女性のための開運講座ー41&新撰組


今年のノーベル平和賞に、日本の二人の化学者
が受賞するという快挙を成し遂げました。
 これで、日本人のノーベル賞の受賞者は18人
に達したそうですが、素晴らしいことです。

 この日本の偉大なお二人に加えてアメリカの化
学者との三人の共同研究は、すぐにでも実業の世
界で生かせそうな気がします。
 私ごときでさえ「これは凄い!」と、思わずテ
レビでの談話を食い入るように見つめてしまいま
した。
 有機化合物の合成にパラジューム触媒を使って
クロスカップリングに応用し、アルミニューム化
合物への反応などを研究していることが分かった
からです。

 零細企業の私の会社(花見化学)は、アルミニ
ューム化合物に反応させるために、ニッケル触媒
やコバルト触媒を原材料に用いた方法で自社製品
を作って全国やアジア各地に販売していますが、
肝心のニッケル、コバルトなどのレアメタル類が
中国の寡占化と輸入制限や製造調整によって希少
化し、価格が信じられないほどに高騰し、品薄と
採算ベース超えで、顧客からは矢の催促です。

 そんな状況だけに、これは朗報! と、思った
のですが、今回受賞した研究テーマが当社の製品
とは何の関連もないと分かって一気に肩の力が抜
けました。
 しかし、世界の誰もが思いつかなかったことを
50年も研究し続けて成し遂げるとは、全く素晴
らしいことです。
 まさしく「継続は力なり!」ですね。
 凡人の私としては、このブログだけでも、です。

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 さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
 これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
 途中からご覧の方は、遡ってご覧になってくだ
さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。

 女性のための開運講座ー41 

 恋愛・結婚、さまざま模様-9

 この講座では、結婚を前提にした交際には、家庭
環境、収入を含めた仕事環境などの「身元調べ」か
ら、趣味や考え方を含めた「性格診断」までをお勧
めして、「失敗しない恋愛と結婚法」を提案しまし
た。
 人は、それぞれ、恋愛をするにしても結婚に対し
ても、独特の考え方やスタイルをもちます。
 ある人は恋をすると、たちまちムキになって見栄
も外聞もなく昼も夜も、エゴまる出しで攻勢をかけ
ますし、ある人はじっくりと相手の気持ちが盛り上
がってくるのを待つ粘り強さを見せたりします。
 なかには、惚れたら夢中で後先も考えずに結婚、
お互いの性格や考え方の違いで愛も冷め、気づいた
ときには離婚話。こんな例はいくらでもあります。

 幸せな結婚を目ざすためには、自分のことも相手
のこともよく知ることが大切です。
 理想の結婚は、相思相愛の交際中にお互いの性格
や生活環境の違いを理解し、その上で「機が熟す」
のを待って結婚、これなら失敗はまずありません。
 ときには、初歩的な占いの一つである12支など
を活用することで、お相手の気持ちや性格を少しは
理解することも出来るものです。
 理由は、幼い時から「寅どし」などと言われて育
つため、ごく自然に12支それぞれの気質が身につ
いてくるからです。
 12支は、四千年も前の古代中国の時代から、日
暦の記号として使われてきました。それが、いつの
間にか、占いにも使われてきたのです。
 日本でも、遣唐使によって中国から持ち込まれた
天平の時代から12支を用いるようになっています。
 12支は、占いとしてではなく日常的に庶民の間
でも使われるようになっています。
 今では、西洋の星占いの12星座と東洋の12支
での自分の星は、常識的に誰でも知っています。
 12支を知っていると、本格的な占いを学ばなく
ても、表面に出ない潜在的な気質を知る手がかりに
もなります。さらに、お相手の性格や相性、良縁の
来る方位、旅行、転居などの吉日選びなどにも応用
できます。
 12支の性格、出し方については前述しました。
 再度載せますので、ご自分とお相手の12支だけ
でも記憶しておいてください。

(1)12支ごとの性格
 1、子(ね)は、神経繊細で清潔好きな奉仕家
 2、丑(うし)は、如才なく根気もいい努力家
 3、寅(とら)は、度胸よく行動力ある行動家
 4、卯(う)は、陽気で明るく気が多い社交家
 5、辰(たつ)は、新し物好きで敏感な研究家
 6、巳(み)は、自分の立場にこだわる努力家
 7、午(うま)は、派手好きで行動的な社交家
 8、未(ひつじ)は情感豊かな芸術好き人情家
 9、申(さる)は、頭の回転早く器用な応用家
10、酉(とり)は、人に親切で奉仕的な節約家
11、戌(いぬ)は、責任感強く几帳面な堅実家
12、亥(い)は、何でも熱中すぐ冷める激情家

 生年月日を知れば12支はすぐ分かります。
「昭和は+2、平成は+5、12の倍数を引く」
 これだけです。

 例えば、パーテイで素敵な人と知り合ったら、
まず生年月日を聞きます。
「昭和46年3月xx日・・・」
 と聞いたら、すぐ頭の中で次の計算をします。
(46+2)ー36(12x3)=12で亥。
「亥年? すぐ夢中になって突き進みますね?」
 これで相手はビックリ、一目置かれます。
 多分、熱しやすく冷めやすいタイプです。
 このように、相手を知るのに役立ちます。
「昭和50年5月xx日」なら、+2です。
 52(50+2)ー48(12x4)=4で卯。
 卯年は、明るい社交家ですが移り気が心配です。

 ただし、節分の2月3日までは前年扱いです。
 占いでは、立春の2月4日がスタート日です。
 これは、東洋の占いの共通の約束事です。
 したがって、
 昭和54年2月1日生れは、前年でみます。
(53+2)ー48(12x4)=7で午です。
 同様に、昭和60年1月生れは前年でみて、
(59+2)ー60(12x4)=1で子です。
 なお、2月3日生れまでは前年でみます。

 平成生れは+5です。
 例えば、
 平成元年3月は、(1+5)=6で巳です。
 平成4年5月は、(4+5)=9で申です。
 平成14年はは、(14+5)=19 
         19-12=7で午です。
 2月3日生れまでは前年でみますので、
 平成18年1月生れは、前年の17年でみて、
(17+5)-12=10で酉となります。

 これで12支からみた運勢も分かります。
 例えば、恋愛運ですと、
(2)12支ごとの恋愛運
 1、子(ね)は、神経を使って気配りします
 2、丑(うし)は、如才なく相手に尽します
 3、寅(とら)は、思い切った行動に出ます
 4、卯(う)は、軽い調子で密着してきます
 5、辰(たつ)は、つねに新たな恋を求めます
 6、巳(み)は、根気よく粘って目的達成です
 7、午(うま)は、情熱的で積極的に動きます
 8、未(ひつじ)は、情の深さを武器にします
 9、申(さる)は、あの手この手で説得します
10、酉(とり)は、親切奉仕で心をとらえます
11、戌(いぬ)は、忠実に尽し信頼を深めます
12、亥(い)は、熱い愛情で目的を果たします

 と、こんな目で身近な男性をみてください。
                 つづく
 では、次回をお楽しみに・・・・

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 書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新撰組
3部作」を執筆中です。その内容を先にお届けし
ます。
 ホームページでも挿絵入りで連載を始めました。
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 新撰組ー異聞

(5)江川坦庵-1 

 代官の江川家と親しい吉野文右衛門は、政情にも
多摩の歴史にも詳しい。 
 文右衛門は、今、日本は異国の列強からの脅威に
さらされている、と歳三に言った。
 明和八年(一七七一)に台風で難破したロシア船
が阿波に漂着して以来、異国の大型捕鯨船団が日本
近海に出没し、侵略の危機を感じた幕府は、文政八
年(一八二五)に異国船打払令を出して各藩に沿岸
警備と軍備の強化を促した。

 天保六年(一八三五)、三十五歳で伊豆韮山の代
官になった江川太郎左衛門英龍・通称坦庵は、支配
下の伊豆、相模、多摩地区の平和と自衛のための武
力強化に心を砕いていた。
 坦庵は、神道無念流の達人岡田十松の弟子だった
が、同門で十代の頃から共に修行した親友の斎藤弥
九郎を、江戸屋敷詰書役として招いた。
 坦庵は、師の遺言で神道無念流を継いだ斎藤弥九
郎に肩入れして資金を提供し、江戸九段下の飯田橋
まな板橋に剣術道場「練兵館」を開かせ、あらゆる
協力を惜しまなかった。
 弥九郎もまた年齢こそ自分より三歳下だが博識で
情に篤い解明派の坦庵を尊敬し、いつでも命を投げ
出して尽くすつもりで手足となって働いた。

 坦庵は以前から海防の重要性を考えていたが、闘
う本能を忘れた形だけの武士では国土は守れぬと考
え、昔から自主自衛の気質をもつ多摩の各名主を通
じて農民に剣術を推奨し、いざという時に備えた農
民の次男以下による農兵隊をも密かに計画し、それ
を弥九郎に図った。多摩各地の名主を弥九郎の弟子
にして、農民の子弟にも剣術を習わせる策を考えた
のだ。
 担庵は、本拠の伊豆から相模、駿河、甲斐、武蔵
の二十六万石という広大な天領を支配下に有するだ
けに、多摩にまでは滅多に出て来ることも無いと思
われがちだが実情は違っていた。
 十三歳から神道無念流を学び学問にも通じた坦庵
は、冬でも家では足袋を履かず、一汁一采の食事に
単衣の着物と自らは贅沢は一切せず、それを人に強
要しない生き方をしていたから、どこにでも気軽に
出かけ寺の軒下で一夜の宿をとることもある。

 その代官・江川坦庵が腹心の斎藤弥九郎と商人姿
に変装し、二人で刀剣商の主従を装って甲斐、秩父、
多摩と各地の軍備や人心の状況を見て回ったことも
ある。甲斐などは博徒の横行などで治安も悪く、現
状ではいくら軍律を厳しくしても幕軍の主力にはな
り得ないのを認めて慨嘆した。
 だが、その坦庵と弥九郎の失望感は、多摩を巡っ
て払拭されたらしい、と、文右衛門は昔話を歳三に
語ったことがある。

 商人姿の坦庵と弥九郎は、多摩のあちこちの名主
屋敷の庭先で実戦さながらに木刀で激しく打ち合う
農民達を見て驚き、詰問すると、そのいずれもが天
然理心流という剣術の流派を口にし、出稽古には島
崎周助という若い師範代が来ると聞き、安堵したと
いう。
 まだ若かった文右衛門に、その多摩での印象を語
った弥九郎の談話が歳三にも伝えられている。
「江戸の町道場の仕官用剣術など所詮は竹の棒と防
具の遊び、いずれ実践本意の農民の木刀に叩き潰さ
れるでしょうな」
 その後、坦庵と弥九郎は自分達の学んだ神道無念
流の多摩進出は封印し、各名主の学ぶ天然理心流に
協力して小規模の農兵隊を編成した。
 その効果は直ぐに表れた。
                つづく
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 では、次回をお楽しみに・・・・
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