女性のための開運講座ー93&新選組


のろまで動きの遅い大型台風12号が、紀伊半島に上
陸してから近畿・中国・四国・東海地方と広範囲に席巻
して残した被害の爪跡は 死者・行方不明・家屋倒壊な
ど大きなものでした。
それにしても各地で降った雨の量は半端じゃありませ
ん。近畿地方で500ミリ、東海地方で400ミリと聞
きますが、紀伊半島の一部では、この数日間に1800
ミリという驚異的な降雨量を記録しています。
上流の山間部で100ミリの雨が降れば、川はたちま
ち濁流が狂気のように迫り、たちまち30センチ以上増
水し足元も掬われて流されますから急いで岸に上がるの
は釣り人の常識です。
なのに降雨量が二日で2メートル近く? これは想定
外です。しかし、自然の猛威を想定外と言って見逃すこ
とは出来ません。
決壊した堤防から溢れ出る濁流を止めるべく、消防団
員や村人の皆さんが不眠不休のまま必死で土のうを積み
上げている姿を毎回のようにテレビで見ています。
誰もが今からでは間に合わないと絶望的になりながら
も、家や村を守るために必死に立ち働く姿・・・これこ
そ人間として持ち続けている尊い犠牲心と義務感です。
しかし、こんなことは行政が先を見越して堤防を高く
して護岸工事をしっかりとやればいいだけです。
なぜ、日常的に水害対策を続けないのか不思議でなり
ません。
全省庁や役所の無駄や無用な天下り法人を壊滅させれ
ば、全国の河川や道路を整備する予算は軽く出ます。
世界一を目ざした日本の頭脳に対して「二番じゃ駄目
ですか?」と喚いて予算を削ったタレント出身の女性閣
僚は、利根川のスーパー堤防工事を強引に潰しました。
わずか数十年前に決壊して死者多数を出した教訓はこ
うして予算の壁に阻まれて消えてゆくのです。
こんな時こそ、自己保身だけでなく義のために命を賭
ける・・・こんな政治家の出現を望んで止みません。
つづく
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さて話題を変えて、女性のための開運講座です。
これは、恋愛、結婚、再婚に役立つ開運法です。
途中からご覧の方は、遡ってご覧になってくだ
さい。勿論、男性が見ても役立つはずです。
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女性のための開運講座ー93

(5)、夢は未来予知か-1

夢についての科学的な研究はオーストラリアの医学者
で国際精神分析学会の創立者でもあるS.フロイト(1856
~1939)によって体系づけられたことが伝えられています。
フロイトの夢分析は主として幼児期体験および性的願
望および性的刺激体験に向けられていますが、夢を見る
メカニズムは、無意識水準の中にある潜在意識が眠りの
中で圧縮されたり凝縮されたり、移動したり、ドラマ化
されたり、イメージ化されたりして意識水準に加工され
て夢にあらわれるとしています。

それに対して、スイスの心理学者であるC.G.ユング
(1850~1961)は、フロイト説を独自に発展させ修正し、
夢には意識と無意識の間に自己実現があるとの説を提起
しました。
夢についての研究者は古今東西に数多くいます。
名前だけ列挙しても、H.ベルグリン、ジャン.レルミ
ット、W.イエンゼン、L.ビンスワンガー、M.ボス、
ハンス.セリエ(ストレス学説の創設者)、武久勇三、河
合隼雄、松本淳治、島崎敏樹など枚挙にいとまがないく
らいです。
私(花見)は数十年来、運勢学について研究しています
が、その一環として夢と運勢学との接点を追求していま
す。そして、今まで機会があるごとに雑誌などで発表し
たりして夢の科学と夢占いとは一脈通するものがあるこ
とを確信して立証しています。
私自身がまず夢をメモする習慣があり、実際に見た夢
と現実の出来事とを比較検討することができますので、
自分なりに結構面白いデータにまとめることができたの
です。
拙著「占い全科・幸せになる手帳」の夢占いの項で触
れたことですが、私は夢を5種に分類し、それぞれに未
来予知が含まれているとしました。
私自身はよく予知夢を見ます。とくに最近では人物の
夢を見ると、故人以外は必ずといっていいほど数日の間
に出会いがあります。とくに見知らぬ人の夢を見て、そ
の人とそっくりの実物に巡り会う不思議さを数多く体験
しています。
誰でも、初めての土地に旅して、以前夢で見た場所や
景色と全く同じでびっくりする体験はあるものです。
つづく
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書店発売中の「坂本龍馬異聞」に続き「新選組3部作」
を執筆中です。その内容を先にお届けします。
ホームページでも挿絵入りで連載を始めました。
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新選組ー異聞

第三章 黒船騒乱

(12)静御前伝説-1

歳三は、日光御成街道に戻って北に向かい、栗橋への
道を急いだ。桜の名所の権現堂の緑の森も、やや黄ばん
で見えるのが秋の到来を偲ばせていた。
栗橋の地には、京の白拍子(遊女)で源義経の愛妾だ
った静御前の墓がある。
舞の名手として知られた静は、寿永年間に三年もの干
ばつが続いた時に「雨乞い」を舞うよう命じられ、多く
の舞姫が踊り終えて無為に過ぎた末に舞うと、静女の踊
りが続いている間に一天にわかにかき曇り、たちまち降
り始めた雨は三日三晩降り続けて大地を潤わしたと伝え
られている。
それにしても、この草深く森の多い辺鄙な栗橋の地ま
で義経を追ってたどり着き、病に倒れた静女の一生は哀
れだった。
源平合戦の雄として激賞されるべき義経が、兄源頼朝
への反逆を疑われて賊となって追われ京から吉野に逃げ、
それを追った静女は捕えられた。静女はその悲しみを歌
に詠んでいる。

「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」

かくまでも義経を慕う静女に頼朝は怒り、静女を殺そ
うとして妻の政子に止められた。やがて、静女は男の子
を産むが、頼朝は部下に命じて海に沈めて殺させる。
頼朝は、自分が子供の時に命を助けた平家を滅ぼした
ことを肝に銘じて忘れていなかったのだ。義経は京から
九州、関東から奥州へと逃げたが追い詰められて殺され、
静女も死んだ。人は死ねば白骨となり全ては終わる。
終焉の栗橋に咲く桜は、静桜(しずさくら)と呼ばれ
ている。静女の死については諸説があるのも歳三は知っ
ている。
鎌倉由比ヶ浜への入水自殺説、淡路島での病死説、長
州での死亡説、越後の栃尾での死亡説、郡山で身投げし
た美女池伝説、信州大町美麻村の静御前の千年桜、大分
臼杵で実子を出産してからの死亡説、果ては北海道に渡
っての死亡説など全国津々浦々に静伝説があると伝え聞
く。
これから利根川を渡った古河宿には、病が重くなって
歩くのも辛くなった静女が、義経を追ってさらに北に行
くべきかどうか悩みに悩んだという橋があり、「思案橋」
という名を残している。これなら栗橋まで戻って命尽き
たとする説にも辻褄が合い、根拠は薄いが一理はある。

つづく
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