越冬鮎


 越冬鮎


 私は若い時に、下手な鮎釣りに凝って、釣り雑誌「つり人」に釣り小説や記事を書く連載していて、全国の鮎河川を渡り歩いていた時期ががあります。当然ながら、鮎の友釣り発祥の地といわれる伊豆の狩野川にもよく出かけました。
地元の釣り友達で郷土史家、地元小学校の元校長先生の飯田輝夫さんが釣り仲間で、修善寺下流の韮山に近い神島橋左岸の山側にお住いです。おかげで、必要に応じて伊豆全域を案内して頂いた上に、狩野川流域の歴史や資料なども沢山頂きました。お蔭で長編小説や短編小説、エッセイなど伊豆にまつわる釣り記事の執筆が多いのはそのせいです。
今は90歳近いご高齢で川には入れないが鯉釣りはするそうですが、何と狩野川の主のような80センチ級の野鮎を釣るのですから体力はまだまだ充分にあるようです。その飯田先生の住居周辺が歴史の宝庫なのです。
中でも、韮山の代官・江川太郎左衛門英龍と、鎌倉幕府の初代征夷大将軍源頼朝が配流されて育った蛭ヶ小島(現・伊豆の国市四日町)の
歴史的なものについては、もともと地元の歴史資料の編纂などにも携わっていますから知識が人一倍豊富なのは当然です。
ところが、交流のきっかけが越冬鮎の資料集めですから、どうしても会話は鮎談義が主体になってしまいます。

 年魚といわれる鮎は1年で寿命を終えるはずですが、鮎の中には間違って年を越すのがいる・・・それが静岡県の柿田川にもいるのです。それを確かめたくて狩野川漁協に電話したら、たまたま博識の飯田先生がいて、思わぬ鮎談義になりお互いに意気投合、「次回はに鮎釣りを」となって、その後はお互いの家に泊まったりの仲が今でも続いています。
ところで、私の越冬鮎のホームグラウンドは、栃木県思川上流の小倉川、そこの小倉橋下流左岸に豪農でオトリ鮎業も営む小倉川漁協役員の故福田茂氏がいます。私とは同年で気も合いましたから、ヤマメ、イワナなど渓流魚の解禁日などは、毎年、雪が降ろうが雨が降ろうが必ず二人で出掛けていました。その家の下の川底にづも伏流水が湧き出るところがあるらしく、その周辺だけに越冬鮎が棲息するらしいのです。その福田氏が、ある時、12月に入っても時々鮎が水面に跳ねるというのに誰も信じないと言うのです。
鮎は、秋になると落ち鮎といって下流に降り、雌は砂利場で産卵して一生を終えます。それが、生き残っているというのですから学術的にも貴重な話です。そこで調べてみようということになり、私が海底探査用の水中カメラを持ち込んで調べたら、何と流れの底の大石周りに大鮎がちらちら泳いでいるのが見えてびっくり仰天です。それからは暮れも正月もありません。私が仕事休みの時は二人で真冬の尺鮎(30.3センチ)の友釣りです。釣り針を十本ほど並べたコロガシ仕掛けでオトリ鮎を獲り、それをオトリにして川底の縄張り鮎をおびき寄せて釣り、それを相棒に渡して二人で釣りを始めるのですが、多い日は二人共10尾以上の尺鮎を釣ったことがあります。辛いのは、オトリ鮎を保存できないことです。そこの川底から釣り上げてしまうと大きな業務用の水槽でも水温調整が難しくて飼育できません。したがって、毎回のように寒い中を1からやり直しでオトリ鮎掛けからスタートです。
ある日、ようやく一尾のオトリ鮎をようやく福田氏が掛け、それをオトリにして福田氏が友釣りをするのですが、次のが釣れるまでは私は隣で眺めているだけです。その逆のケースもありますが、この日は私が待つ番でした。この日は水温が低すぎて追いが悪く鮎釣りには最悪のコンディション、折しも小雪がばらつき始めて周囲が白くなりましたが二人はそれどころではありません。そして、ようやく大鮎が掛かったのです。竿が弓なりになり、ようやく手網に収めて、背掛かりの三本錨の針を外して私の手網に移しました。さて、ここからは私も参加です。ただ、嬉しくて寒さで手がかじかんでいることをすっかり忘れていました。ともあれ、喜び勇んで大鮎の鼻に仕掛けの鼻環を通そうとしたら、それまで大人しかった大鮎がひと暴れで、するっと逃げて水音髙く川の中、「待てっ」と叫んでも後の祭り、その時、私を無言で睨んだ福田氏の水っぱな垂らしの形相の怖いこと、これは今でも忘れません。渓流釣り解禁の日の帰路、降り始めた雪でスリップして危うく対向車線のトラックの急ブレーキで難を逃れた時、まったく顔色一つ変えなかった温厚で肝の据わった友人の鮎に賭ける執念がこれで良くわかった出来事でした。その後、週3回の透析に病院に通う合間に私と釣りを同行し、失明間近でも大きな目印で釣っていた福田氏は、釣り三昧の人生を終えました。
その福田氏が逝って、私はその小倉川に行く機会が失せましたが、今でも越冬鮎はいるのか? と、気になるところです。
この越冬鮎を通じての二人の友人、どちらも私の心の中に今でも、宝石の輝き以上の大きな夢を育ててくれています。
福田氏が越冬鮎を通じて飯田先生との縁が出来、飯田先生のお蔭で韮山の反射炉と江川宅を知りました。
飯田先生には、それを小説にするのが恩返しと思っています。
ところで、30センチを超すこの越冬鮎、オスは痩せて体中が黒くサビて掛かればすぐ取り込めますが、メスは艶々して丸っこく肥り、掛かるとガンガン竿を引き込んで暴れますから取り込むまで必死です。高齢者はオスは弱くメスは強い、鮎も人間も同じだったのです。