神話から読み解く石上神宮と日高見国との関係

石上神宮は、正確な創建時期は不明ですが歴史はかなり古く、6世紀前半に書かれた『古事記』や『日本書紀』には名前が載るほど大きな神社でした。

日本の初代天皇・神武天皇の時代から天皇家に支えていた物部氏の総氏神でもあり、紀元前から建っていると思われます。

この鳥居に「フツノミタマの神」という額が掲げられています。

フツノカミ(経津主大神(ふつぬしのおおかみ))とは千葉の香取神宮の神様です。鹿島神宮の武御雷(タケミカズチ)の神と並んで剣の神様です。それがこの石上神宮(いそのかみじんぐう)にきているのです。香取神宮は物部氏の神社でもあります。物部氏と大和(やまと)は非常に関係があり、饒速日命(にぎはやひのみこと)が関東から来た物部氏の神様です。                 神武天皇のお爺さんにあたる邇邇芸命(ににぎのみこと)は中臣氏という(後に藤原氏と呼ばれる)系統です。

石上神宮は物部氏の系統であり、物部氏を中心とした天孫降臨が行われたのは饒速日命なのです。日本の建国の問題が、これで明らかになります。つまり二つのグループ、一方は中臣氏、もう一方は物部氏となります。そして中臣氏が邇邇芸命、物部氏が饒速日命、この二柱の神が天孫降臨をされたということが分かります。

ところが今は邇邇芸命が天孫降臨されたことだけと考えられていますが、実を言うと、物部氏の一行が大阪の方から大和(やまと)に天孫降臨されたという事実が、神話にも書かれているにもかかわらず、歴史の中では無視されてしまっております。

田中教授は、古事記や日本書紀に書かれていることが歴史的事実と見ております。           関東における中臣氏と物部氏、天児屋命(あめのこやねのみこと)が邇邇芸命と共に天孫降臨された主になるグループが邇邇芸命で関東の鹿島から九州の鹿児島に船で天孫降臨されたと想定できます。

天児屋命(あめのこやねのみこと)について

【中臣氏(藤原氏)の祖。天照大神の岩戸隠れにおいて、岩戸の前で祝詞を奏上した。天孫降臨では邇邇芸命(ににぎのみこと)に随伴して、葦原中国(あしはらなかつくに)に降りた。と、日本書紀には記されています。】

日本は天国があるわけではなく、関東東北と関西九州、この二つが結ばれて日本が出来ていきます。が、「日の本」がもともとの国でありました。

この石上神宮に飼育されているニワトリも日を告げる神としての鳥なのです。ここは饒速日命系統なので古い神宮なのです。紀元前660年という時に饒速日命が天孫降臨された古い神社であると田中教授はみておられます。

物部氏系の神社がここにあります。その物部氏が聖徳太子の時にも、仏教を取り入れた時に逆に物部氏が攻撃されます。そこで一旦途絶えると言われていますが、やはりその物部氏が日本の士族の底流として残っていくことが分かります。

朝日が昇り、ニワトリが時を告げる・・・

朝日が昇る。先ずは時を告げる・・。

高天原で天照大神が岩戸にお隠れになった時、世の中が真っ暗になる。その時皆で宴をやり、八百万の神々がどっと笑い、その楽しそうな笑い声に誘われて外を覗こうとした時に腕力の神、天手力男神(あめのたぢからおのかみ)が天照大神の手をとって外へ引き出した。こうして高天原と葦原中国に光が戻った。

古事記に書かれているこの時に、時を告げたのもニワトリでした。そしてこの牛も鹿も忠実な動物として、ここに座っております。鳥も動物も神社でお祭りをする歴史が続いています。

こうした取材中もニワトリの高らかな雄叫びがオンラインの向こうから響き、神社の源流のようなものを感じさせられます。皆様も是非いらしてみてください。とのことです。

次回は「春日大社」に行ってみましょう。お楽しみに。