神武東遷(宮崎~橿原市までの神武天皇の歩み)その⑥

17 男神社(おの神社)摂社浜の宮

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は大和に東から入るため、先ずは南に向かいました。

男神社(おのじんじゃ)の歴史は紀元前まで遡り、別名は「おたけびの宮」と呼ばれています。五瀬命(いつせのみこと)と神武天皇の霊を浜宮の地に祀ったのがはじまりとされています。

その後、859年(貞観元年)、現在の地に遷在されました。社は旧延喜式内社で、近くの双子池を中心とする一帯は男里遺跡があり、かなり広い範囲に人が住みついたと考えられます。浜宮は現在、男神社の摂社となっています。

御祭神

《主》神日本磐余彦命、彦五瀬命、《配》天児屋根命、熊野速玉神

この辺りは大阪湾に面し、敵に報いることなく手傷を負って死ぬるとは残念極まりないと雄々しく叫ばれたことで、オノミナトと呼ばれることになり、おっという地名も残されました。

雄叫びの宮とも言われる男の神社は859年に今の地に遷座され、その境内は天神ノ森とも言われています。

 

男神社の社叢は大阪府緑の百選に指定されており、見事な森で、多種類の古木の中には府内最大といわれているむくろじ(無患子)の木もあります。

18 水門吹上神社 (ミナトフキアゲ神社)

オノミナト、今の和歌山県で負傷したイツセノミコトが亡くなりました。イツセノミコトが雄叫びをあげながら亡くなったことに由来し、紀ノ川の河口付近にはオノミナトという地名が伝わっています。

その地に建つのが水門吹上神社 (ミナトフキアゲ神社)で水門神社と吹上神社と二つの神社で合わせて祀っています。

19竈山神社 (かまやま)

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和歌山市南部、竈山の地に鎮座する。「竈山」とは『古事記』『日本書紀』に見える地名で、両書では神武天皇(初代)長兄の彦五瀬命(五瀬命)が竈山に葬られたという。当社はその彦五瀬命の神霊を祀る神社であり、本殿の背後には彦五瀬命の墓と伝える竈山墓(かまやまのはか、宮内庁治定墓)がある。

主祭神

 

彦五瀬命(ひこいつせのみこと)

「五瀬命」とも。ウガヤフキアエズとタマヨリビメの間に生まれた長男(第1子)で、神武天皇の長兄。

配祀神

  •  左脇殿:彦五瀬命の兄弟神

稲飯命(いないのみこと) – 『日本書紀』本文では第2子(一書で第3子)
御毛入沼命(みけいりぬのみこと) – 『日本書紀』本文では第3子(一書で第2子)
神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、初代神武天皇)- 末弟(第4子)

  • 右脇殿:神武東征に従軍した随身

高倉下命(たかくらじのみこと) – 熊野の土豪。
可美眞手命(うましまでのみこと) – 物部氏祖。
天日方竒日方命(あめのひがたくしびがたのみこと) – 大神氏祖
天種子命(あめのたねこのみこと) – 中臣氏祖
天富命(あめのとみのみこと) – 忌部氏祖
道臣命(みちのおみのみこと) – 大伴氏祖
大久米命(おおくめのみこと) – 久米氏祖
椎根津彦命(しいねつひこのみこと) – 倭氏祖
頭八咫烏命(やたがらすのみこと) – 賀茂氏祖

カムヤマトイワレビコは更に南下し熊野に到着します。 次は熊野那智大社です。お楽しみに。