月別アーカイブ: 2016年4月

GW+外出=渋滞


渋滞

 お元気ですか?
 いよいよ大型連休がスタートしました。
 例年のことながら都心を中心に各地への主要道路は、ふるさと帰りや家族行楽での車で渋滞が始まっています。なかには30キロ40キロ渋滞などと毎年報じられている渋滞の名所もありますが、それでも渋滞は今年も性懲りなく續きます。
 そんな折の今日29日(金)の朝、九州を南北に貫く大動脈の九州自動車道の熊本県内の通行止めが15日ぶりに解除され、片側一車線ながら九州道の全線復旧が発表されました。これは九州に旅する人にとっては何よりの朗報です。あと九州の高速道路で残る通行止めは大分自動車道の一部区間ですが、これも5月の中旬までには全線復旧吞み込みとのことでやれやれです。
 今は空港利用ですが、十年ほど前までは毎年、晩夏になると熊本県球磨川まで愛車を駆って大鮎釣りに出掛けていました。鮎釣りは道具が大げさですし釣り場へも車が必要ですから、最初から車で出かけるのが一番便利なのです。凝りに凝っていた頃は一か月間に3回往復した記録があります。ただし3回目はさすがにくたくたで足腰が自由にならず宮崎まで南下してヘリーで川崎港経由で帰京したことがあります。その球磨川行きも高速道が九州にない時代は大変な苦労をしたもので、それを想い出すと高速道路の有り難さはよく分かります。
 今は鮎釣りどころではありません。被災者の方々はまだ住む家もないのです。なにしろ熊本・大分両県だけで家屋被害は倒壊を含めて3万棟説もあり、ライフラインでも1万4000戸以上が断水中とニュースで知りました。震度1以上の地震が千回を超え、毎日が有り難くない記録を更新中です。阪神淡路大地震、東北大地震、熊本大地震・・・つぎは東海大地震か首都圏大地震、これも避けて通れません。
 科学万能の時代といわれながら地震、噴火、台風などによる災害は昔も今も変わりなく続いています。
 さて、IT産業真っ盛りの今、オーストラリア留学の孫とは毎週一回NETのスカイプ通話で身近ですが、1年に数回しか顔をみない孫もいて、このGWのどこで現れるか楽しみに待つジジばかの私、これだから高速道路の渋滞はなくならないのです。その孫達が、我が家に来てからが大変です。渋滞などお構いなしにココアソコと観光地めぐりを計画したりするのです。今年こそ絶対に「孫の言いなならんぞ」と固い決意でこの連休に臨むのですが、今年小1の男孫が私の弱点を知っていて「釣りに行こう!」、こう言われたらアウトです。子供も遊べる渓流魚のイワナ、ヤマメなどの管理釣り場は栃木県の山の中、東北縦貫道の渋滞を数か所は覚悟しなければなりません。

行楽先は?


空港

 今年は、大型連休のスタートを一週間後に控えて、海外か国内か、国内ならどこがいいか? 行楽先選びに頭を悩まされている方も多いようです。全国どこに行っても地震に見舞われるような被害妄想が頭の片隅にインプットされているからです。
 4月14日から続く熊本地震ではすでに50人近くの人がお亡くなりになり、重傷軽傷併せて千人超、住宅被害も約1万棟、避難者も約10万人、断水家屋が2万2千所帯超。しかも震度1以上の地震が8百回以上、しかも豪雨の中での避難生活ですからもはや行政でも手が回らない全員総ストレス状態のはずです。
 こんな中でも避難生活での犯罪はいまのところ報道されていません。昔から日本人の美徳の一つに災害時泥棒の少なさがありました。ところが、東日本大震災での被災地では、空き巣狙いや強盗・強姦事件などが多発し、しかも犯人は殆どが外国人だったのです。警察でもチラシやポスターやホームページを通じて犯罪防止へのメッセージを発信して対策を講じましたが、言葉の通じ難い外国人では効果もありません。
 それと、被災地での女性の権利やプライバシーの保全が完全であるかどうかも大きな問題になっています。
 日本大震災女性支援ネットワークという民間団体がかつて1年間にかけて行った災害復興時の女性と子供の被害に関する内容の調査では、80例ほどが報告されていますが、それらは氷山の一角で表に出ないでうやむやにされる事案は日常的にあるとされます。その背景にはアジア系外国人の労働力としての移住の増加によるモラルの低下があります。その上、避難所生活が続くと「他の人も大変なんだから少々のことは我慢して騒ぎをおおきくしたくない」と、苦情や文句を言えない雰囲気が生まれてしまうこともあります。その結果、不快な思いを我慢して余分なストレスを抱えて苦しむことにもなりかねません。
 熊本地震の避難所風景をニュースで見ていますと高齢者の死亡が多いことに気付きます。地震での家屋倒壊などでは素早く家から逃げる瞬発的な行動力が生死の明暗を分けることになりますが、高齢者になると頭では分かっても体が思うように動けないのかも知れません。しかも高齢者の一人暮らしの場合、助かる者も助かりません。
 それと、自動車で寝泊まりしている人の多いことも今までの災害とは違った風景です。しかも家族連れで狭い密室状態の中で生活しているのですから体調もおかしくなるはずです。私がかつて地方新聞支社長時代に神戸淡路島地震の現地取材で気づいたことは、家族単位でのテント暮らしや避難所での生活で圧倒的に不足していたのは女性専用スペースと仮設トイレでした。水も食料も救援物資も続々と届くのに、着替えや授乳、干し物のスペースがなく、トイレは行列でした。
 いまやトイレは水なしでも快適に使える「バイオトイレ」の時代です。これは、微生物が排泄物を分解するため異臭も出ません。これは、私も半世紀前に気づいて、工業用防臭マスクに応用して花見化学(株)で発売した経験があります。これならオガクズ利用ですから汲み出しも必要ありません。すでに何社か発売していますので、これを運ぶだけでどこでも滑油出来ます。これなら行政が予算さえ出せばすぐにも使えます。
 これからも地震は続きます。心の準備だけでなく、家族単位か私達一人一人がいざという時の準備をしなければならない緊急時を迎えているのです。それは明日か明後日かも知れないのです。

熊本大地震お見舞い 


熊本大地震のお見舞い

大地震
桜散り新緑の4月14日(木)の夜9時過ぎ、東京でも微震があった熊本県大地震は、震源地の益城町で震度7の激しい揺れで、この日だけで死者9人、負傷者は千人以上、家屋倒壊10棟以上と発表され驚いていたら余震が相次ぎ、16日未明にはマグニチュード7.3という阪神淡路島大地震並の大きな地震が襲ったため、死者、負傷者、避難者、倒壊家屋など被害は続々と増え続け、これからも被害は続々と増え続ける様相で、遠く離れた首都圏の我々にとっても他人ごとではありません。
東海大地震、首都圏大地震、東北大地震と太平洋側の深海プレートの暴れ具合では、全くどうなるか予断を許さないからです。

今回の地震が起きた周辺では布田川・日奈久断層帯などが以前から知られていたそうですが、今回のように内陸の浅い場所での地震の場合は余震が多発するそうですから、崩れて崖や倒壊寸前の家屋は大きなダメージを受けることになります。
安倍首相は15日夜の会見で、総理官邸見解で「捜索の結果、行方不明者はいない」と断言して、震災の被害の幕引きを図りましたが、その思惑とは裏腹に閉じ込めや生き埋めで行方不明者も続出しています。
熊本駅近くで九州新幹線の列車が開業以来初めての脱線、九州道でも路面の陥没で交通止め、無敵の熊本城でさえ石垣が崩れています。
私も昨日、熊本県内の知人友人・弟子などに電話をしまくりました。
携帯が混雑して通じ難い中、何とか連絡がついて、球磨川流域の鮎宿や釣り仲間もみな無事でひと安心でした。しかし、まだ余震が続いていて完全に余震が止むまでは予断を許しません。

東北大震災の時は、新潟まわりで被災地に入り親類や会員の家に救援物資を運びましたが福島以北は交通止めで、福島市内の親類までで帰宅しましたが、その親類も原発事故でその数日後に家を離れて避難生活になりました。
神戸淡路大地震の時は米沢新聞東京支社長でしたから取材もしました。旅行でパリにいたのですがテレビで地震を知ってすぐ帰国し、自宅には帰らず新橋駅前のレンタル屋で折り畳み自転車・寝袋など野営用品一式を借りでの取材でした。食品や水も担いでのろのろ新幹線で新大坂、そこから西宮まで電車。あとは電車は不通、バスは折り畳み自転車は載せてもらえません。結局、そこから被災中心の神戸市長田町まで自転車でした。壊れた道路で渋滞の中、火事跡や死体の搬出、救助活動などを見乍ら自転車で走り続け、地図を頼りに知人友人弟子宅を回りましたが、電話も通じず不意の訪問でしたから、皆さん驚いて感激されたものです。その後は取材で公園や学校で寝たりしましたが、その時の人情や助け合いは忘れられません。地元の人に食事の差し入れを頂き自衛隊には露天風呂の提供を受けました。

水は各地から届き電気も通じましたが、どの家も一番困っていたのはガスが止まって風呂が沸かせないことでした。帰京した私はすぐ花見化学で扱っていた工業用電気ヒーターを大量に担いで再度神戸に戻り、それを知人友人に配りました。
それを近所中で使いまわしして町内が風呂に入れたとの礼を開通した電話を受けて嬉しかった思い出があります。
今は携帯電話、NETの普及で被害状況が分かって熊本に行きませんが。心は友人知人・鮎宿に飛んでいます。
ともあれ、この熊本大地震での被災者の皆さまに心からのお見舞いを申し上げ、心のケア―に無料相談も受け付け中です。

それぞれの桜の散りぎわ


桜吹雪
 桜散るといよいよ新緑、屋外レジャーやスポーツ界も盛り上がっています。
 プロ野球、サッカー、オリンピック選手選考会などが続々と續き、賑やかに話題を提供しています。
 リオデジャネイロ五輪に活躍が期待される注目の日本人選手の中には、テニスの錦織圭や陸上短距離の桐生祥秀、マラソンの伊藤舞、福士加代子。水泳の入り江、田中、女子では自由形・背泳ぎの伊藤華英(はなえ)に注目です。
 一方、北島康介が平泳ぎの100,200メートルと両方とも決勝で敗退、日本競泳界の看板を背負っていたスーパースター北島康介は、ついに現役引退を表明しました。それでも、競泳男子平泳ぎで史上初のオリンピック2大会の連続2冠の金字塔の大記録は燦然と輝いて我々の心に残っています。この名声や輝きが未来永劫、素晴らしい実績として残るのは間違いありません。
 ただ、マスコミ間で流れる黒い噂を耳にして、ふと不安に襲われます。まさか? とは思いますが、以前から、麻薬使用で逮捕された清原和博の次に、北島康介選手の名が挙がっていたのです。国民的英雄である北島選手が1種目でも勝って、五輪5大会連続出場の快記録を成し遂げていたら、当局でもリオ五輪後まで静観したはずですが、これで動きやすくなりました。
 しかも、この噂は北島選手だけでなく大物のミュージシャン長渕剛、芸能人の赤西仁の名も洩れ聞こえています。これらは以前から噂には乗っているだけに全くのガセネタと断言することは出来ません。
 それでも、数千万人の国民を喜ばせ狂気乱舞させた英雄の北島選手が、ろくでもない六本木人脈に蝕まれて、たった数グラムの白い粉で破滅して万人を失望させる図など誰も見たくないはずです。願わくば、そんな噂は真っ赤なウソであることを願うばかりです。
 さて、桜散る季節、散り際を見事に飾った話題です。
 相撲界ですが、私の旧い友人である千賀の浦(元関脇・舛田山)親方が今朝の新聞に乗っていました。
 こんな内容です。
 日本相撲協会の定年は65歳ですが、定年を迎えて引退する千賀ノ浦親方が自分の出羽一門の千賀ノ浦部屋を、同門ではなく貴乃花一門の元小結隆三杉の常盤山親方に譲るという異例の出来事が起ったのです。
 これで、常盤山親方と千賀の浦親方の名跡交換により、名前も取り換えっこになるため、これからは、千賀の浦部屋後援会に名を連ねる私としては、再雇用制度利用で70歳まで協会に残る旧友の千賀の浦を常盤山親方と呼び、新たに部屋を継ぐ常盤山を千賀の浦親方と呼ぶことになります。とにかく伝統にうるさい角界では珍しい他門交流と名跡交換、ここにも合理的な現代社会の縮図を見る思いがします。
 なぜ、このようなことが起ったかというと、出羽一門の親方衆は、千賀の浦部屋を解散して同門他部屋への合併を勧め、部屋の存続を望む千賀の浦親方と意見が合わなかったり、継承条件が合わなかったりで結局、部屋の存賊を選択してこうなったのです。
 部屋の力士達の希望を容れ、部屋を潰さぬ道を選んだ千賀の浦親方の得意技「突っ張り&はたき込み」が見事に決まった一件でした。

4月1日


五線譜

4月に入ると、いつも心新たに再スタートみたいな気分になるのですが、今年は何だかいま一つまだ気合が入りません。
 昨年発表された男の平均寿命は80・5歳、私は昭和11年1月5日生まれですから今年の7月4日で満80・5歳を無事に生きたことになります。なんだか、これで人生に投資した元金だけでも受け取った気分です。そこから後は利益ですから丸っきり生き得です。資産はありませんが子供4人に孫6人、貧乏人の子沢山で自分のDNAはしっかり残しましたので死後も細胞は生きます。
 私は開運というキーワードに興味を持ち、20代から運勢学のいいとこ取りをして今日まで生きて来ました。したがって、運がいいのは当然ですが、いま、この文章に目を通しているあなたも私と共通の運のよさを持っているのです。
 まず、私達はわずか0.005ミリという小さな体で生まれ、17センチぐらいの距離を全速力で疾走して人生最初の勝負に勝ちました。この時の体長と走行距離を換算すると現在の私達なら6キロを必死で走り抜いたことになります。ま、駅伝の一区間と考えれば分かり易いですね。全国都道府県駅伝なら競争相手は46人、ところがその時のライバルは数億人、まだ正確に数えた人はいません。ここで勝つことはオリンピックで日の丸を揚げるより大変なこと、あなたも私もこの壮絶な戦いに勝って生きているのです。これだけでも凄いことです。 
 しかも、流産、中絶、死産、新生児死亡、乳児死亡、幼児死亡、病死、事故死、なども乗り越えて生き残ってきました。日本人の死亡原因一番のガンによる死亡者は大雑把にみて34万人(6割は男)、これも今のところ何とか切り抜けました。これで運が悪いなどと言ったらバチが当たります。
 さて、オマケの人生をどう生きるか?
 老いらくの恋? いいですねえ。この言葉を胸に秘めて見果てぬ夢を追う余生、これも悪くありません。もちろん、こんな年甲斐もない恥知らずなことは絶対にNETでも言えません。一生そっと胸の内、エイプリルフールの夢のまた夢です。