明けましておめでとうございます。
お正月休みからはや一週間、またまた3連休でした。
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
私はテレビ・ラジオなど仕事もプライベート面も無難にスタートしています。
本年の年運は、「戦いより平和」、「口論より話し合い」です。
2020年は今のところ中東絡みの幾つかの事件以外は、ほぼ穏やかな幕開けとなっています。
スパイ映画顔負けのトランク詰めでレバノンに違法出国で脱出した元日産自動車社長のゴーン被告はどうなるか。早速、レバノンで記者会見したゴーン被告は、逃亡事件を正当化した上で、日本の司法制度をこき下ろしています。しかし、保釈時から作業服姿に変装したりと姑息な手で逃げながらの反撃ですから説得力はありません。
イラン軍によるウクライナ旅客機撃墜による乗客など176人死亡のニュースにも驚きました。上官の許可も得ずに1将官が巡航ミサイルと誤って旅客機を撃墜するなど、応戦体制にあったとはいえお粗末すぎます。しかも、それを墜落は事故として撃墜を隠蔽したイラン政府が、11日になって事故説を修正、イラン軍のミサイル誤射による撃墜であることを認めてローハニ大統領自身が自国の非を認めて謝罪するという有り様です。この政府の対応に怒った群衆が首都テヘランで抗議デモを行い、なんと約千人が参加して怒りの輪を広げているそうです。
3日、アメリカ軍が、イラクにいたイランのソレイマニ司令官を殺害した事件も正月のニュースに取り上げられていました。イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官は、イラクの首都バグダッドにいて、アメリカ軍の無人機攻をによって殺害され、イラン軍は直ちにアメリカへの報復として、バグダッド中心部の旧米軍管理区域に数発のロケット弾を撃ち込んでいます。
では、中東で戦争が起こるかというと、どうもその心配はなさそうです。
理由は、今回のソレイマニ司令官殺害については、「泥棒にも三分の利」以上に、アメリカ側にもそれなりの理由があるからです。
まず、イラク国内の米軍施設とアメリカ大使館に対して、イランの革命防衛隊は11回の攻撃を仕掛けています。これは本来ならば国際法に基づいてイラクの警察や軍が対処しなければならないのに、イラクの警察も軍もその義務を無視して何もしなかったことに対しての報復だったのです。どの国でも在外公館の安全を確保することはウィーン条約で国際的にも決まっていますから、基本的にはイラクに責任があるのは当然です。それが、いくら警告を発していたとはいえ他国内を爆撃するなどは狂気の沙汰でしかありません。しかも、イラク国内で革命軍の支援を行っていたとはいえ、他国人であるイランの司令官をピンポイントの狙い撃ちで殺害しているのですからトランプ大統領も口先だけでなく結構無茶をやるものです。
それでも大規模な戦争にならないのは、アメリカ国内の世論も割れていますし大統領選挙も近いですからトランンプ大統領は無理が出来ません。イランにとっても同じで、国内で大規模な反政府デモが相次いでいてアメリカとの戦争どころではないのです。
かくして、オリンピックイヤーの本年は、開運道2020年占断「戦争より平和」が現実となるのです。

いよいよ1919年もあと1一日弱となった大晦日入りの深夜、1年の反省を込めてこの一文に向かっています。
夏には仁徳陵など大阪の古墳群が世界文化遺産に登録されました。
男子も活躍しました。ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会において、日本代表は予選リーグ4戦全勝で初の8強入りを果たす快挙を成し遂げています。たとえ、準々決勝で南アフリカ代表に敗れたとはいえ、過去の弱小日本ラグビーからは考えられないほどの活躍ぶりでした。
あえて反省をするならば、台風の影響で河川状況が悪かったこともあり、下手なアユ釣りを数十年ぶりに休んだこと。時間の配分が悪かったたのと眼の疾患でライフワークの小説書きが進まなかったことです。しかし、これも春日部市の杉浦眼科のお陰で一時的ではあれ無事に手術が成功、自動車の優良許証の更新というオマケ付きですから出来過ぎです。
以前は目が悪かったこともあり、新聞もパソコンも小さい字は見ないように心がけていたのに、左眼は殆ど見えなくても右眼は見えるようになりましたので、最近ではパソコン情報にもよく眼を通します。
人の運命は、木の葉が風に舞って地上に落ちるまでのようです。木の葉の表裏のどちらが上になるのか、誰にも分からないはずです。
私は6日(金)には大切なスケジュールがあって都合が悪かっただけに自分の幸運を信じました。前日の4日(水)はパソコンもテレビも絶ち、目薬もたっぷりと目に流し込み早寝して明日に備えました。
古代中国の魏の国の宰相・曹操は、漢の皇帝を手中に収めて好き勝手に詔文を発し、ついには息子の曹ヒの代になって漢帝を廃して曹ヒが皇帝の座についた例もありますので油断はなりません。これからも、安倍総理を取り巻く長州閥からは目が離せません。
「やがて失明・手術不能」と」と宣告さ、一念発起して、失明後は「整体師範で弟子育て」まで可能にした身がなんとSU眼科のお陰で視力が奇跡的に回復、免許証の更新にいま一歩のところで足踏み中、奇跡が起きるか起きないか、その結末を以てこの項を閉じます。
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その他にも記憶に残っていることがあります。
一昨日の11月1日(金)、SU眼科での検診では、緑内障と視野狭窄症の悪化でか、右眼の視力が鏡使用で0.1とかなり落ちていました。 頼みの右眼も眼鏡使用で0.6・・・免許証には少々パワー不足ですが、上記の2例のように奇跡的な逆転劇は世の中にいくらでもあるものです。

