神武東遷(宮崎~橿原市までの神武天皇の歩み)その④

12、高島宮、高嶋宮(たかしまのみや、たかしまぐう)

更に吉備、今の岡山県を訪れます。神武天皇が日向から大和国への東征途上で、吉備国に営んだとされる行宮(かりみや)。吉備高島宮、吉備高嶋宮(きびのたかしまのみや、きびたかしまぐう)とも呼ばれます。

高島は高岡港の南およそ8キロに浮かぶ、広さおよそ1、2平方キロメートルの島です。日本書紀によると、カムヤマトイワレビコは、高島の宮に3年滞在し、船と軍備を整えたと記され、地元ではこの島のことと考えられています。島内ではカムヤマトイワレビコが吉凶を占ったと言われる上村山や水を汲んだと言われるマナイなどがあります。

『日本書紀』によると、太歳甲寅の年の10月5日に軍舟を率いて日向を出立し、大和へ向かう東征を開始した彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと。後の神武天皇)は、豊後水道を通り筑紫国、安芸国とを経て、翌年(乙卯年)3月6日、吉備国の高島の地に行宮を造って3年間滞在し、その間に船舶や武器の準備、兵糧の備蓄を行った上で、戊午年2月11日に再び大和へ向かい出航したというが、この時の行宮が高島宮であり、ちなみに神武天皇の即位は高島宮進発の3年後、辛酉年であるとされています。『古事記』も大同小異の伝承を記すが、高島宮での滞在を8年間としています。(ウイキペディアより)

13、亀石神社 (かめいわ神社)

カメの形をした岩がご神体の亀岩神社 神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ)の水案内を務めたと言われる珍彦命(ウズヒコノミコト)が乗っていた大亀の化身が岩となったと伝えられています。

 

 

 

14、安仁神社(あにじんじゃ)

カムヤマトイワレビコの兄、五瀬命(いつせのみこと)が、10年間、この地に滞在したと伝えられ、後に後継たちをこの地に祀って久方の宮と称したのが起源とされています。

 

 

黒須田川沿いのソメイヨシノ       すすき野のさくら

 

  • 次は、難波の岬を通って、河内の国、今の大阪府東部の白方の地に上陸、西から大和に入ろうとします。カムヤマトイワレビコに先立って都入りしていた、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)とその息子、ウマシマジノミコト宇摩志麻遅命を祭神とする石切劔箭神社「いしきりつるぎやじんじゃ」をご紹介します。お楽しみに