陰鬱な梅雨の合間に一時的にせよ晴れ間が欲しいものですが、九州の集中豪雨、新型コロナウイルス感染者増加、それに加えて親友の入院や開運道元幹部の訃報などが重なり、気分の重い週末を迎えています。
親友の入院とは、開運村HPのお世話人コーナー掲載の副村長で日本の心霊研究学会の第一人者・小林永周講師で、脳梗塞での緊急入院でしたが、会話もそこそこに出来る軽傷でしたので退院後のリハビリ次第では後遺症も残らないと思います。小林講師とは、お互いに100歳までは現役での社会奉仕を実践、との約束していますので、そう簡単に倒れられては困るのです。
訃報は、同じく開運村HP講師枠に載っている小林永佳講師の御母上で占術家の小林賜恵講師です。その夫君・故小林永尚講師(小林永佳講師の父上)共々私より年長ながら私の三十代の頃からの筆頭弟子であり占術家仲間でした。このご夫婦は、開運道の基礎づくりに尽力してくれた大切な仲間です。その一人の小林賜恵講師が、リュウマチ、骨粗鬆症、肺がんでの長い闘病生活の末に逝去し、明日5日(日)が告別式です。したがって明日5日(日)は私も群馬県安中市の斎場に行って弔辞を述べて参ります。葬儀の喪主は長男の小林貴之君で、私が社主である花見化学の専務取締役、親子4人全員が私の弟子で仕事仲間戦友という固い絆の一家です。
7月4日(日)の朝のテレビニュースで、集中豪雨による熊本県球磨川流域の氾濫を知り、濁流渦巻く激流を見て息を呑みました。ここには30年近く通っていて知人友人も多く、その家や家族が危険にさらされているのです。この場合、私の三大生き甲斐の一つである大鮎釣りの漁場が壊滅的状態で今年も絶望かと思われる惨状であることよりも、人の安否の方が大切なのは当然のこと、すぐにも安否を確かめ、災害見舞をとスマホを手にしますが、NTT側の電話回線故障の案内が入っていて、残念ながら不通でした。
それでも釣り仲間の情報は二転三転錯綜していて、八代市の釣り仲間から悲痛な情報が届きました。一勝地地区の肥薩線・球泉洞駅前の河畔の土手上にある鮎宿が隣家と共に濁流に呑まれて流されたとの未確認情報です。あの豪雨での急激な増水は深夜から起こっていて家人が避難する間もなかったとすると、これは大変な惨事になり兼ねません。
なにしろ電話が通じませんので実情は誰にも分からないのです。
いま私の頭の中では、「まさか?」と「もしかしたら・・」、この否定と肯定の葛藤で私の心は揺れ動いています。
私の三大生き甲斐の一つである「大アユ釣り」も、30年来通い詰めた鮎宿の家族的待遇と釣り仲間の友情があればこそです。ここからは、仲間からの新たな情報を待つばかり、まな板の鯉の心境です。
さらに、今日7月4日(日)午後のニュースで、都内での新型コロナウイルス感染者は131人であることを知りました。
全国での新規感染者数は昨日一日で250人、これで今日現在の日本国内の感染者数は千人を超え、退院した人を加えた累計感染者数は、約2万人、死亡者数は990人ですから千人目前です。
それに比べてアメリカでは一日の感染者が約10万人、累計で2千万人超といい、世界での新型コロナ感染者数は今や数千万人、死者は50万人を遥かに超えています。
世界の人口が約70億人とすると日本の人口をその70分の1とすえれば感染者数15万人、死者7千人でも仕方ないのですから、累積感染者2万人、死者千人弱の日本の現状は不幸中の幸いで、この数字で納まっているのが不思議なくらいです。
日本人が感染者が少ない理由として挙げられるのは、納豆、味噌、ヨーグルトなどの発酵食品や緑茶のカテキン有効ではないかとの説もこれで都市部の人達が、徹底してのマスク使用や手洗いの励行、3密を避けて夜遊び自粛、歓楽街やキャバクラやホストクラブなどへの出入りを避ければ、新型コロナウイルス禍が終息するのは間違いないのですが、遊びにふけって周囲への迷惑を省みない不埒な連中が後を絶たず、逆に増え続けるという悪しき傾向に向かっているのを感じますが、これも成るようにしかなりません。
昔、ダミアの「暗い日曜日」を聴いたパリ市民が続々と自らの命を絶ったような気分ですが今日は「土曜日」、「明日は明日の風が吹く」との日頃の自分に還って淡々と明日の葬儀に向かい故人を偲んで参ります。
以上、梅雨の合間の暗い週末について私事を述べましたが、心はすでに明るい次週に向いていますのでご安心ください。

気味なほど真っ赤に染まりました。
今回の新型コロナウイルスの世界での感染者数が、ついに2千万人を超え、死者も13万人を超えました。日本でもついに感染者の累計が1万5千人を超え、死者も5百人を超えました(4月末現在)。
今回の新型コロナウイルスのお陰で今や世界的な不況に陥り、自宅待機、一時的解雇、在宅勤言です労働人口が家庭内に滞留したことによって家庭内での様々なストレスと化して父親や母親による幼児への虐待や家庭内暴力が急増しています。したがって、いま暫くは、怖いからものから親父(おやじ)は外せないのです。とくに、再婚した母親の連れ子への虐待が突出していますから、ここは「地震、ウイルス、火事、おやじ」となります。もちろん、この悪い義父はほんの一部なのですが、そのために多くの義父がそのような目でみられるのですからいい迷惑です。
咳をするというのはウィルスを出したいという事だと思います。
安倍総理の東京都など7都府県緊急事態宣言によって、外出を自粛し、人々はいっせいに家に逃げ込んで耐えています。
私の新型コロナウイルス感染予防法
て気分一新、全てが新たなスタートです。 しかも東京近郊の桜は満開、築地も本願寺周辺は花盛り、いよいよ春本番、気分も上々です。
東京では一週間前から咲き始めて、上野公園などは大勢の花見客で賑わい、横浜でも18日に開花したことをニュースで知りました。埼玉県の北限にある久喜市栗橋地区にある我が家の近くでもすでに桜は五分咲きです。
一転してまた違う個人的な話題ですが、2週間ほど前のこと、食事中に上の左歯が抜けたので久しぶりに歯医に行きました。銀座で仕事をしていた時代からの馴染みですが、支店形式の歯科なので医師はまた初対面の若い歯科医でした。早速、モニターに私の古い歯の写真を映して現在の状況と照合し、「虫歯ですね」と一人で頷き、「お任せいただけますか?」と自信満々なのです。この一言は、大成功だった春日部の杉浦眼科の院長と同じですから信頼するしかありません。つい「お任せします」と言ってから(しまった)と思ったのですが、もう手遅れでした。
これは天災ではなく、化学兵器を使った人為的な殺人事件ですから最悪最凶の人災です。しかも、国家転覆を狙っての計画的なテロですから手口が幼稚すぎて呆れます。
オウム真理教 など悪魔の巣窟であって、人を救うはずの宗教とは縁遠いものです。
被害は 日比谷線中目黒行きだけでなく、日比谷線の反対側北千住駅行きも被害に遭っていますが、私が取材した日比谷線中目黒行き車輛については次のように判明しています。
築地駅では、ドアが開くと同時にホームになだれ込むように倒れた乗客のほとんどが、重症となって病院に搬送されています。
顧みればあれから25年、折り畳みのレンタル自転車で火煙くすぶる神戸の瓦礫の街並みを疾駆したあの日を未だに忘れません。1995年(平成7年)1月17日に発生した兵庫県南部地震いわゆる阪神・淡路大震災は、私の人生観をも大きく変えました。
この時に立ち寄った慰問先では一様に驚かれかつ歓迎され、持参した飲食物などの救援物資も大いに喜ばれました。
その間、幾度も無惨な死体を目にした私は、人間の生命の尊厳がかくも簡単に喪われるものか、と悲しい思いでいっぱいでした。その遺体収容現場から離れても、泣き叫ぶ家族の声は耳の奥から脳天にまでこびりついて、いくら忘れようと思っても忘れることはできません。
私の本業(花見化学)の取引先であるスイスK社の日本支社は、巨大な埋め立てプロジェクトで完成した人工島「神戸ポートアイランド地区」の高層ビルの36階にありました。その島への橋も壊れて車は通れません。それ以前に、震源地に近い人工島周辺は泥状化と地盤沈下で高層ビルは傾き、コンテナ荷役用の巨大なクレーンも倒壊、海辺の駐車場にあった車両が地盤の斜傾化で海に投げ出されていました。鳴り物入りで発足した神戸の新名所「神戸ポートアイランド」は、かくして電話も電気も不通、給水車も通えぬ死の島と化して救援隊からも見放されてしまったのです。
挨拶を終えた私が、ペットボトル5本の水と菓子パンなどの差し入れ物資を出したのを見て、歓声を上げた三人は、すぐボトルの水に手を伸ばし、喉を鳴らして飲みました。聞くと、壊れた橋周辺の泥状化で陸の孤島と化した神戸ポートアイランドには給水車が近寄れず、海上保安庁の小型船で運んできた僅かな水を島に取り残された人々で分けたのを大切に管理しながら次便を待つ状態だったそうで、私の持参した水はまさしく「干天の慈雨だったのです。
優雅な木造建築が殆どの須磨地区の高級住宅街も壊滅的な被害だったのですが、取材も三日目になると目も頭も麻痺するらしく同情も感動も驚愕もあまり感じなくなって感性が鈍っていることに自分でも気づきます。
る老夫婦らしき姿が見えました。仲睦まじく手袋の手をつないでゆったりと散策する防寒コート姿の老夫婦は、曇り日のお昼前でしたがなかなかの絵になります。私は、緊迫した三日間の中で唯一、憩いのひと時を得た感じでそれを眺めていました。
今回の地震で二人の家が半壊し家財は何とか助かったが住む家がなく、知人の家に厄介になっている状態での散歩というところまではパズルを繋いだが、私が出しゃばり過ぎたのか良かったのか悪かったのかは、いまだに謎として残ってしまいました。