もしも開運研究会があったら?


もしも開運研究会があったら?

 去る11月3日(土)の文化の日、親しい友人が常任理事を務めるサイ科学という学会?の研究発表会で場違いな「手相と長寿」の講演を行ってきました。持ち時間が休憩を挟んで4時間という長丁場ですから、講演を苦手とする私としてはどうなることかと心配していましたが、どうやら時間いっぱい何とか勤めはしましたが、語りたかったことの半分ほどの感じで燃焼不足、とんだ冷や汗もの・・・もういいか、という感じです。若い頃は、あちこちで原稿なし講演を苦も無くこなしていた過去を思うと我ながらもどかしいのですが、逆に考えれば平均寿命を超えてなお仕事が持ち込まれるのですから、ここは感謝の心でやり過ごし、多少の恥ずかしい思いはスッキリ忘れることにします。
ここでまたハタと気づかされました。
先週は人間関係の「好き嫌い」で気づかされ、今回は研究会で「人はなぜ集まるのか?」で気づかされました。
会費を払ってまで他人のつまらない研究を聞きたいはずがありません。ましてや、私の手相と長寿の話を聞いたところで、それだけで長寿になれるものでもありません。生活習慣や意識を変えるのはそう簡単ではありませんし、聞いたから、知ったからではなくて、幸せな長寿を目指すかどうか、です。
と、力んではみたのですが、このような研究会に人が集まるのは、その講師の話を聞くのが目的ではないような気もします。
たまたま私に白羽の矢が立って演壇でお喋りをしましたが、その会に集まる人は、そこに集まることが目的で、演題はなんでもいいのかも知れません。もしかすると、そこから落ちこぼれないように参加しているだけなのかも知れません。
今やこの世の中、生涯学習と称する高齢者が公然と集まれる老人寄せ場をはじめ、〇〇研究会が花盛り・・・人は孤独から逃れて少しでも仲間意識がある集会場を求めて彷徨っているのではないか? こう考えると周囲の誰もが、ひと声かけると集まってくるのが納得できるのです。
その集りに何らかの意義を見つけ、共通の目標があればなお人は集まる、ここでまた気づくのです。
開運村はNET上の架空の村ではありますが、過疎化どころか日々観光客も定住する人も増えつつあります。
ならば、ここでもそろそろ世間と同じように研究会が必要になってはいないのか?
私は40代の頃、東京易学研究会、東洋運命学研究会を主宰して運勢学の普及に勤めた時期があります。
どれもこれも本気なのですが、私の悪癖で多忙な上に自分から新たな荷物を担ぎますので膝から崩れ落ちてなかなか立ち上がれません。今でもそんな状態ですから、全てがチュと半端、これで幾度となく失敗しています。
そこで今度は慎重に一晩じっくりと考えました。
すると、すでに開運についての研究を続けて数十年、そんな弟子がいたことに気付き、そこを標的にb貧乏クジにも似た白羽の矢を打ち込んで、その感触を確かめたところ、すぐ反応があり、老いた私に代わって研究会を引き受けてくれることになりました。
これで開運村も、世間の流れに逆らわず、集まりたい人の集まりが出来るようになりました。
しかも、その会に入ったら幸せになれるノウハウが一杯、そんな会が出来るのです。
まずは貧乏クジを背負わされた主宰者、相談役の私、何の役得区もない事務局(これから交渉)のたった3人で、恒例の昼カフェ会か夜の部のワイン会からのスタートとなりそうです。
11月3日の講演後の発想から考えて今日は6日ですから、ここまでに3日も掛かってしまい、村長の一言の掲載も遅れてしまいました。その研究会の名称は、貧乏クジを引いた弟子の名を冠してと私は考えていますが、本人がウンと頷くかどうか?
今後の開運道の発展に大きく寄与する研究会になるかどうかは皆さま次第、貧乏クジ的中の白羽の矢が、幸運の女神の微笑みにで、パワースポット「開運村」の幸運の破魔矢となることを願って、研究会という名の集会場づくりをお知らせします。