鹿児島神宮の屋根に現れる歴史の真実

   鹿児島神宮の菊の御紋

前回もお話ししましたが、皇室の御紋で大変尊いのですが、実を言うと人類最古の文明と言われている古代メソポタミアの『シュメール&エジプト&古代イスラエルの王家の紋章』は、『ご皇室の御紋と完全一致』の『花びら16枚の太陽のご紋』なのです。全部一緒の太陽のシンボルです。                                          日本の皇室がどういう由緒があるのか、日本を造って下さったのですから日本の総本家であります。その皇室のシンボルが人類最古の文明であり、王族のシュメールのシンボルでもあります。そういう凄い歴史を日本は戦後GHQによって消されてしまいました。

 

鹿児島神宮のご神殿の屋根

鹿児島神宮のご神殿の屋根にあるのは明らかに太陽神なのです。

それはなぜかと言いますと、高天原の中の太陽ということで雲が架かっています。それが鹿児島神宮では菊の御紋になっています。それはなぜかと言いますと、建物全体が江戸時代に再建されておりますので、日本が儒教を取り入れた時代の変遷を反映していると思われます。

 

 

 

本殿の屋根の千木は雷や太陽の光を表わしています

一番、頂の所に菊の御紋があります。

その下に雲があります。それは明らかに天照であり、太陽の印があります。菊の御紋ではなく太陽であることがわかります。

関東・東北勢がこの鹿児島にやってきて示したところも太陽であったのです。ここで応神天皇を祀って居られることで日本の歴史を感じさせられます。日本の複雑さというか、日本人の結集していく過程・物語がどこを歩いても感じられます。と田中教授は感慨深く語っておられます。

奉納木馬

昭和18年に造られたものです。

馬の由来は

馬という動物は元来日本には無かったのです。恐らく応神天皇の頃、大陸からもたらされたのです。上賀茂神社にも白い馬がいる。秦氏系の人々、外来の人たちがもたらしたと考えられます。ここは応神天皇も祀っているので、応神天皇も外来の人を受け入れたので、それが皆日本人となって同化してしまいます。その時馬を連れてきた人たちの馬がここにいるのです。この馬の祭りの盛大な様子を下記に記します。

初午祭・・・旧暦1月18日を過ぎた次の日曜日に行われる。

鹿児島県の三大行事の一つで、御神馬の鈴懸馬を先頭に多数の踊り連が続き人馬一体となり踊りながら参詣する。

日高見国から来た山幸彦(邇邇芸命の息子)が、関東に馬が来ていたということを示唆していると思います。ここ鹿児島が東と強く結びついていたということが分かります。

写真提供:鹿児島神宮

 

島津家の御紋

 

 

 

 

 

秦氏がもたらしたネストリウス派

 古代キリスト教の教派で、431年に異端認定され排斥されました。
 ペルシャ帝国を経て7世紀にはアジアに伝わり、中国では景教と呼ばれました。

島津藩も秦氏系と言われます。それが逆に薩摩藩の特色でもあります。西郷さんの活躍も長い伝統の中から生まれたと思います。と説明されております。
以上 田中教授の解説です。

次回は霧島神宮に行ってみましょう。