月別アーカイブ: 2019年9月

白内障手術記-10


 

白内障手術記-10

花見 正樹

 台風15号が千葉県房総地方に甚大な被害をもたらしたのもつかの間、続けざまに発生する熱帯低気圧が台風に化け、いま18号がフィリピン沖から日本列島に向かって発達しながら進行中とか、困ったものです。
一方、スポーツの秋を象徴して日本中が湧いているのが、ラグビーワールドカップ2019日本大会です。
。しかも、こちらの台風の目は日本チームらしく、28日のアイルランド戦では接戦を制して19対12で快勝。世間一般は歴史的勝利と奇跡でも起こったかのような騒ぎで勝利を祝っていますが、試合後のインタビューで田村選手は「我々31人の日本チームは勝つために準備してきました。優勝を狙います!」ときっぱりと言い切っています。これはもう、すでに大型台風そのものです。
これに加えて、カタール・ドーハで10日間に渉って行われる世界陸上 も、低調な日本選手の中から台風の目になる選手が出るかどうか、織田某という俳優の針小棒大で大風呂敷の大げさガイドに騙されながら、深夜テレビを見続けるバカバカしさも秋の夜長があればこそ。これも、砂の中のダイヤモンドを探す気分になれるなら眼が離せません。
さらに、いま国内各地で行われているビッグスポーツがバレーボール世界選手権です。
かつては「東洋の魔女」として世界中を席巻した女子バレーも、人気絶頂の過去の栄光とはほど遠い存在になっています。それでも、男女合わせて一か月におよぶ世界大会となれば、これも無視はできません。
その上、プロ野球のクライマックスシリーズから頂上決戦、サッカーの熱戦、体操、卓球、水泳など、スポーツの秋は、それぞれの台風の目を抱えて花盛り、これからが楽しみです。
と、台風の目について述べましたが、自分の眼にも奇跡が起きています。
ド近眼でメガネなしでは暮らせなかった私が、メガネなしでパソコンと対峙しています。手術前にsu院長に申告した30~40センチに焦点がピッタリ、これでまた中断していた執筆活動が再開できます。これだけでもSU眼科の院長、ナースさん、職員の皆様に感謝するばかり、死に体が生き返った感じです。このSU眼科に相談しなければ手術はなかったのですから、私の高齢期に入って最大の私的転換期であるのは間違いありません。これで満足、これ以上を望むのは、天にツバして災いが自分に及ぶようなもの、これ以上を望むのは罰当たりです。なのに、この話は、これでは終わりません。
緑内障の悪化で失明寸前だった我が身を顧みず、少し視力が戻っただけでまた欲が出て、とっくに諦めていた運転免許証の書き換えを思い立ったのです。
これに関しては当然ながら四面楚歌、80歳以上高齢者の自動車事故率は19歳以下に次いで最悪、これに関しては周囲に賛成者は一人もいません。さすがのSU眼科の皆様も、これに関しては対応が冷ややか、それでも視力検査の職員さんは協力を惜しまず、検査の基準を、免許証取得に向けて方針変更を認め、院長も「無理を承知なら」という無関心な表情で頷いてくれました。
そこで早速、通知が来ていた高齢者運転教習に挑戦を試みることにしました。
アウトドアー派の私としては、どうしても免許証は手放したくないのです。
これが、無謀か無茶か、正しい選択なのかはまだ分かりませんが、遠距離の視力はまだ足りないらしいのです。
この時点での視力は、裸眼で左が0・2、右が0・01、レンズ使用で左が0・6、右が0・15、両眼で0・65、免許証取得条件の両眼で0・7はもう一息、無理とも思えない状態ですから挑戦してみる価値はあります。
私の誕生日は1月5日、免許証の書き換え期間はその前後各一ケ月、結果はすぐ出ます。

白内障手術記-9


白内障手術記-9

花見 正樹

 台風一過、爽やかな青空が 秋の到来を知らせてくれるはずでした。
ところが今回の台風15号は、消え去って10日以上経過した今も、悪魔の爪痕をくっきりと残しています。
台風15号によって甚大な被害を受けた千葉県では19日現在、まだ停電が続いている,家屋が3万戸もあり、台風の後の大雨にも襲われて、雨漏り、浸水、停電、断水の民家が陸の孤島のように取残されています。東電では、あと数日で全面解消と発表していますが、倒木の処理に手間取って復旧工事は大幅に遅れているようです。
この災害に追い打ちをかけるように、被災者の弱みに付け込み、品薄のブルーシートを持ち込んで、「特別価格で作業します」と、いかにもボランティアを装って屋根に上り、作業後に40万円近い作業費を請求したケースが出ました。
千葉県内では、台風の被害からの復旧に便乗した不審電話なども相次ぎ、警察や自治体では注意を呼びかけているそうです。
それでも水道に続いて電気の復旧も急ピッチで続いています。止まっていた水道の蛇口から勢いよく水が流れた時、停電が解消して電気が明るく室内を照らした瞬間、それまでの絶望的な悲壮感から一転して歓喜と安堵のひと時に変わります。
ところが、停電の時に電気器具のスイッチを切っていなかったり、断水の時に水道の栓を締めなかったケースもあって、そのまま不在だったりしますから、水道も電気も家人の不在中に復旧すると大変なことになります。水道の水が室内に溢れ、電気器具からの引火で、 やっと停電から解放されたばかりの家屋で「通電火災」が発生する場合もあるので注意が必要です。
さて、私の白内障手術の場合は、右眼の手術を終えた翌日、早朝から心ウキウキ希望に燃えて通院した眼科医院で、手術仲間が白衣の天使の手で次々に眼帯を外される度に笑顔と歓声の輪が広がっていました。この情景と今回の千葉県の停電断水解除の喜びに通じるものがあります。
そこで自分の番になり、眼帯が外れて世の中を見回した瞬間、周囲が明るいだけで何も見えず、絶望的になった・・・ここまでは、前回に書きました。

例えに用いるには被災地の皆様に申し訳ありませんが、停電・断水が解除された途端に、断水時に水道の栓を締め忘れた家では、留守中でも水は流れ、停電時にブレーカーを落とさなかった家ではいっせいに通電が開始され、使いかけの電気機器から「通電火災」現象が発生します。喜びの直後に悲劇が待ち受けている場合もあり得るという厳しい現実、私もこんな気分でした。
右眼手術の翌日の朝、眼帯を外して視力ゼロ状態で院長の手術後診察を待つ間、私の冴えない頭の中では、手術の失敗に対して、どうクレームをつけるべきか、手術前の見えにくい目でも何も見えないよりはましだから元に戻してほしいと言うべきか、真剣に考えました。しかし、頭の中はパニック状態でゴチャゴチャですから考えなどまとまりようがありません。
当方の対応策が思いつかないまま、新館の第一診察室に呼び込まれ、薄暗い診察室の中で、主軸と思しきベテランナース二人に囲まれて診察用椅子に座らされ、院長診察が始まりました。
「まっすぐ前を向いて」と、顎を乗せた検眼機の向こうから、院長手持ちの懐中電灯が私の見えない右眼を照射します。
それも一瞬、「はい結構、 大成功です」、これで診察は終了です。
検眼機から顔を上げた私は、見える側の左眼で院長を睨み、ここで一言、と思った瞬間、端正な院長の顔に笑みが浮かびました。
「緑内障がひどいから腫れましたが、一週間もすればよく見えるようになりますよ」
院長の自信に満ちたこの一言で、クレームどころか思わず「有り難うございます」と素直に頭を下げ、「お大事に」と天使の声に送られて診察室を出ました。すると、それを待っていたかのように、順番が私より後の仲間数人が寄ってきて、「どうだった?」と興味津々の様子です。私が「腫れが引けば見えるそうだ」と応じると、「良かったな」と口では祝しながらも仲間達の表情は残念そうです。建具屋のA氏がぽつりと本音を漏らしました。
「カリスマ医師の失敗談が聞きたかったのにな」
こうまで言われると、私の持ち前のサービス精神が黙ってはいません。
「結論は一週間後に・・・」
こうは言ったものの、SU院長の自信満々の口ぶりから、この目は「見えるようになる」と、確信して帰路につきました。

白内障手術記-8


白内障手術記-8

花見 正樹

 9月に入って少しは涼しくなるかと思ったのに涼しいのは朝晩だけ、日中は30度を超す真夏日で、まだまだ熱中症への注意は必要不可欠です。それでも9月は新学期、ランドセルを背負った子供たちに負けないように頑張らなければ、と気持ちだけは張り切っています。
それにしても、地球上にひしめく69億人の人々の何と騒々しいことか。米中貿易摩擦、北朝鮮の度重なるミサイル発射、香港の人権問題に端を発したデモと大集会と衝突と暴動、中東での相も変らぬ武力衝突・・騒がしいのは地上だけではありません。米国の宇宙軍創設で、もはや見上げる空の彼方の宇宙空間すらすら戦場に化けかねないのです。
こんな時に、ゴマ粒ほどにも値しない私ごときの目の手術の話題など全く無意味なのですが、それが一概にそうとも言えないから世の中は面白いのです。手術が終わってから知ったのですが、私の目の手術の執刀医は、白内障の世界的権威で知られる赤星隆幸医師だというのです。
生憎とこの業界に詳しくない私ですから、そんなこととは露知らず、SU院長の直接手術を希望したのに、手術日の折り合いがつかず、止むを得ず客員執刀医・赤星医師の月1出張の日曜日に手術を受けることになったもので、私から望んだことではないのです。
それが、私の白内障手術を知った知人数人からの推薦を受けていた秋葉原のM記念病院、そこの執刀医も赤星医師であることを知って、これも何かの因縁と思わずにはいられません。
手術日が決まってからは、数日ごとに予約しての予備検査があり、手術仲間の顔ぶれと順番はいつも同じで、待合室での会話は賑やかです。中には、すでに片目の手術を終えた者も何人かいて、一様に「よく見えるよ」と得意気です。これでは、これから手術をする身としては期待に胸が膨らむのも無理はありません。
このような経緯を経て手術に及んだ私ですから、手術後は見えない目が「見えて当たり前」の浮き浮きした気分で一夜を過ごし、手術翌日の月曜日朝、奇跡の喜びを味わうべく、足取りも軽くSU眼科に向かったのです。

この朝の二階の予約客専用待合室は、手術仲間の明るい笑顔に溢れていて、病院というより高齢者専門のスポーツジムの休憩室という雰囲気の賑わいです。やがて、眼帯を外された患者間仲間の「よく見える!」の歓声の輪が次々に広がり、私の眼の前にもついに白衣の天使が現れました。
こうして、大仰に顔半分を覆ったていた眼帯を外される瞬間、周囲の仲間の、「すごく見えるぞ!」の声援に期待で胸の鼓動は高まるばかりでした。しかし、その私の期待とは裏腹に、天使の手はしごく事務的で、「痛かったらご免なさい」と眼帯を縦横に止めたテープを容赦なくむしり取ります。しかも、眼帯を外した瞬間、すぐ見えている左眼を閉じて、眼帯を外したばかりの右眼で周囲を見廻したところ、なんと、見えすぎの感激どころか、目の前が明るくぼやけて霞むだけ、人の顔すら見分けがつきません。私は、奈落の底に突き落とされたような絶望感に見舞われ、心は真っ暗闇、しばし言葉を失いましたが、見える左眼を見開くと、私の反応に気づいたらしく、天使が屈託ない笑顔のまま少しだけ同情する口調で「すぐ見えるようになりますよ」と言い残して立ち去ったのです。続いて、院長の「手術後診察」が始まるのですが、私だけが手術に失敗したとしたら? なんだか一人だけ取り残された暗然とした気分でした。