人間の価値は何で決まる・・?

 

    知恩・感恩・報恩

 知恩
知恩とは恩を知ること
我が家の掛け軸にはこのような言葉が記されています。

今から20年ほど前、パートナーが快復することのない病に伏している時、私自身も心が平穏ではなかった。そのような時に、恩師が訪ねて下さり、色紙に書いてくださったのです。

どんなに辛くても、今見える 今聞こえる 今動ける 今一緒に生きている

何と嬉しいことであろう。

明日がどうあろうと、今を楽しく生きること。このことを教えていただいたことを先ず感謝しよう。ありがとう。

 感恩

私の父は私が3才の時、この世を去りました。昭和20年3月31日 38才でした。徴兵されましたが戦病死でした。母との会話から思い出として語られる以外には、父の面影を殆ど知りません。

その思い出のひとつに名前の命名があります。私の名前は「靖子」といいます。それを父親が付けてくれたと言うのです。当時、新宿区牛込あたりに住んでおりましたので、靖国神社が近くにあり、恐れ多くもその字を頂いたのです。

新宿は空襲の激しい場所だったので、転々と引っ越しをしました。3歳の私と乳飲み子の弟は全く覚えておりません。終戦後、新宿区に戻ることはなく、従って今日まで一度も靖国神社を訪ねたことはありませんでした。

しかし、80歳を前にして、父親の倍以上生かされていることに気付き、今までに数々の病気を体験させられながらも生かされているのは、やはり父親が期待してくれているお陰なのではと気づきました。実はパートナーはしばしば夢路に訪れてくれておりましたので、身近な存在でしたが、父親の存在を疎かにしておりましたことは反省させられます。

命日の3月31日には初めて靖国神社に御礼参拝に行ってまいりました。桜吹雪の境内には慰霊塔に収められた勇敢な戦士の姿が目に移りました。父親の面影も重なって・・・

私は本当に幸せ者です。残りの人生をお父さん、お母さん、夫の分まで楽しませていただきます。

ありがとうございました。

報恩

「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」

「師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」親鸞聖人 恩徳讃より

この言葉に出会ったのは50代だったでしょうか。親鸞聖人のことを学んでいる会でした。

あまり肝に銘じた感はありませんでした。ところがこの度、千葉修司氏の「人間の価値は何で決まるについて」学んでいる時に知恩・感恩・報恩こそがこれぞと知り、再び心を熱く燃えさせることになりました。

恩を忘れずに意識している人は、なぜか出世していたり、活躍している人が多いと聞きます。周りの人に何を与えられるかを常に考えながら行動することが大切と思います。

そしてそのように生きていると、必然的に生きているだけで嬉しくなり、そしてそれが周りの人々を明るく幸せの輪に巻き込んでいくことになります。それが報恩に繋がるのだそうです。

何のために生まれてきたのか、何をして喜ぶ?  すべて行動あるのみ!!

生きているだけで幸せ。これが報恩である。

その領域にみんなで到達しようではありませんか!!