日本の歴史は誰に記された?

古事記を作った2人の怪しい血筋

稗田阿礼(ひえだのあれ)
日本での地位は舎人(とねり)。古事記編纂者の一人。
『新撰姓氏録』には名前としては出てこない。

恐らく、秦氏である。稗田というのは地名にもある。農民。
農民は灌漑をしないと水を引けない。あるいは畑の「はた」も秦氏で、農耕を指導するのも彼らである。日本に灌漑の技術を指導をしたのが「秦氏」→これにより、日本は狩猟文化から農耕文化へ移行していく。

これまでは狩猟、漁猟、生きている物を食べるのが主流だったのを、畑を作って米を栽培するというのも、どうも秦氏が持ち込んだのではと推測する。
彼らは船で来ている人たちが多く、コメの伝来は東南アジアが多く、暖かい地域の産物で、秦氏が持ち込んだと考えるのが妥当である。

朝鮮は日本よりもはるかに寒いので、そこから米が日本に来るわけがない。
米は東南アジアから持ち込まれ、関東東北ですでに作られていると考えるのが自然である。

京都にある加茂神社、各地にあるが
京都府京都市にある「御阿礼神事・・・みあれ」は、出現、誕生の意味で神の出現、天降り。    「阿礼」は巫女のような存在として阿礼巫女姫(アレミコヒメ)、阿礼比売命(アレヒメミコト)の存在が知られています。

これを見ると、どうもアメノウズメ天宇受賣命、サルタヒコ猿田毘古、スサノオ須佐之男、ヤマトタケル倭建阿礼巫女姫(アレミコヒメ)、阿礼比売命(アレヒメノミコト)などユダヤ系の神々の名前は異色の神話の中の存在が、どうやら稗田阿礼によって作られたのではないだろうか?と推測される。

つまり、上賀茂神社、下賀茂神社の御阿礼神事が、稗田阿礼に繋がり、アメノウズメに繋がる?
名前の関連が非常に大事である。稗田 → 羽田(はだ)に近い。頭のいい、想像力のある人達が文字で書くという、日本人が簡単にできるものではない。
強力な記憶力を持っている・・いろんな人の言う事を聞き、それを頭に留めるという能力はユダヤ人は凄いのです。
稗田阿礼という人はこういう人物であると考えられる。彼はユダヤ系であったのである。血が繋がっているとその能力はいくらでも再現される。

稗田阿礼(ひえだのあれ)、太安万侶(おおのやすまろ ?~723)

古事記は稗田阿礼(7世紀後半~8世紀初頭)が記憶した記紀(日本書紀、古事記)以前の日本の歴史書である。『帝紀』『旧辞』(いずれも現存しない)を、太安万侶(おおのやすまろ)が筆録・編纂し天皇に献上した。

太安万侶も、今まで不明であったが、墓が見つかり実在の人物であったことが判明した。
太安万侶も同じような人物であったと、しかしそれほど高い地位ではないとのこと。しかし天武天皇が命ぜられたものですから地位の高い人がやるべきであり、日本書紀がそうであるように、やはりそれだけのことを認識されているわけです。と。

太安万侶は大氏(たし)→秦氏(はたし)崇神天皇の息子の系統で様々な名前でユダヤ人たちは

ユダヤ系氏族 → 大氏 多氏 秦氏 土師氏、毛野氏

古事記の文体は漢文ではない。読みだけで漢字を使っている。言葉の能力があり、転換の出来る人でないとできない。太安万侶、稗田阿礼もユダヤ系であり、だからできるのであると考えられる。

ユダヤ教を思わせるユダヤ人たちの性格がよく出ていて、日本では考えられない行為をする。例えば姿の描写がずば抜けて大きく、日本人離れしている。

太安万侶、稗田阿礼のコンビが日本の歴史を非常に面白く作り上げるという。稗田氏というのはだいたい応神天皇に近いということがあり、そこから生まれているということも調べると出てくる

従って著者のこの二人を考えると古事記の創作がはっきりとわかってくる。

以上 田中英道師の研究による

稗田阿礼、太安万侶 共に人物画像が残っていないようです。

まとめ

①日本に灌漑の技術を指導したのは秦氏

②日本の姓を見ると、ユダヤ系の姓がたくさんある。

③『古事記の編纂に当たってユダヤ系の人物(太安万侶、稗田阿礼)が能力を発揮したことが分かる』

 

次回は「ユダヤ人、日本同化の過程」 お楽しみに