旧約聖書に記された “日本 “

何故 ユダヤ人は日本をめざしてやってきたのか!

ユダヤ人と日本人について考えると、これまで奇想天外な考えだったことが、意外にそうではないことを埴輪が明らかに示しています。

秦氏の歴史と、埴輪のユダヤ人との関係、更にこれまで言われてきた古事記、日本書紀がこれをどのように扱い、そこから何が読み取れるのか。

また著者の問題、とくに古事記、それ以後の歴史がどう絡み合っているか。

日本の神話と歴史は結びついています。その文脈の中でこれらの人たちがどう絡んできたのか、田中教授が系統的に解明しておられます。

特に今回はユダヤ人たちの立場が日本をいかに必要としたか、そして彼らがどのように日本の中で同化していったのか、世界におけるユダヤ人の歴史があるわけですが、それとどう関係しているのか、様々な問題が生じております。

まずは、長い縄文という時代が日本にはありました。この時は、まだはっきりとしたユダヤ人はおりません。ユダヤ人の歴史は紀元前2000年前頃から始まっています。
日本は13000年頃から16500年ぐらいまで縄文土器が造られておりました。独自な文化を持ち始めたのはその頃からです。

縄文正史 長い歴史のどの辺から彼らが入ってきたかという問題、そしてそれがヤハウェの神を信じているユダヤ教徒、そのユダヤ教徒がどのようにして日本の神道を受け入れたのか、後にユダヤ教徒は日本には殆ど存在しなくなったということですが・・。

そこにはイスラエルの国のユダヤ人と日本にやってきたユダヤ人とのどんな違いがあるのか それをどのように理解することが出来るのか・・・

 

「日本書紀と日本語のユダヤ起源」 ヨセフ・アイデルバーグ
について

現在のウクライナ南部生まれのユダヤ人
日本語とへブライ語の発音と意味に多数の共通点を見つけ、記紀など多数の日本文献を研究し著作「日本書紀と日本語のユダヤ起源」の中で、日本人と古代イスラエルの失われた10氏族との関係性について独自の見解を示しています。・・・・

 

しかしこの本は「ユダヤ人が日本を造った」などと飛んでもないことを言っています。
しかしそうではなく、日本に入ってきたユダヤ人たちがどのように日本と同化してきたかという物語が語られるべきである。これは決してイスラエルのユダヤ人に失礼になることではないと田中教授は指摘します。

同化することがユダヤ人たちの元来の立場であるということもお話ししなくてはいけないと。

日本はもともと「太陽が昇る国」であるということが大きな前提であり、
アフリカからホモサピエンスが発生し、そこから人々が動き始めた時に、これは新石器時代、旧石器時代に遡るという長いスパンを持っておりますが、まだ民族が生まれていない時代に、日本という国はもう存在していたという。
これは、旧約聖書にも地の果てと(東の国の島々に)と記されております。アフリカに人類が誕生してから100年も経たずに日本にやった来た人々が、長いエジプト、シナイ半島として中東、ユーフラテスを超えて長い道を(後になってシルクロードという)歩いて、あるいは馬に乗り、あるいは逆に中東あたりから船を出してペルシャ、インド、東南アジアを超えて日本にやって来ると言う船の航路もあったのです。

日本に何故来るかというと太陽が昇る国だからです。これはユダヤ人たちも旧約聖書にて述べております。彼らも東の果ての国だということも、エジプトの神話から、太陽神のラーが船の先頭に書かれているわけですから東の国という存在が日本であることが分かっていたのではないかと思われます。我々はそこに16500年以降、あるいは人口が多くなり13000年ごろから、日本に太陽が昇る国という概念が出てきたと思われます。

そこで日本では竪穴住居が造られ始め、土器もどんどん作られ、土偶という形、とくに日本神話で語られるヒルコの存在が土偶になったと考えることが出来ます。

それと同時に漆や勾玉、勾玉も1万年以上前から造られていることが発掘で分かっています。従ってその時から日本は太陽が昇る国だということが島の国として言語を交渉、貿易、通商も行っていました。その中でいろいろな人が世界の各省からやって来る。北海道、朝鮮半島からも東南アジアからも島伝いにやってくる。琉球は日本に来るユダヤ人たちの通り道であったということもわかってきたのです。

 

 

次回は世界最大の謎「失われた10氏族の謎」です。お楽しみに