神武東遷(宮崎~橿原市までの神武天皇の歩み)その⑧

22 丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ) 

神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は長髄彦(ナガスネヒコ)と戦うにあたり、高倉山で夢のお告げを得て、霊力のあるという天の香具山の土を取ってこさせて、その土で80枚の平瓦と甕を造りました。兵たちを勇気づけるため丹生の川上で戦勝祈願したと伝えられています。

 

カムヤマトイワレビコは八咫烏(ヤタガラス)の導きにより、吉野を経て、宇陀へと至りました

23 八咫烏神社 墨坂神社


拝殿

八咫烏の化身と伝えられる八咫烏神社は建角身命(たけつぬみのみこと)と名を変えた八咫烏大神を祭神とする神社で、式内社にも列せられた由緒正しい神社。建角身命は神武天皇の東征の際、熊野で停滞する天皇一行を大和へ導き、天皇の勝利に貢献した八咫烏の化身といわれています。

大量の炭を燃やし、火責めの計画を立てていた会式の軍に対し、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)は宇田川の水を浴びて討滅に成功しました。

カムヤマトイワレビコは大和の多くの豪族との戦いに勝利します。

24 等彌神社(とみ神社)               鳥見山中霊畤春季大祭

鳥見山は即位された神武天皇が祭りの庭を設け、皇祖神を祀った場所と伝えられています。これは大嘗祭の起源とされており、鳥見山の西麓に位置する等彌神社の奉仕により毎年5月13日鳥見山中霊畤春季大祭が営まれています。

 

ついに長髄彦(ナガスネヒコ)と、再び相対することになりました。

次回をお楽しみに。