女性のための開運講座ー42&新撰組


 近年、高齢化問題は避けて通れません。
 私の介護生活も、もうすぐ4ケ月目に入ります。
 母はいま96歳、あと4年で100歳です。
 その4年が長いのか短いのかは分かりませんが、
4年ぐらいは何とかなりそうな気がします。
 一般的には、大変だとか悲惨とかいわれる介護生
活も、無知で初心者の私には喜劇としか感じられな
いことが多いから不思議です。
 それでも、介護とは「耐えること」と聞いていた
のですが、もう一つ大切なことに気づきました。
「人格やプライド」を捨てる・・・これをイヤとい
うほど知りました。それでも、人間性だけは失わな
いようにしています。

 それにしても介護しながらの仕事は時間が貴重で
す。1分たりとも無駄には出来ません。その上で、
心の余裕を失わないように心がけています。
 しかし、風呂を薬湯にしたり、インスタントコー
ヒーをドリップにしてみたり、CDのジャズをクラ
シックにしてもみました。でも、いけません。
 今は、番茶で演歌がピッタリの心境なのです。
 もしかすると、私は今、壮絶で素晴らしい体験を
しているような気がします。これで、一言でもグチ
を漏らしたら、きっとボロボロになって崩れそうな
気がします。

 弟の義父が逝去し、人材不足なのか請われて葬儀
委員長を頼まれました。
 しかし、母は私に依存して寄生虫のように離れよ
うとしません。妻ではダメなのです。
 それでも、法事だからと母を口説いて2泊のショ
ートステイに出かけてもらいました。毎週、金曜は
ラジオの準備で事務所に出ますので、いつもは週一
の1泊です。
 母は、いつも面倒を見てくれるヨシさんという若
い男性看護士がすっかり気にいってノリノリです。
 金曜の朝、いつものように母は笑顔で、翔裕園と
いう施設の迎車に乗ってお出かけです。
 金曜の通夜も無事に終わって、土曜の朝、葬儀に
出掛ける段になって園から電話です。
「心臓が痛いそうです。すぐ入院させて下さい!」
と、係のオロオロ声、母の容体がおかしいというの
です。園には医師はいません。
 あわてて葬儀の欠席を連絡し、すぐにも入院の手
続きをと、親しくなった訪問医に電話をすると、さ
すがに院長、全くあわてません。
「病院じゃなく家に連れ帰ってください。その頃、
訪ねますから」

 帰宅して、すぐ車にとび乗って豪雨の最中に園に
行き、個室で寝ていた母を車いすに乗せて車に運び、
看護師達が見守る中を家路に向ったのですが、なに
か様子がおかしいのです。
 車が走り出すと母がニコニコ笑っています。なん
と、帰宅したいための仮病だったのです。

 タイミングよく看護婦連れで現れた医師が、全く
あわてる風もなく言いました。
「ま、元気でよかったじゃないですか」
 母は言います。
「やっぱり、家のほうがいいねえ」
「イケメンのお兄ちゃんは?」
「今日は休みだって」
 これでは、初めての二日泊まりは無理です。
 なにもしない院長は、あきれ顔でお茶を飲んで帰
りました。
 予定狂いの不義理が、イケメン看護士さんの定休
のおかげとは・・・やはり介護は喜劇です。

 ーーーーーーーーーーーーーー

 さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
 これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
 途中からご覧の方は、遡ってご覧になってくだ
さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。

 女性のための開運講座ー42 

 恋愛・結婚、さまざま模様-10

 前回は、12支からみた恋愛運でした。

 1、子は、神経を使って気配りする愛情運
 2、丑は、如才なく相手に尽す愛情運
 3、寅は、思い切った行動に出る愛情運
 4、卯は、軽い調子で密着する愛情運
 5、辰は、つねに新たな恋を求める愛情運
 6、巳は、根気よく粘り目的を果たす愛情運
 7、午は、情熱的で積極的に動く愛情運
 8、未は、情の深さを武器にする愛情運
 9、申は、あの手この手で説得する愛情運
10、酉は、親切奉仕で心をとらえる愛情運
11、戌は、忠実に尽して信頼を深める愛情運
12、亥は、一直線に夢中で突き進む愛情運

 こんな目でお相手を見ると面白いですね。
 せっかちなのは、辰、午、亥年生れのようです。
 じっくりタイプは、巳、酉、戌年生れ。
 熱いのは、寅、午、亥ですね。
 慎重なのは、子、丑、未です。
 軽いノリは、卯、辰、申年です。
 どのタイプが恋の勝利者になるかは相手次第、同
じタイプは、あまりよくないようです。
 
 さて、たかが12支と思わずに、少しだけでも知
識があると、結構、楽しめるものです。
 恋愛と結婚はもちろん、運勢の吉凶を知ることも
できます。
 例えば、平成22年(H22年2月3日まで)の運勢
と、平成23年(H23年2月4日からH24年2月3日まで)
の運勢をみてみます。
 自分とその年の12支をみれば一目瞭然です。
 残り少ない今年と、来年の運勢を比べてみます。
 吉凶は◎大吉5点、○小吉3点、□まずまず1点
 △注意ー1点、X凶ー3点、とします。

 平成22年は寅年、平成23年は卯年です。
 1、子は、寅と□、卯とは△で、2年で0点。
 2、丑は、寅と○、卯とは□で、2年で0点。す。
 3、寅は、寅と◎、卯とは○、2年で0点です。
 4、卯は、寅と○、卯とは◎、2年で8点です。
 5、辰は、寅と□、卯とは○、2年で4点です。
 6、巳は、寅と△、卯とは□、2年で0点です。
 7、午は、寅と◎、卯とは△、2年で4点です。
 8、未は、寅と□、卯とは◎、2年で6点。す。
 9、申は、寅とX、卯とは□、2年で-2点です。
10、酉は、寅と□、卯とはX、2年で-2点です。
11、戌は、寅と◎、卯とは□、2年で6点です。
12、亥は、寅と△、卯とは◎、2年で4点です。

 以上から、今年は寅、午、戌が大吉。
 来年は、卯、未、亥が大吉となります。
 二年続いて運気好調は、卯、未、戌となります。
 反面、二年続いて弱運は、申、酉となります。
 但し、この申と酉は再来年からは絶好調です。

 この運気の吉凶は愛情面でも反映されます。
 相手も自分も得点が高く、相性得点もよければ
問題はありませんが、相性得点も年運点数も低い
同士が付き合っている場合は、トラブルを避ける
ためにも慎重な言動が望まれることになります。
 相手も自分も運気がよければ、いいのですが、
お互いに不調のときに出会って、しかも相性が悪
かったら、折角の恋愛のチャンスも結果オーライ
とはならない可能性もあります。
 しかし、運勢は変るもの・・・縁がある仲であ
れば多少のことは乗り越えて結ばれます。
 それを信じて、じっくりと交際してみるのも将
来のために必要かも知れません。
 そう考えて、12支でみた平成22年からの5
年間の運勢も載せますので参考にしてください。
 
   平成22、23、24、25年、26年。
      寅  卯   辰  巳   午 
 1、子は、□1、△-1、◎5、□1、X-3点
 2、丑は、○3、□1、△-1、◎5、□1点
 3、寅は、◎5、○3、□1、△-1、◎5点
 4、卯は、○3、◎5、○3、□1、△-1点
 5、辰は、□1、○3、◎5、○3、□1点
 6、巳は、△-1、□1、○3、◎5、○3点
 7、午は、◎5、△-1、□1、○3、◎5点
 8、未は、□1、◎5、△-1、□1、○3点
 9、申は、X-3、□1、◎5、△-1、□1点
10、酉は、□1、X-3、□1、◎5、△-1点
11、戌は、◎5、□1、X-3、□1、◎5点
12、亥は、△-1、◎5、□1、X-3、□1点

  この5年間の運勢得点の合計は?
 子3、丑9、寅13、卯11、辰13、巳11、午13、
 未9、申3、酉3、戌9、亥3点となります。
 
 以上からみて、今年を入れて12支からみた5
年間の運勢順位は、1位が寅と辰と午の13点とな
り、2位は卯と巳、3位は丑と未と戌、4位は最
下位並びで子と申と酉と亥・・・私は亥です。
 それでも、どの星も大吉年が5年に1度か2度
は巡ってきますので、そこで大きく幸運を蓄えて
おき注意年に小出しにして落ち込みを防ぐことに
なります。
 私の場合は平成23年が大吉年ですから、せい
いっぱい楽しく過ごして運気を高めておくことに
します。
 あなたも是非、ご一考ください。
              つづく
 では、次回をお楽しみに・・・・

      ---
 書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新撰組
3部作」を執筆中です。その内容を先にお届けし
ます。
 ホームページでも挿絵入りで連載を始めました。
      ---

 新撰組ー異聞

(5)江川坦庵-2 

 天保七年の大飢饉に起こった甲州百姓一揆の暴動
の波を、坦庵と弥九郎の指揮する農兵隊が峠道で食
い止めて一歩たりとも多摩に入らせなかったのだ。
 それからすでに十七年の歳月が流れている。
 小田原北条の重臣の子孫である江川担庵が、北条
の落武者が隠れ住んで土着した多摩の農民を武力強
化しようとする意図は、歳三にも理解できた。
 その代官・江川坦庵も病に倒れて病気療養中で、
残された膨大な職務をわずか十五歳の長男の江川英
敏が代行してなんら問題ないと聞く。
 江川英敏が、かなり聡明な跡継ぎであるのは間違
いなさそうだ。
 坦庵によって苗字帯刀を許され、半ば公然と武技
を推奨された名主は競って道場を開き、剣術の師を
出稽古に招いて武術の鍛錬に励むようになったから、
多摩の農民の剣技はたちまち千人同心をしのぐ勢い
になっていた。

 とくに、将軍家直轄の天領である多摩の村々は、
幕府にとって貴重な軍馬や食料の供給地として特別
な扱いになっていただけに、武士以上に学識力も剣
技にも優れた農民が続々と輩出される気配があった
のだ。
 しかも、多摩は太閤秀吉の「刀狩り令」からも逃
れているだけに、先祖が武田や北条の落ち武者の多
い各家々の倉庫には、刀剣や槍、鎧兜の武具などが
眠っている。歳三の家の土蔵にも、いざ戦場となれ
ばすぐにでも戦いに参加できるだけの武具や馬は揃
っていて、いざ戦さとなった時の武具にも不自由が
ない。
 どの村の名主も庭や納屋を道場にして、外部から
名ある剣客を招いて自から学び、村人を集めて武技
の研鑽に励む。これが多摩の村々で武士より強い百
姓町民を生む一因となっている。

 歳三の家には、国家統一を狙う秀吉の大軍と対峙
した北条氏政からの軍事協力を求めた先祖への督促
依願状がある。それによると、小田原城存亡の時を
迎えて、土方弥八郎、土方平左衛門、土方善四郎、
土方越後など土方一族の三沢十騎衆宛てに、多摩周
辺の村の若者を集めて至急参戦するようにというも
のだ。十騎衆といっても当時は八騎に減っていたの
だが、小田原城主北条氏政の多摩の農兵騎馬隊への
期待の大きさがよく分かる。

 その多摩への期待は、時代を経ても代わることが
なく続き、今また再び農兵の組織化が図られている。
歳三は我が家の祖が、中世の武蔵七党最強軍団とし
て源氏に与して鎌倉幕府の擁立に力を貸し、関ヶ原
以降は三沢村の土方系地侍を中心に結成した三沢十
騎衆の棟梁として、劣勢の小田原勢に肩入れして太
閤の大軍相手に勇猛果敢に戦場を駆け巡っていたの
を、幼い頃から聞かされて育ち、いつの日か戦場で
手柄を立てて武士より強い農士がいることを思い知
らせたい。
 そのためにも、戦って勝ち残るためにも誰にも負
けない強く逞しい心と剣技が必要なのだ。
                  つづく
      ---
 では、次回をお楽しみに・・・・