笛の音か? ソラ耳か?


 笛の音か? ソラ耳か?
バンクーバー五輪の舞台もいよいよ銀輪の女王の名誉を決定すべく、華やかな女の戦いが始まります。男子は高橋選手が五輪史上初めてのメダル取りを果たしました。メダルの色は、昨年の女子荒川選手の金と異なって少し赤みが強い金属ですが、これはこれで努力のたまもの立派なものです。
 ま、すでに長島選手のスピード500での銀がありますが、やはり一つぐらいは金がほしいですね。
 その銀の長島選手が、次の1000メートルでは37位、翌日の新聞には、ただ「長島選手、終盤失速、記録伸びず」と、そっけなく載っています。首位から4秒遅れの1分12秒台という大差での敗退ですから、本来なら優勝を狙える実力のある長島選手としては考えられない凡タイムで、翌日の新聞で見る限りは、銀メダルに安心して手を抜いたのではないか? と思った人もいるはずです。しかし、私の見るところ事実はその逆です。一度メダルを手にして五輪の表彰台に上がる喜びを知った長島選手の全身からは、もう一段上の優勝を狙う勝負への執念が、鬼気迫る緊張感になって伝わってきていました。
 一瞬の静寂の後、スターターのピストルの号砲が鳴り、スタートしかけた長島選手は一歩だけで踏み止まり出した長島選手は、不審な顔で周囲を見回して「ファールの笛が聞こえた」とアピールしたように見えました。テレビで実況を見ていた私の耳にも、あいまいではありますが、スターターのピストルの直後に、ファールを警告する笛の音に似た音が聞こえましたから、長島選手が走るのを取りやめたのも無理はありません。
 ところが、審判はレース中止のホイッスルを吹いていなかったのです。会場のどこからか誰かが故意に出した音なのか、ピストルの発射音に共鳴して出た音なのか結論は出なかったようですが、妙な音がしたのだけは確かです。コーチは猛烈な勢いで審判に競技妨害をアピールして抗議します。とはいえ、同走のライバル選手は300メートルも全速力で滑ってから永島選手がレースを取りやめたのに気づき、これも不審な顔でスタート地点に戻ってきます。しかも、すでに全身の筋力をフルに使っていますので再レースを行うには、疲労回復のための休憩時間が必要です。当然、競技を中止した長島側に怒りをぶつけ、レースの中断を認めた審判に食ってかかります。
 もしも、永島選手が研ぎ澄まされたような鋭敏なピリピリした状態じゃなく、もっと肩の力を抜いてリラックスしていたら、あの妙な笛に似た音など気にならず、思うようなレースになり、メダルはともかく上位入賞ぐらいは果たせたのではないか・・・私は、こう思いました。
 翌日も、このことが私の頭の片隅にこびりついて離れません。長島選手の惨敗が気になるのではありません。あの妙な音が気になるのです。どこかで聞いた・・・それを思い出したので、この一文を書いています。
 時々、私の頭の中の古びた書類棚の引き出しがガタビシと勝手に開いて、くしゃくしゃにして押し込んでおいた過去の断片がこぼれ出て、勝手に連携作業をしてしまい、私をと惑わせます。
 今回は、歴史上の人物の中の義経から、こぼれ落ちた断片が、長島選手の行為とつながりました。
 私の古文書研究会仲間に、明治時代から続く老舗の出版者の社長がいます。
 おかげで、私のライフワークである「大原幽学」という江戸時代末期の農村指導者の伝記小説や、ブームに便乗しての「坂本龍馬」、それを書き終わった後の資料をそっくり生かして、土方歳三を中心に据えての新撰組・・・と、調子づいて出版を目論んでいますが、さらに歴史を遡れば、戦国時代、源平時代へと図に乗って夢は広がります。
 私の住む栗橋という小さな町の名所は、「静御前の墓」・・・ただ一つ、日本のあちこちに義経信仰があるのと同じ数だけ静御前の墓はあるのですが、そんなことはどうでもいいのです。栗橋という小さな町の中央に静御前の墓があって神社があり、まことしやかに本人が使ったツゲの櫛が収められているというのがれっきとした証拠です。しかも、話の筋も通っています。
 奥州藤原の郷に落ちた義経を追って利根川まで辿り着いた静御前が、栗橋の関所で足止めされて泣き明かし、義経を恋い慕ったまま命を絶った・・・どうです? これでも事実じゃないと言えますか? それを確かにするためにも、町の教育委員会からささやかで貴重なギャラを頂いて講演をした恩返しにも、いずれ資料を駆使し歴史を歪曲してでも真面目な伝記にして、栗橋における静御前の存在を確かなものにしたいと思っています・・・思っているだけですよ。
 私の20年の鮎釣り仲間でお互いの家に気兼ねなく泊まれる、元小学校校長で郷土史家、今は静岡県庁委託で教員の教育を仕事にしているI氏という勤勉実直で酒好きの友人がいます。伊豆の狩野川のほとり、源頼朝が伊豆に流された蛭ケ小島の目と鼻の先ほどの近所に住んでいますので、当然ながら事細かに調べた郷土史が眠っています。
 さて、前述の古文書研究会は幹事が二人一組のまわり持ちで、嫌でも何年に一度は幹事がまわってきます。私とのコンビは、今度、日本シャンソン協会の会長になる芦野宏さんのマネージメントなどをする会社経営のF氏で顔が利きますから、毎回苦労する講師探しにも困りません。そこで、私からも「いい講師がいるから」とお願いして実現した研究会のテーマが、I氏の「源頼朝&義経」研究です。その内容ははしょりますが、その講演で、革鞄からおもむろに取り出されたのが一本の笛・・・ご存知、義経の「薄墨の笛」です。
「昨夕、清水の久能寺の住職から3日期限で借りてきました・・・義経が牛若丸時代から愛用したこの横笛は、700年の歳月を経て今もなお奏者次第ではすばらしい音色を出します。この笛は、新羅三郎義光から義経の父源義朝に、その死後は妻の常盤御前に、親子の今生の別れのときに丑若に手渡されたもの・・・」、と、こんな前触れから笛の由来などの後、それぞれが一応ハンカチで拭いてからではありますが、「静御前も吹いたそうだから、間接キッスだぞ」、などと品のいい学術的なことを口々に、どのような音色なのかをまわし吹きしました。ところが、笛が太く穴が大きくて、相当の肺活量がないと音が出ないのです。
 そこで結論が出ました。義経は肺活量の大きな凄いタフな男だったのです。
 そのときに、やっと出た音・・・それが、長島選手のスタート時の号砲の後に響いた笛に似た音とそっくりだったのです。
 で、私が未だに記憶しているのは、静御前との「間接キッス」と言った仲間の嬉しそうな顔です。
「それは、あんただろ?」
 いえ、めっそうもない。決して私ではありません。私が石部金吉なのは私自身が保証しますので絶対に間違いありません。
 と、まわりくどい喩え話ですが、これで、笛の音と勘違いした長島選手の心情をもご理解いただけたでしょうか?