

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写真の短刀は、寿徳寺が寺宝として保存しているものを交流会で公開したものです。
寿徳寺・新井京誉住職(写真)の説明では、近藤勇所持の短刀で、サメ皮覆った柄、朱塗りの鞘で、刀身は「備州長船祐定(ぴしゅ
うおさふねすけきだ)」作とあり、作成日は「永正十年八月日」・・・織田信長の時代の作ですから古刀の部類に入ります。

関係者一同の記念写真・・・こんな大勢、初めてです。

故・小川宏さん、お別れ会


4月16日(日)、久し振りにフジテレビに行って参りました。
と、いっても出演ではありません。
故小川宏さんのお別れ会が本社18階で行われたのです。
昨年の11月に逝去された小川さんが、家族葬だったことで親しい仲間が気を揉んでいました。
そこで、かつての仲間が音頭をとって故人のご家族共々お別れの会を企画したものです。
小川さんは『春の小川』とか『コメの味』とか言われて誰からも愛され親しまれた昭和を代表する名司会者&アナウンサーでした。
この日は、(1)番組に関係した方々、(2)小川さんとお酒を楽しく呑んだ人たち、(3)親交があった親しい人達が80人以上も集まりました。
私は、そのどれにも絡んでいますが、ご家族とも親しくさせて頂いています。
小川さんの娘さんの結婚式にも招かれていて、お孫さんの命名は私が引き受けていました。
ただ、この日の集まりは昔の仕事仲間が主体ですから、老人会そのもので、若い人はお孫さん、曾孫さんぐらいでした。
それでも、皆さん、35年以上も昔のことを懐かしく語り、大いに小川さんとの想い出を語りました。
日枝会長も当時は局長でしたし、小川さんの助手を勤めた局アナの露木茂さんもすっかり老人になっていました。


その点、女性陣はまだそれなりに華やかさを身につけていて、木本教子、芳村真理、藤田弓子、加賀富美子、松村真美子、浜美枝さんなどアシスタント軍はまだまだ健在、やはり女性は強い、とここでも実感しました。
小川さんの肖像画は、風刺漫画で一世を風靡した故近藤日出造画伯が、「日本の130人」の中に小川さんを含めて描いたものです。
この複写画を縮小して額入りにしたものも今日のお土産に入っていました。
私が「小川宏ショー」出演の昭和51、2年頃のフジテレビは新宿区河田町にあって「視聴率3冠王」とかで活気に溢れていました。
その後は「3時のあなた」のてこ入れで、小川宏ショーとは離れましたが、人脈はいまも続きいています。
この「お休み処」で開運&心霊スポットを開いた小林永周講師は当時の名プロデューサーで、今では日本の心霊研究の第一人者です。
ともあれ、これで安心して故人のご冥福を祈ることができます。

フジテレビ本社18階から眺めた風景です。

桜、菜の花、183!


桜、菜の花、183!

 

4月9日(日)は午前中は雨、午後からは雨も止み晴れ間も出て絶好のお花見日和になりました。
都内の桜は一週間前から咲いていましたが、埼玉北部ではこの日が満開、風もなく気温もおだやか、花曇りのいい日です。
私の住む埼玉県久喜市の栗橋地区には、人に知られていない桜の名所が此処かしこにあります。
私の推す一番の名所は、家から50メートルほどの近所の公園だったのですが、道路にはみ出た部分の枝が切られて花が半減、桜はきれいでも枝ぶりが不揃いですから一気にランク落ち、一位に浮上したのが、この写真の桜並木です。
写真をご覧ください!
これは、地盤沈下で有名になった南栗橋駅南側出口から歩いて5分のソメイヨシノのお花見穴場です。
満開の桜が小さな掘割の両岸1キロほど続いていますが、人も車もまばらで満開の桜を一人占めしている感じです。
しかも、ここから数キロの距離に埼玉県有数の桜の名所「権現堂」があって、そちらは連日超満員なのです。
車も人も大渋滞で屋台も並び、田畑を臨時駐車場に替えて大繁盛、人人人でごった返していて、とても近づけません。
しかし、お花見といえば人混みでないと気分が出ない人もいますから、無人のお花見がいいとも限りませんね。


写真の桜堤のすぐ横には一面のアブラナ科アブラナ属の菜の花畑が広がっています。
正面に桜、振り向けば菜の花、どちらも「素晴らしい!」の一語に尽きます。
それにしても、母は杖なしの102歳、息子も81歳、二人合わせて183歳。散り際が美しいのが桜なのに、この親子はいつになったら散るのか? 一向にその気配もありません。
母も息子も体だけは丈夫ですからまた来年も、元気でお花見に来られそうです。

私の新学期



4月1日(土)、さあ、仕事始めだぞ!
4月に入ると桜便りがあちこちから聞こえてきます。3日の月曜日になれば、花見サロンの眼下にある築地小学校には、もうすぐ大きなカバンを背負った小1生徒の姿も見えるはずです。 リクルート姿の新入り会社員もさっそうとご出勤することでしょう。 いよいよ新学年、新学期です。
開運道スクールにも釧路、仙台、川崎などから4月の新入学会員が待機中です。
体調は極めて良好、朝風呂に入って冷たい「飲むヨーグルト」の後に熱いコーヒーで胃をビックリさせて、生卵・納豆・味噌汁に肉野菜炒めに米食の判で押したようなふつうの朝食、これで戦闘態勢は整ったのですが、生憎と土曜日・・・自宅仕事です。
家人と二言三言だけ会話して、ろれつの回り方を確認します。これは土曜日の私の日課です。
なぜ? 土曜の午前中に山口放送のラジオ「土曜いい朝、お早うワイド」の締めに「花見正樹の占いコーナー」があるのです。これはいま固定電話専門、スマホだと断線が怖いからです。
このラジオ番組のスタートは1984(昭和59年)4月、そこからの持ち番組ですから今年で33年目、32年間週1で計算して約1680回、これを毎週土曜日殆ど欠かさず続けたのですから、無事(でもないのですが)で良かった、と胸をなで下ろしています。もちろん、失敗を思い出すと一人で恥じ入って溜息です。
この番組と併行して、この他にレギュラーで、九州朝日放送、山形放送とラジオ3本掛け持ちで、フジテレビは金曜レギュラー、若気の至りで出鱈目な時代でした。
さて、今でも続く山口放送での失敗話、どんな失敗? これは数限りなくあって、本来はここでは言えないことばかり。1番ひどいのはゴールデンウイークで土曜日を忘れていたこと、2番目はタクシーの中で原稿なし、3番目は九州球磨川の鮎釣りの合間、河原で豪雨で原稿が破れて字が見えない! 4番目はハワイのホテルで氏名が違うと連絡拒絶(本名花見正義で宿泊、番組はペンネームの花見正樹)、5番目はアラスカの釣り船でゴールデンサーモンが掛かってしまって番組どころではなかった。6番目は2週続けて同じ原稿を、7番目は・・・もう許される範囲を遥かに超えていて我ながら嫌気がさして来ました。明日にでもに5回目の辞意を申し出ます。
しかし、待てよ、と優柔不断な私は考えます。
先日のプロ野球で一試合28四球? 草野球でもあり得ない投手陣の醜態です。これでもプロ野球で投手を続けるのでしょうか?
森友学園が「安倍晋三記念小学校」名で募金をしていた問題で「妻が関係していたら総理を辞める」? 絶体に辞めませんよ。
これらを考慮すると、私のラジオ番組での失敗は、前向きな努力で埋め合せできる範囲内、こうも思えてきます。
ならば、開き直ってこの4月、見事な満開の桜を待って、全てに新たなスタートを!
こう勝手に決意して、いつも通りの自分に戻っています。
2日(日)のニュースでは、すでに上野や千鳥が淵という桜の名所は沢山のお花見客で賑わっていました。同じ日、埼玉県北部の我が家近くの公園お桜はまだ二分咲き状態で、あと一週間は開花しない模様です。
では、わが仕事場のある築地は? と、3日の月曜日の朝、出勤して上から眺めると、築地小学校の桜はやはりまだ三分咲き(写真)です。
ならば自分もまだ三分咲き、これから満開の花を咲かせるぞ!
以上、私の新学期への抱負です。