北海道・江差町紀行ー1

 北海道・江差町紀行ー1

  宗像 信子
(開運道芸術部顧問、咸臨丸子孫の会幹事)

 江差は北海道の南部の日本海に面している町です。
江戸時代には北前船の航路停泊港があり物流で町は繁栄していたようです。
もちろん鰊も大量に獲れたときには小樽と同じように鰊御殿がたくさん建てられていたそうで、今も何軒か歴史遺産として残っています。
 また少し北に上がっていくと「繫次郎の面白い像」、

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「北緯42度岬」、「箱館戦争官軍上陸の地」というモニュメントがあります。
この繫次郎には昔ばなしがあります。

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中村純三が昭和23年(1948)ごろに聞いた昔話
ある晩、繁次郎という男が隣へ遊びに行くと、そこではちょうど汁粉を煮ているところでした。
繁次郎は一杯ご馳走になろうと思って座り込みましたが、いつまでたっても食べさせるとは言ってくれません。
繁次郎はしびれを切らし、大きなあくびをして立ち上がりながら、「あぁ、近ごろはさっぱり面白いこともないし、生きていることも癪にさわる。家に帰って火でも付けてやるか」と言いました。
驚いた隣の人は、「繁次郎、バカなまねはやめろ! お前の家に火を付けるのは構わないが、おれの家まで焼けたらどうする」と言いました。
すると繁次郎は、「おれの家の火事がおまえの家にまで移るわけがない。おまえさんの家で汁粉を煮たところで、おれの家にただの一杯でも持ってきたかよ」
この話は江差町内だけでなく、北海道や東北地方で「繁次郎話し」が伝わっています。
その内容は、繁次郎(しげじろう)という機転の利く男が繰り広げるおどけ話しです。
江差町内でも古くから語り継がれていましたが、昭和23年(1948)の新聞連載から広く知られるようになりました。
ただし、聞き取りを基にした話しは数話で、多くは創作であるともいわれています(阿部敏夫「中村純三版『江差の繁次郎』話生成とその影響」)。

なんて伝わっているようです。
像の前に立ってみると思わず笑ってしまいます。
また「箱館戦争官軍上陸の地」から官軍は榎本武揚率いる幕府軍を攻めるために五稜郭へと向かったのですね。
        <つづく>

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