白内障手術記-6


白内障手術記-6

花見 正樹

  大型台風10号通過の影響もあってか日本列島はすっぽりと熱帯に覆われ、埼玉県熊谷市では、ついに41度を超えました。これでは蒸し風呂、快適な夏どころではありません。もっとも甲子園球児の熱中症をもものともしない活躍を思えば多少の熱さは我慢できます。さて、お盆休みも終わって週明けからはまた新たな気分で仕事です。
開運村も開村してはや十年、それを記念して通信講座に用いていた講座を、そっくりそのまま「独学講座」として公開することにしました。ただし、以前に予告した料金とは少し異なります。
今までの1講座約3万円を、何講座でもダブって学んで1万6千5百円(税込み)で学習できるようになります。ただいま準備中ですが、早くも問い合わせが続いています。
私の目の手術の経過ですが、すこぶる順調、パソコンが眼鏡なしで使えるという若い時からのド近眼がウソのように改善され、家での日常生活には眼鏡なしという信じられないような現状です。これもSU眼科の皆様の協力による手術の好結果、たとえ免許証の書き換えが不可能だったとしても、小説書きに専念できる環境は整いつつありますので感謝感謝です。長年に渉って集めた戊辰戦争関連の資料は書斎からも溢れて山積みにされ、以前からの書きかけ原稿もまだパソコンに未収納のまま放置されていますが、近距離30~40センチに焦点がピタリと合った今、もはや何の迷いもありません。
ただ、ライフワークの長編小説に入る前に、開運道の占い全集1冊の出版予定がありますので、今年いっぱいはまず、弟子&講師陣の力も結集して、来春には世に出したいと願っています。
あれもこれも眼が見えればこそ、銀座の眼科で脅された失明の危機はどうやら遠のいたような気がします。この思いはあの日から始まりました。

 本年6月16日(日)午後1時過ぎ、お仕着せの囚人服(医療衣)に身を包んだ私は、右腕に注射の針を刺したまま抗生物質の点滴を注入された哀れな姿で、車付きの点滴機器を針の刺さった方の手で引きずりながら刑場に向かいます。背後から、私に續く建具屋のAさん達の惜別の声が「行ってらっしゃい」などと明るく薄情に追ってきます。
この日は、午前中が左目手術の方、午後からが右目手術で私は午後の部の4番目、点滴中にパンと飲料各種の支給があって何とか空腹は避けられました。
キリストは重い十字架を自分で背負ってゴルゴダの丘への坂道を登ったことを思えば、点滴途中の準備室から手術室までのたった数メートル,群衆から石も投げられず罵声も浴びせられず、しかも心優しい(と信じる)白衣の天使に手を引かれて、これなら死んでも? いや、よくありません。
ともあれ、2週間ほどの準備期間を経て、死刑台とも思える電機椅子に座らされ、深呼吸して覚悟を決めました。ここで執行人がボタンを押せば、一瞬の痙攣で私はあの世に逝くのです。
普通はその前に牧師が登場してなにかもっともらしい一言を・・・と思っていると、すぐ横から聞きなれた声がします。どうもSU院長が近くにいて死刑執行人に囚人の生前の悪行を教えているらしいのです。それによって刑の軽重が変わるのかもしれません。暗闇の中で、私の耳には、「この方は緑内障がひどいから…」と聞こえました。たしかに私の不注意です。「ハイ」と短く答えた執行人はおもむろに凶器を手にし、その冷たい刃の光が一点に集中したライトの明かりに無気味に光って、いよいよ私に迫ってきました。